園だより」カテゴリーアーカイブ

手作りコサージュ|2022年3月

卒園、入学式シーズンですね。

春のフォーマルな装いを一段と引き立ててくれるのがコサージュですが、いざ探してみると案外自分好みのものが見つからず、ということで、今回はコサージュを手作りしてみました。材料は100円ショップで揃うものなのに、見栄えはお値段以上、想像以上です! コサージュの作り方はネットや動画などでも多数紹介されていますが、とても簡単で2時間もあれば作れてしまうので、こちらでもご紹介したいと思います。

① リボンを50㎝ほどにカットし、リボンの端から縫いはじめます。縫いはじめはギャザーを寄せる反対側のリボンの角から針を入れ2㎝ほどは斜めにギャザーを寄せる側へ向かって縫い、そのあとは端から1~2ミリほどの位置をリボンの端に沿って縫います。(ポイント:縫った部分から少しずつギャザーを寄せるように糸を絞っていくとあとで形が作りやすいです。ギャザーを作る時、強く糸を引っ張ると糸が途中で切れてしまう事があるので、あまり強く引っ張らないように!ミシンで縫う場合は一番目を粗くして縫ってください。)

② 縫い終わりも縫いはじめと同様にリボンの端2㎝ほど手前からギャザーを寄せる反対側に向かって縫います。縫い終わったら糸を引っ張り、リボンにギャザーを寄せてお花の形になるよう整えます。ギャザーが緩んでお花の形がくずれないよう中心部分を固定するようにしっかりと縫い付けます。(ポイント:縫いはじめの斜め三角部分がギャザーを寄せると少し飛び出すので、その部分を花の軸にしてギャザーを寄せたリボンを巻き付けるようにして縫い付けると固定しやすいです。ここでも糸を強く引っ張りすぎると切れてしまうのでゆっくりと慎重に!)

③ リボンの花は好きな数だけ作ります。(今回は色が微妙に違う2色のサテンリボンで3個ずつ、計6個のお花を作りました。オーガンジーなど違う素材のリボンを組み合わせても素敵ですね。リボンの素材や幅に合わせて使うリボンの長さは適宜調整してみてください。)

④ 出来上がったリボンの花にビーズを付けながらそれぞれの花をつなげて最後はリースのように輪にします。糸を通す順番は、花芯の裏側から針を刺し→花芯の表に針を出し→ビーズを通し→花芯表側から花芯の裏側に向けて針を刺し→次の花芯裏側へ~を繰り返し、最後は最初の花の花芯裏側につなげて輪にします。輪にしたら糸を少しずつ引っ張ってふんわりした丸いドーム型になるよう形を整え、形が決まったら糸で固定し、最後にブローチピンを裏側にしっかりと縫い付けて完成です。 分かりにくいところがあったらどうぞご遠慮なくご質問ください!

趣味と子育て|2022年2月

みなさん趣味はお持ちですか?

『出産と共に遠ざかってしまったけれど、そういえば以前は楽しんでいた趣味があった』『今は子育てと仕事と家事で日々忙殺されて趣味どころではない』といった方が大半かもしれません。

 インターネットで子育て、趣味、というキーワードで検索をしてみると、子育て中の奥さんが出産育児でしばらく遠のいていた趣味のダンスがどうしてもやりたくて、子どもを保育園に預けてまで踊りに行った。せめて子どもが1歳になるまで待てなかったのだろうか。というような内容のご主人からの投稿を見つけました。

子どもが出来たなら自分の趣味はしばらく我慢すべきだ、子どもと一緒に家で踊ればいい、というような意外にも手厳しい意見が回答として寄せられていましたが、みなさんはこの状況をどのように思いますか。私はたった数時間でリフレッシュ出来るなら、彼女にその時間を作ってあげたらいいのではと思いました。

おそらく彼女は初めての出産、育児で、子どもが産まれてからずっと頑張ってきたはずです。でもその傍らで「なぜ自分ばかりがやりたいことを我慢して子育ての犠牲にならなければならないのか」と自問自答を繰り返し、時に涙してきたのではないでしょうか。

 子育ては大変な仕事なので出産前と同じ生活を望むのには無理がありますが、自分ばかりが我慢している、という感情を持ったままで子育てをすることは良くないように思います。

産後うつになってしまったり、子どもにあたってしまったり、夫婦不仲を招くくらいなら、数時間子育てから開放してあげても全く損はないと思います。もちろん物事には限度があり、その回数や時間が度を越してしまうなら話は別ですが。

 私が子育て真っ只中だった頃、誰かに子どもを預けて一瞬だけ自由な時間をもらったことがありました。結論から言うと子どものことばかりが頭に浮かび一人の自由な時間はちっとも楽しいものではありませんでした。あれだけ待ち望んだ時間だったにもかかわらず、さっさと切り上げて子どもたちの元へ一目散で帰った記憶が今もはっきりと残っています。

 子どもが産まれ生活が一変し、以前は楽しく感じられたことも今はそれほどでもなくなってしまっているかもしれません。『自分は我慢をしている』という負の感情だけがどんどん大きく膨らんで、すでに自分の中では価値を失った物事をまぼろしのように追い求めているだけかも知れません。でもそれは実際に自分自身で確かめてみなければわからないことなのです。

 忙しいながらも、家事や育児とのバランスを取りながら自分だけの楽しみの時間を持つことは、生活にもメリハリが生まれ暮らしを豊かなものにしてくれるはずです。

※赤沢保育園では一時預かり保育も行っております。育児による疲労・ストレスからのリフレッシュを目的としてご利用いただくことも可能です。

子供の幸せを願って その3|2022年1月

 『子どもの良いところを伸ばす』と聞いてみなさんはどんなことを頭に思い浮かべるでしょうか。子どもの資質や才能を見出すことはたやすいことと思えないのは私だけでしょうか。なぜなら『良い』と感じるのは私自身の価値観で、またそれはその時々の状況に流され、変化したりもするからです。仮に子どもの良いところを見つけてあげたとしても、それを伸ばしてあげるために維持し続けることは容易ではないように思えるのです。

 今回は、たとえ周囲から何と言われようとも、我が子の一番の理解者、協力者となって信念を曲げずに子育てをした結果、子どもの良いところを十分に伸ばして大きく実を結んだ例をご紹介したいと思います。

 その男の子が2~3歳の頃は近所の公園に連れて行くと、砂場で黙々と泥だんごを作り続け、夕方になっても「砂場のふち全部に泥だんごを置くまで帰らない」という頑固さに、母は気長に付き合ってあげていたそうです。幼稚園の頃はひたすらトラックの絵を描き、小学校へ上がると今度はトラックの絵に妖怪の絵が加わり、そしてある日を境にタコの絵ばかりを描き続けるようになったそうです。

 小学校へは教科書の代わりに魚の図鑑をランドセルに入れ、放課後になると近所の魚屋や図書館に通い、明けても暮れてもタコに心酔する息子に母は毎日のようにタコのお刺身、タコの煮つけ、タコの酢の物を晩御飯に作ってあげたそうです。

 そればかりか週末には息子を水族館へ連れて行き、閉館時間までずっとタコの水槽の前から離れない息子に「タコって面白いんだね、お母さんもどんどんタコが好きになってきたよ。」と言って、タコに夢中な息子に付き合ってあげたのだそうです。

 少年の興味はその後タコから魚全般へと領域を広げていきます。学校帰りには往復2時間もかけて大きな魚屋まで足しげく通い、いつしか見よう見まねで魚をさばくことまで出来るようになります。母は魚を買うときは必ず一匹まるごと買い、料理の前に息子に魚の絵を描かせるのでした。

 そんなお魚ばかりの生活をしていたら当然のことながら学校の成績は下がるいっぽうです。「授業中に魚の絵を描いてばかりで授業にまったく集中していません。おうちでも学校の勉強をきちんとやるように指導してください。」という先生に、「あの子は魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だからこのままでいいんです。成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんなが一緒だったら先生、ロボットになっちゃいますよ。」と、お母さん。私が仮にこの子のお母さんだったら先生の言葉に動揺し、「お魚だけに没頭することが良いこと」とは決して思えなくなり、どうにかして勉強させる方法を考えたと思います。

 「お魚が好きならとことんやりなさい。」というお母さんの一貫した姿勢に支えられ、少年は自分の中から湧き出てくるお魚への情熱を一度も我慢することなく大人へと成長し、後に「さかなクン」の愛称でテレビの人気者となり、遂には子どものころの夢だった東京海洋大学の先生になったのです。

 子どもの幸せってこういう事なんだな、と彼の自伝『一魚一会』(いちぎょいちえ:講談社)を読んでそう感じました。おそらく小中学生向けに書かれた本だと思いますが、子育てをする親の目線で読んでみてもとても面白いと思いますので、この年末年始に家族みんなで読んでみてはいかがでしょうか。

子供の幸せを願って その2|2021年12月

 あれは息子が小学校6年生だった時のこと、彼は光栄にも運動会のリレーの選手に選ばれたのでした。誰よりも小柄で体の弱かった息子の立派に成長した勇姿に、私は祈るような気持ちと声にならない声で声援を送っていました。しかし残念なことに息子はゴール目前で転んでしまい息子のクラスは最下位になってしまいました。落胆する級友たちの声に顔を歪めて泣く息子の顔が、ふと今読んでいる本の一節で脳裏に蘇ってきたのでした。

 『世界一幸せな子どもに親がしていること』という本をご存じでしょうか。アメリカ人とイギリス人の女性がそれぞれオランダ人の伴侶を得て、自分の生まれ育った環境とはまったく違うオランダという国で妊娠・出産・子育てを体験し、その中で感じた様々なことが書かれているとても興味深い本です。オランダは、ユニセフの子どもの幸福度調査でも常にトップで、多くの子どもたちが生活に満足し幸せを感じている国なのです。ちなみにみなさん日本は何位くらいだと思いますか?いじめや生活満足度といった精神的幸福度の分野においてはなんと33か国中32位と日本はほぼ最下位なのです。トップのオランダでは実に90%の子どもたちが幸せだと感じているのに対し、日本では62%の子どもたちしか幸せだと感じていないのです。なお数学・読解力などの学力分野では日本はトップ5に入っているのですが、「すぐに友達ができる」といった社会的スキル分野においてはまたしても下から2番目なのです。

 ではどうしてこんなにオランダの子どもたちが幸せだと感じているのでしょうか。日本の子どもたちとはいったい何が違うのでしょうか。この本の中でたびたび出てくる『子どもをプレッシャーの中に置くことは最も避けるべきことだ』というオランダの教育方針は、明らかに日本とは違う部分の一つではないでしょうか。日本の子どもたちは小学校へ上がると同時に段階評価を受け、他者と比較され、時には連帯責任を取らされ、競争社会へと突入していくのに対し、オランダの子どもたちは学業成績でトップになることなどは求められておらず、子どもたちだけで外遊びをすることが励行され、遊びの中から自らが判断する力、社交能力や安全・環境面への配慮、他者との関係性などといった社会性を身に着けることに重点を置いて育てられているのです。

 オランダの教育は『人と競争させない』教育であり、それは勉強以外の場面においても同様で、運動会の競技も勝ち負けを競い合うことが前提ではないので、徒競走では仮に遅れている友だちがいたなら、その友だちを待ってから手を取り合って一緒にゴールするといった具合なのです。

 あいにく私の息子はそのリレーがきっかけかどうかは定かではありませんが、その後運動嫌いになってしまいました。でも彼は転んだ人に手を差し伸べるだけの優しい心を持ち合わせた大人に成長してくれたと信じています。他者と競り合うことを教育に取り込むとしたら、勝つことを目標にするのももちろん大事ですが、結果よりも他者への配慮や関係性を学ぶことにより重点を置くべきなのかもしれません。そして成功の体験よりもむしろ挫折や失敗の体験から学べるきっかけを作ることが重要なのではないでしょうか。

 テレビからは連日のようにいじめに関する痛ましいニュースが後を絶ちません。一人でも多くの子どもが幸せだと感じられる環境を作るためにも、その分野においては突出しているオランダから学ぶべきことがまだまだたくさんあるように思います。

(次月に続く)

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 赤沢保育園のクラスの動物のイラストを描いてくださったイラストレーターの西山りっくさんが、子どもたちと一緒にクリスマスお楽しみ会で飾る絵を描いてくださることになりました。詳細についてはまた別途ご連絡いたします。

子供の幸せを願って その1|2021年11月

 子どもの将来のことを考えない親はどこにもいないでしょう。贅沢な望みや過度な期待はしない、月並みな表現ですが、幸せな人生を歩んでもらいたい、親になりたてだった頃は腕の中で眠る小さな我が子を眺めそう願ったものでした。やがて保育園を卒園し、地元の小学校に通うようになると、学校の先生やクラスの友達との人間関係が気になりだしました。学校の成績などは二の次で『どうかいじめなどのトラブルにあわないよう、健やかに楽しい毎日を送ってほしい』そんな祈るような思いで毎朝学校に向かう子どもの背中を眺めて見送ったものでした。

 その後、なんとなく周りの風潮に乗ってしまい子どもたちを学習塾に通わせることになりました。過去の事を後悔することはあまりないのですが、塾に通わせ中高一貫の私立学校へ進学させたことについては、果たして子どもたちにとって良い選択だったのだろうかと今でも半信半疑です。

 自分自身が社会に出て嫌というほど味わった学歴差別を、実は子どもたちの人生を通して無意識のうちに見返してやりたかったのではないかと、そのために子どもたちは遊ぶ時間を犠牲にし塾通いを強いられたことを申し訳なく思わずにはいられないのです。

 結果として荒れていた当時の公立学校には進まずに済んだことは良かったのかもしれないが、じゃあ公立の学校に進んだ子どもたちがすべて不幸で大変だったのかというと、全くそんなことはないはずです。

 子どもの幸せを願って、親は何をすべきなのでしょう。みなさんの選択肢と視野が少しでも広がるよう、私自身が見聞きしたこと、経験したこと、学んだことを今後この場で少しずつシェアできれば良いなと思っています。         (次月に続く)

親の嘘|2021年10月

 2歳になる姪っ子を丸一日預かって面倒をみたときのことです。手をつないで歩いていると、ふと目の前に「うわぁー、これはねだられそうだな~。」と思える場面に出くわしたのでした。私は思わず踵を返し「今日はお金持ってないからね。」と先手を打ったつもりが「うそ!もってるよ」と姪っ子は駄々をこねてしまったのでした。

 この2歳児はおそらく似たような状況下で親から同様のセリフを過去に言われた経験があり、その経験から私の発言を瞬時に嘘だと思ったのでしょう。実際には本当にお財布を持っていなかったのでお金はなかったのですが、親はしつけのつもりで子どもに嘘をつくことがあり、その親の嘘はどのような影響を子どもに及ぼすのか、とても気になったので調べてみました。

 調べていくとダブルバインド(二重拘束)という言葉が出てきました。ダブルバインドとは二つの矛盾したメッセージを出して相手を混乱させる可能性のあるコミュニケーションのことで、親子間に限らず大人の世界でもあることで、エスカレートすればハラスメントに発展するものでもあります。

 では具体的に親子の間でよくあるダブルバインドの例を挙げてみましょう。「おもちゃを片付けなさい、片付けないなら全部捨てちゃうよ」とか、(親)「好きなものなんでも買ってあげるよ」(子)「じゃあこれが欲しい」(親)「これはダメ」(子)「好きなものなんでもいいって言ったじゃない」というものです。誰もが子どものころに言われた経験があり、親になった今は日常で無意識に使っているものではないでしょうか。もちろん親には嘘をついているという意識は微塵もなく、いつだって子どもには「いい子に育ってほしい」「幸せな人生を歩んでほしい」と願っているのです。でも何気なく発せられた親の嘘や矛盾のメッセージで子どもたちは混乱し不安を感じて追い詰められているのです。追い詰められた後でそれが嘘だと知ったら、子どもはどんな気持ちになることでしょう。子どもには「嘘はついてはいけないよ」と教える親が、一方では子どもたちに嘘をついていては説得力がありません。どんなに子どものことを思ってついた嘘でも、嘘は嘘なのです。

 では、いかなる場面でも親は子どもの前で一貫性を保ち、嘘のない正直な姿でふるまわなければならないのでしょうか。完璧を求めるあまり、親がストレスを抱えてしまっては逆に子どもにも悪影響でしょう、と個人的には思います。言葉の駆け引きから相手の嘘や本音を見抜くことも成長していく上でとても大切な学びだと思います。まだ経験や理解力が浅い子どもには時には大げさな表現で物事の重大さを伝えることも一つの手段だと思います。

 2歳の姪っ子はつい半年前まではまだ片言しか話せなかったのに、ずいぶん大人なやりとりができるようになったことが私はとても嬉しく感じました。大切なのは子どもとかかわれる時間や成長を楽しむことではないでしょうか。

引きこもり|2021年9月

 どの局のどういった番組だったか覚えていないのですが、先日たまたま目にしたテレビ番組につい見入ってしまい、とても感動してしまったことがあります。

 始めは『最近こういう類の(ロボットが接客する最先端技術を体験できる)サービスが増えてきたな』という印象でロボットが働いているカフェの映像を何気なくながめていたのですが、その店で働くロボットたちは、実は遠く離れた場所から、何らかの理由で働くことも外出することも困難な人たちが操っているというのです。その遠隔で働いている人たちの中には難病で眼球しか動かせない重度の障害を持つ人もいて、視線による入力といった最先端のテクノロジーでロボットを操縦し、接客もこなしているのだそうです。そして遠隔で働く彼らには当然のことながら働いた分のお給料が支払われているのです。

 このカフェを運営する人物は過去に引きこもりを経験し、その時の体験がこのロボットカフェをオープンさせる大きな原動力になったのだそうです。様々な状況下で外出や働くことができない人々とその家族に大きな希望の光と社会とのつながりを与えた彼の功績は偉大で感動するとともに、このような発想が生まれにくい利益追従型の世の中や働き方も、このコロナ禍を機に何か大きく変革しなければいけない時期に差し掛かっているのではないか、と番組を観終わった後もしばし深く考えさせられたのでした。

 私の知人で動物の保護活動を個人ボランティアで精力的に行っている人がいます。彼女の献身的かつ情熱的な活動は、時に「そこまでする?家族や彼女自身は大丈夫なの?」とハラハラさせられることもあるのですが、そんな彼女の熱心な活動はSNSを通じ多くの人の支持と共感を得ているのです。そんな彼女も過去の多感な時期に引きこもった経験があり、その時に唯一彼女の心を支えてくれた動物たちに今は恩返しをしているのだそうです。

 両者ともに望んで引きこもったわけでもなく、その間には本人も周囲も想像を超えるほど悩み苦しんだに違いないはずです。でもその長く苦しい時期があったからこそ、現在の彼らがいて、それはまさに「人生において無駄な時間や出来事など何一つない」ことを体現しているのです。

 今現在、たとえそれが失敗や無駄、ネガティブに見える物事の渦中にいたとしても、それは将来の大きな飛躍への助走であり必要な充電時間なのだと思います。

忙しいという言葉|2021年8月

 一日に何度となく「忙しい」という言葉を使っていませんか?  もちろん仕事と家事と子育てを両立していれば、時間に余裕などあるはずもなく、つい無意識に出てしまうのがこの「忙しい」という言葉でしょう。

 かくいう私もこの「忙しい」を連発する人であり、そしてある時まではこの言葉を使うことに何のためらいも感じていませんでした。しかし、とある研修でこの「忙」という漢字は、心を意味する立心偏「忄」に、「亡」という旁が組み合わさってできていて、忙しさは心を亡くしてしまうことなのだ、と教わって以降、この「忙しい」という言葉を意識してなるべく使わないように心がけています。

 しかし、なるべく使わないようにしていても、つい口から出てしまうこの厄介な言葉。言ってしまった後で、忙しく振舞う自分の姿が、周りに威圧感を与えてはいなかっただろうか、自分はこの言葉を免罪符代わりにして何かから逃れようとしたのではないか、と反省しています。でも、忙しければその言葉を発する以前に、自分の身振りや形相から「忙しいオーラ」が発せられてしまっているのです。誰かが何かを伝えたいのに、その隙を与えないのは「忙しい」と言い放っているのに等しいのです。

 思い返せば子どものころ、大人たちから言われた「今、忙しいから後にして」というセリフは、すべてが一瞬にして止まってしまう冷淡な呪文のように感じたことがありました。

 子どもの言っていることすべてに耳を傾けることは不可能です。でも時には忙しい手を休め、子どもの言葉にじっくり耳を傾けてみはどうでしょう。ひょっとすると失くしてしまいかけた何かが心の中によみがえってくるかもしれません。

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水の事故にご注意ください

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため開設を取りやめる海水浴場もあるようです。海水浴に出掛ける際は適切に安全管理が行われている海水浴場で、指定された遊泳エリア内であることを確認してから泳ぎましょう。

 水辺では子どもから絶対に目を離さずに、手の届く範囲で見守りましょう。

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緑のじゅうたん・緑のカーテン|2021年7月

 新潟県の都市緑花センターが主催する「にいがた緑のじゅうたんプロジェクト」に応募したところ、赤沢保育園はモデル園に選ばれました。6/14にはさっそく緑花センターの方々にご指導していただきながら、みんなで芝生の苗を植えました。

 今はダンゴムシやカタツムリばかりの園庭も、芝生を植えることでバッタなどの違った昆虫もやってきます。園庭遊びの際も砂埃や泥で靴が汚れることもないし、裸足で芝生の上を歩くこともできます。

 夏の間は養生のために園庭遊びができなくなりますが、ちょうど暑くなってくる頃なので、2階テラスで水遊びが始まります。夏が終わるころには園庭一面が緑のじゅうたんになる予定です。

 2階テラスではプランターできゅうり・ゴーヤを栽培して、緑のカーテンにする予定です。良いお天気が続いてるおかげで、きゅうりの成長がとても早く、先日よりみんなできゅうりの収穫をして、収穫したキュウリを給食で出してもらっています。

 自分たちでお世話をしたきゅうりを自分たちの手で収穫して食べるのは、きっと子どもたちにとっても印象深い経験になってくれていることと思います。

遠足だった日|2021年6月

 一年前の今頃は「来年はきっと親子遠足にいけるだろう」と漠然と思っていましたが、結局一年経っても事態は変わらずで、今年も親子遠足は中止となりました。コロナでできなかったことを諸々悔やむよりも、今は今の状況の中できることを楽しむ。それを改めて実感したのが、今年の春の遠足の日でした。

 先生方は遠足の週に入ると遠足の日が雨の予報であることを気にし始めました。「遠足の日は雨予報だけど、その前日は晴れるみたい。」ということで、急遽遠足の日の前日にお散歩へ行き、遠足当日は保育園の中で遊ぶことに決定しました。

 天気予報は見事に当たり、遠足の前日は晴れ、遠足当日は雨でした。もしこれがバス遠足だったら・・・雨で残念な遠足に終わっていたところです。

 「遠足だった日」の当日には、保育園の中が子どもたちの遊び場に大変身しました。園舎の中は子どもたちの楽しそうな歓声が響き渡ります。ディズニーの着ぐるみを着た先生に大喜びしたり(若干名大泣き)ゲームをしたり、広くなった園舎の中をたくさん走り回ったり、みんなとても楽しんでいました。遊んだ後は、待ちに待ったお弁当の時間です。好きな場所でお弁当を広げて、おうちの人に作ってもらったお弁当をどの子もみんな嬉しそうにほおばっていました。

 長引くコロナ禍で「なぜ今なんだろう」「コロナじゃなければもっと・・・」と思うことも多々あることかと思いますが、子どもたちにとって、おうちの人の愛情を感じながら食べる手作りお弁当があるだけでも、その日一日が特別な思い出の日になるようです。

 ところで最近、一部の子どもたちに算数ドリルが大人気です。「足し算楽しい、もっとやる!」とプリントが足りなくなることもしばしば。子どもたちはいろいろな物事に興味を持ち、些細なことも楽しみに変えてしまいます。大人たちの「きっと子どもは勉強が嫌いだろう」という固定概念で子どもたちの可能性の芽を摘み取ってしまうことのないよう、どんどん興味を広げてあげられたら良いな、と思っています。