つい先日のことですが、最近の子どもたちは『花いちもんめ』遊びができない、という話を先生方から聞きました。なぜ出来ないのか?詳しく聞いてみると「相談しよう、そうしよう」のくだりで今の子どもたちは相談して一つの答えがなかなか出せないのだそうです。その話の流れで最近の子どもたちにお気に入りの給食のメニューを聞いても以前のように「あれが食べたい!これが食べたい!」といった活発な意見が出ることもない、という話も聞きました。自分が子どもだった頃と現代では子どもを取り巻く環境もずいぶんと様変わりしているので、それらを即問題視するのは軽率な気もしますが、意見や考えがまとめられない、そもそも意見が出ない、というのはだいぶ深刻な問題ではないでしょうか。
「花いちもんめ」に話は戻りますが、そもそもこの遊び自体にいじめの要素があり、遊びとしては良くないという意見もあるようです。しかし、今はいろいろな物事に対し周囲が過剰に反応し、良くないと思われるものは排除してしまう傾向にあり、私はむしろそのことの方が問題なような気がしています。遊びという架空の世界で子どもたちは時には少々過酷と思えるような状況に直面することもあるでしょう。でも子どもたちはその体験を通し将来の実社会での人との関わり方や問題の解決のすべを学んでいくのではないでしょうか。伝承遊びの中には、長く親しまれてきた理由があるように思えます。しかしながらそのような遊びも、今ではゲームやYouTube に取って代わられてしまいもはや風前の灯です。
もちろん子どもが社会性を身に着けられる場面は遊び以外でも十分あることでしょう。とは言え、子どもたちの興味の多くがゲームやYouTube といった一方通行の受け身の媒体にシフトし、コロナ禍がさらに人との繋がりを遮断してしまった現代で、どうやって自分の考えや意見を発信し、他者の意見に耳を傾け、周囲と関わりを築いていくすべを学ぶのでしょうか。幼少期の多くの時間を過ごす保育園は単に親が働いている時間に子どもを預かるという役割以外にも、普段の生活や遊びを通じて子どもたちが社会性を身に着ける場、という大きな役割を担っていることを改めて肝に銘じ、保育に取り組んでいきたいと思います。