今、保育園にっとって3月の卒園式、4月は入園式と、お別れや新しい人達との出会いの季節だ。保育園の場合、一年の中での園児の出入は卒園は一斉だが、入園は学校のように4月一斉とは限らないがやはり4月は多い。新しい園児との出会いは新しい名前との出会いでもある。
新聞には新しく誕生した子ども達の名前欄と亡くなられた方々の名前欄が大体同ページに並んで掲載されている。死亡欄は大正から昭和初期の方が多い。新生児の名前と死亡欄の名前の特徴と違いがはっきりと時代を反映している。
まず昔の名前は男女の性別が一見してはっきりとわかる。女性名はカタカナやひらがなだけが圧倒的に多い。男性の場合 かながき名前はまずお目にかからない。女性の名前は昭和中期となると○○子と末尾に子がつく名前が圧倒的に多い。
最近の子どもの名前の傾向は昭和時代のそれとははっきり違ってきている。女性の名前ではまず「子」の付く名前が絶滅危惧種に近くなった。代わって耳にやさしい語感の名前やテレビドラマのヒロインの名前や有名人の名前にあやかったりが多くなった。また西欧外国語名をそっくり頂いて印象のやさしい漢字を当てはめる名前が多い。例えば、アンナ杏菜・安奈、カレン華蓮、エマ江真、レナ伶奈、サラ沙良のように、‥。
今年の一月、園田天光光(てんこうこう)さんが96歳で亡くなられた。旧姓松谷と言ってもご存じの方は少ないかと思われる。
天光光さんは今は当然になった女性国会議員、大戦後の1949年、日本最初の東京都選出の女性第一号議員の一人だった。その上変わったそのお名前、そして妻子ある園田直議員(熊本県選出)と大恋愛の末結婚された。当時は白亜(国会議事堂)の恋、不倫議員と国家的と言えるほどの大きな話題となった。また在任中に妊娠出産、ママさん国会議員の第一号でもあった。なお、園田直氏はその後、1976~78年の福田赳夫内閣の官房長官・外相・厚生大臣等を歴任された。
天光光さんはその後議員をはなれても政治活動をつづけ、彼女の尽力でブルガリアヨーグルトが日本でもおなじみとなりブルガリア国から最高勲章を贈られている。最近では野田聖子議員の出産のため議員産休制度成立にも大いに尽力されたとのこと。
ところでその変わったお名前「天光光」は実業家として成功され教育熱心だった父親の意向。男子を願ってこの名前を用意されたが女子でもそのまま命名したとのこと。初めの光は宇宙の天の光、同様に二番目の光は自分の光で世の中を照らす人間になってとの思いが込められている。天光光さんも初めこの名前に抵抗を感じ「天光」の二字だけを記した時期もあったが、父の意を理解して、以来政治家として誇りをもって天光光の名前を愛されたそうです。
子どもの名前はその子にとって一生ついて回る。子ども自身がその名前を選ぶことはできない。親の付けた名前で一生過ごさなければならない。結局子どもは親のたどった心の軌跡を同じようにたどり親の思いと重なることが多いのでは。子どもが長じて名前に感謝する、実に結構な話では。
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去る 3月13日(金)、ミスタードーナッツ事業部約20名の皆さまが御覧のような着ぐるみ“ポンデライオン”と一緒に園児全員にドーナッツのお土産持参で来園されました。年長児のみなさんにはドーナッツの上に好きなトッピング作業が出来るおまけ付き。思いもかけない楽しい思い出となりました。ミスド事業部販促プロジェクト活動とはいえ皆さま本当にありがとうございました。
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昨年6月の運動会の写真、会場は豊照小学校の室内体育館。園だより3月号で触れましたとおり、豊照小学校はこの3月末をもって明治6年開校142年の歴史に幕が下りる。 空き家となる校舎や敷地の活用は、まだ具体的には決まってないようだが、管理人を置いて設備維持管理する予定はないとのこと。
当保育園の目玉イベントとして地元の皆さんにも永年親しまれてきた運動会、その会場として豊照校の体育館、それが出来なくなるのはほぼ確実。園としての大きな課題です。どうしたものか、皆様方のお知恵やご意見をお聴かせいただければありがたいです。
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