教育保育の場で表題の『四訓』が注目されています。
ご紹介をかねて一緒に考えてみましょう。
- 1. 乳児はしっかり 「肌を離すな!」
- 2. 幼児は肌を離せ 「手を離すな!」
- 3. 少年は手を離せ 「目を離すな!」
- 4. 青年は目を離せ 「心を離すな!」
ネットでは「アメリカインディアンの教え」とか山口県の教育家がその経験を通してまとめられたものとかと言われております。その出典来歴はさておいて、子育てと関係ある立場にあっては心に響く言葉です。
子育てに関してこの「四訓」は若い親たちにとって分かりやすくリズミカルに要領よく基本的な要点を押さえた名言だと思います。
とは言ってもいざ実践となるとこれだけでは分かりにくい問題が多くあることに気がつきます。
例えば「乳児」の定義一つとってもいろいろあります。乳児の定義は一般的には母乳(人工乳も含む)を主たる栄養源としている時期、満一年前後の離乳時期までが乳児と解することが一般的ですが。 ここで気になることは離乳の定義です。4歳5歳になっても母親の乳を飲んでいる場合はどう理解するか問題が生じます。大きくなっても母親の授乳を受けていても、実際は母乳だけでなく普通食も当然とっているはずです。授乳をいつまでも求めるのは身体的に正常に成長していても、こころがまだ乳児の領域に止まっていることになります。
離乳時期一つとっても皆さん当然マチマチです。以前は時期がきたらいろいろな努力をして授乳をやめる行為・断乳が必要との考え方が強かった。最近は卒乳という表現でできるだけ強制感をともなわない優しい言い方で、本人がほしがるのに与えないことの罪悪感を避ける表現、断乳というきつい語感から逃げる気持ちが先立っている。ために離乳の大切な時期をあいまいにしているのではないでしょうか。
子どもの数が多いと次の子どものために上の子どもの授乳を止めなければという期限がつくので、母親も割り切ることに迷いが少なくなるのですが、一人っ子や末っ子の場合離乳に踏み切るのに二の足を踏みがちとなります。その二の足や三の足の迷いが実は子どものこころの形成に反映するのです。子どものこころは親のこころを一番大きく反映して形成されるのです。母親はそこで厳格になれというのではなく賢明になって欲しいのです。
三つ子の魂百までもはよく知られたことわざです。三つ子とは三歳児のことですが、昔流の数え方ですから今流なら二歳児になります。その三つ子の魂の二歳児のこころの基礎が形成されるのが言うまでもなく0歳、乳児の時期です。この時期に適切な対応すればその後も順調に方向づけられるのではと思います。
因みに乳児は一歳まで、幼児は就学前まで、少年は高校の年齢まで、青年は十七・八歳から二十二・三歳までか。それ以上が成人かと考えます。そして成人したら信頼しましょう、とわたしは主張します。
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テニスの錦織圭選手が全米オープン大会で準決勝の見事な成績には、日本のテニス愛好者やスポーツファンにとっては、何よりの嬉しい快挙でした。永年日本にとって縁遠かったというよりもあたかも踏み込むこと出来なかった禁断の聖域だったテニスの世界四大会(全豪、全仏、全英、全米)の決勝に踏み込んだのでした。
ここで慣れないスポーツ談義ではありません。錦織選手の呼び方が文字通りのにしきおりではなくにしこりと呼んでいることはご承知の通り。選手の出身地島根県ではにしこりが普通のようです。大体西日本一帯ではにしきおりではなくにしこりの呼び方が多いようです。なお、錦織の読み方はまだ別の読み方ありますがそれは御調べ下さい。
「9月の園だより」で、九州長崎県平戸藩主松浦静山の話を紹介しましたがご記憶と思います。この読み方ですが、平戸はひらとではなくヒラドとにごって読むのが正しい。そして松浦の殿様はまつうらではなくマツラと読むのが松浦静山の場合正しいことをお伝えします。人名や地名の読み方は全くそれぞれです。新潟や佐渡のことをニイカタやサトと読まれたら私たちにはそれって何処ってなりますよね。
松浦静山公が文武両道の達人とご紹介しましたが、余談ですが子造りも達人で何と17男16女の子だくさんのスーパー殿様でした。
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県立自然科学館訪問
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