うなぎと食育と土用の丑の日

先日、職場の同僚と鰻を食べに行く機会がありました。それはおそらく私の人生史上で一番美味しいと思える鰻でした。しかもお重の蓋が閉じられないほど鰻のボリュームがあったので私も他のメンバーも最後まで食べ切るのに苦労しつつも「高級で美味しい鰻を残すわけにはいかない」とばかりに最後のお米の一粒までもきれいに平らげました。そんな中、一人だけ半分残した人がいた、と後で聞かされて、それまで美味しい鰻に上機嫌だった私はひどく残念な気持ちになったのでした。そもそもその人が「うなぎが食べたい」ということで鰻のお店に行くことになったのに、なぜ残す?しかも半分ってどういうこと?いや体調が悪ければ最初から少ない量のものを選べばいいものを、などなど諸々の「なぜ?」が私の頭の中をぐるぐる回り始めました。そして以前にもチームで食事に行った際、同じ人がお肉を食べ切れず残していたのを思い出しました。

私は食べ物を残すことに大きな罪悪感を持つ人間です。お店で出されたご飯を毎回当然のような顔で残す人に軽く怒りを覚えます。もちろん食べている途中で調子が悪くなって食べられないことだってあると思います。でも、最初から食べない前提であれば「ごはんは半分で」と言えばいいだけなのに、と思ってしまいます。食材に関わる多くの人々の苦労と努力は最終目標である「美味しく食べてもらう」を達成することに向けられているのに、そのゴールを目前にしてお茶碗の半分より下によそわれたご飯たちは捨てられる運命を辿るのです。私の中では「ありえない」レベルのショックな出来事なのです。

これは「食育」そのものだと思っています。当時「食育」という言葉は無かったように思うけど、子どものころからごはん一粒を残さず食べるよう言われ続けて育った成果は確実に私の中で根付いているのです。逆に食事を平気で残してしまう人はどういう「食育」環境で育ってきたのでしょうか?気になるところです。

もう一つ付け加えて言うと、魚や肉を残すことは米粒を残すことよりもさらに罪が重いということです。食材となる命は我々と何ら変わりない一つの貴重な命なのです。それらを犠牲にして我々の命が今ここにあることを決して忘れてはいけません。

ちなみに今年の土用の丑の日は7月24日と8月5日です。夏の土用は梅雨明けの頃、すなわち季節の変わり目で体調を崩しやすいから「う」のつく食べ物で元気になろう、ということから鰻を食べるようになったようです。「う」のつく鰻以外の食材は梅干し、瓜、うどん、などがあるようです。なお、春の土用は「い」がつく食べ物、秋は「た」、冬は「ひ」がつく食べ物を食べるのが良いのだそうです。みなさん、その食材がなんだか分かりますか?食にまつわることを知るのもなかなか面白いものがありますね。