園だより」カテゴリーアーカイブ

父と子の絆|2023年10月

またしても昔話で恐縮ではありますが、私が子どもの頃(おおよそ半世紀ほど前)のお父さんというものは、一家の大黒柱で家庭の中でも絶対的な権力を持っており、家族に対しては自分勝手や理不尽なふるまいをしてもそれがまかり通ってしまう、というのがわりと普通な時代でした。「お父さんは怖い」「お父さんには逆らえない」「一番風呂はお父さんが入る」等々、本当にやっているお父さんをこの目で見たことは無いのですが「ちゃぶ台返し」という言葉も昭和の頑固おやじを描いたアニメやテレビドラマが基になっていると思います。私も小さなころから父は苦手で、父が家にいると父の怒りがいつ爆発しないかと常に緊張して過ごしていたように思います。10代も後半になり、世の中の理不尽なことが許せない年頃になると父の身勝手さに反発し、私と父との距離はますます離れていきました。

そんな父との繋がりが少しずつ戻り始めたのは、だいぶ最近になってからのことです。当時働いていた職場でふと自分の実家が保育園を営んでいることを話すと、同僚のうちの一人が当時父の書いていたこの園だよりをHP上で眺めてとても興味を持ってくれたのです。私が父にその話をすると父はたいそう喜び、頼んでもいないのに毎月園だよりが送られてくるようになりました。その頃から父は週末になるとやたらと私に電話をかけてきて、私も時間が許す限りは父と話をするようになりました。すると若いころはまるで気づかなかったけど、私自身の嗜好はほとんどが父譲りであることに気づかされ、旅行や食べ物のことなどにはずいぶんと話しに花が咲きました。小さい頃は無理やり父の運転する車に同乗させられ、当時はカーナビなどもなかったから地図を見て道案内をしろと言われるがままに道案内をし、挙句道を間違えては怒られて、と嫌な思い出しかなかった父との恐怖のドライブも、今の私の旅行好きの原点を形成しているように感じます。

また私と同様、写真を撮ることが趣味だった父は、大量の写真とネガを残していきました。今、フィルムカメラで撮られた写真を一枚一枚眺めていると、シャッターを切った当時の父の心情までもが伝わってくるようです。

令和のパパは昭和のお父さんに比べたらもっとずっと器用に、そしてスマートに子どもたちと関わっているように思います。それでも子どもへの思いがなかなか上手く伝わらないこともあるかもしれません。しかし愛情を持って接したことは必ずいつか伝わるものだと、私は信じています。

習い事|2023年9月

みなさんのご家庭では子どもに何か習い事をさせていますか?もしくはご自身は子どもの頃に何か習い事をしていましたか?

先日、3歳になる姪っ子がスイミングに通い始めたが、数回行ったところでやめることになった、という話を聞きました。親はわがままいっぱいに育った娘をスポーツで鍛えなおそうと思ったのがスイミングに行かせる動機だったようですが、姪っ子は泣きわめいて全力で行くことを拒んだようです。物事はなかなか親の思惑通りにはいかないようですね。

子どもがいる友人と話しをしていると、話題は自然と子どもの習い事にたどりつきます。どんな習い事が良かったか、そもそも習い事をさせるべきなのか、習い事に関しては人それぞれ多様な考え方があるように思います。

私自身も子どもの頃に習い事をしましたが、残念ながらそのどれもが長続きすることはありませんでした。当時は自らがやりたいという強い意志を持って始めたわけではなく、なんとなく周囲に流されて始め、結果すぐに飽きてしまった、という感じでした。むしろ自分でやりたいと思って独学で始めたことの方が長続きした経験もあり、自分の子どもには習い事をさせることはありませんでした。

しかし今になって「子どもの頃にやっておけば良かった(子どもにさせておけば良かった)」と思うことがいくつかあります。それはそろばんだったり、ピアノだったりと、割と今でも一般的な習い事ではありますが、お会計の時にさっと計算が出来る、好きな曲をピアノでぱっと弾ける、というのは生きていくうえでも大きな利点ではないかと思います。

逆に自らの経験で子どもの頃からやってもあまり意味がないのでは?と思う事の一つに英語があります。私自身、子どもの頃に英語を習いましたが学校の授業で英語を習う頃にはきれいさっぱり忘れていてまったく役立たなかった、というのが正直なところです。しかし習い事としての英語がまったく役立たなかったわけではなく、日本人以外とコミュニケーションを臆せず取れるようになったのは、子どもの頃の経験が多少なりとも役立ったように思います。

赤沢保育園の「英語遊び」は単に「英語」や「英会話」の習得を目的としているわけではなく、幼児期から遊びの中で「英語」(異文化)に触れることで、日本以外の国に興味を持つこと、英語に限らず日本語以外を母国語とする人々とのコミュニケーションを抵抗なく取れるようにすることが主な目的です。また日頃の保育の中に組み込むことでより無駄なく効果的に「英語」(異文化)に触れる体験が出来ると考えています。

赤沢の子どもたちが将来新潟から世界中に向けて羽ばたいてくれることを願っています。

ケンカ|2023年8月

子どもたちが数人集まれば、大なり小なりケンカが始まります。保育園の中でも子ども同士のケンカは良く目にします。園児たちのケンカの原因はおもちゃの取り合いや順番やルールを守らない、といったことが多いでしょうか。子どもたちはお友達や兄弟とのケンカを通して、世の中には自分の思い通りに行かないこと、時には我慢して自分の気持ちに折り合いをつけることを学び、社会性を少しずつ身に付けて成長していきます。いわばケンカは子どもにとって心が育つための栄養のようなものです。ご家庭でも頭ごなしに「ケンカはダメ」と叱らず、成長の良い機会と思って見守ってあげる姿勢も大切です。相手に暴力を振るうことはやってはいけないことですが、多少のことであれば受ける側も加える側もその加減を知るうえで貴重な体験となります。しかし感情のコントロールが未熟な子どもたちのケンカは、大きなけがや事故にもつながりかねません。状況がエスカレートする場合は『絶対にやってはいけない事』を、大人はその場でしっかり教えなければいけません。

さて、話は変わって今度は夫婦ゲンカの話です。子どもが生まれるまではほとんどケンカなんてしなかったのに、子どもが生まれてからは些細なことで言い争いが絶えなくなった、なんていうご家庭もあるかもしれません。ご多分に漏れず私もその一人でして、子育ての方針から始まり、家事やお金の事に至るまで、ケンカのネタは日々泉のごとく湧きあふれ尽きることがありませんでした。そんなわけで年がら年中子どもたちの前で夫婦ケンカを繰り広げていたのですが、子どもたちにとって親のケンカはどのように映っているのでしょうか。例えるならば狭い電車や飛行機の中で誰かが怒鳴り声をあげたとします。辺りは一瞬にして緊迫した空気が流れ、不安から誰もがその場から逃げ出したい気持ちにかられることでしょう。今更我が子たちにこのような状況を作ってしまったことを後悔してみても、起きてしまった過去を変えることは出来ません。私が今感じていることは、両親の関係は子どもの将来のパートナーとの関係や家庭観に少なからずとも影響を与える、ということです。夫婦の間で我慢するようなことがあっては良くありませんが、万が一ケンカになりそうな空気が流れたなら、子どもの将来を思い、その場はぐっと堪え、子どものいない場所、いない時間を選んで存分に戦ってください。

最後は大人のケンカの話です。職場での人間関係は転職理由の常にトップに位置するのではないでしょうか。職場での人間関係が良好であれば、その仕事自体に多少の不満があっても何とか乗り切れますが、ひとたび人間関係が崩れてしまえば仕事を続けていくのも困難になってしまうほど人間関係とは重要なものです。大人になってからの揉め事は残念ながら子どものそれとは大きく違い、一晩寝たら翌日にはケロッと忘れて仲直りできるようなことはほぼありません。つい先日も身近で似たようなことが起こり、子どもたちが将来世の中に出て周囲とうまく生きていくためには、勉強よりも何よりも、良好な人間関係を築けるか否かが最も重要なカギではないか?と改めて感じています。

仲良きことは素晴らしきことではありますが、子どものうちにケンカをたくさんすることも、将来相手の立場に立って物事を考えられる大人になるためには必要なことではないでしょうか。

こども家庭庁とは?|2023年7月

昨今の少子化問題やいじめ、貧困や虐待など、子どもをめぐる問題に取り組むため、今年の春にこども家庭庁が設立されました。では具体的にこども家庭庁は子どもや子どもを持つ家庭に何をしてくれるところなのでしょうか?いろいろ気になるので少し調べてみました。

設立された背景にまず「少子化に歯止めがかからない」状況が挙げられています。2021年時点の出生数は81万人と過去最少となりました。ちなみに第2次ベビーブームと呼ばれた昭和48年の出生数は209万人でした。

こども家庭庁の役割としては『小学校就学前のこどもの健やかな成長のための環境の確保、家庭における子育て支援体制の整備、こどもの適切な遊び場や生活の場の確保、安全安心な生活環境の整備、保健の向上、虐待・いじめ防止』などが掲げられています。また保育園も厚生労働省からこども家庭庁の管轄になりました。

そしてこども家庭庁の設置に伴い「こども家庭庁設置法」「こども家庭庁設置法の施工に伴う関係法律の整備法」「こども基本法」という3つの法律も制定されました。それぞれの法律の中身にさっと目を通してみましたが、正直な感想を述べると至極当然なことが書き連ねてあり、そしてそこまで子ども中心に考える必要があるのか?という印象で、どちらかというとこれら法改定は、今までの国の縦割り行政を打破するための策であって、私たち国民側にはあまり変化は無いように感じました。

ところでこの「こども家庭庁」の子どもの表記がひらがななのは当事者である「子ども」にも読めるように、「こどもの日」もひらがなだから、という理由からだそうです。官僚のみなさまが必死に子ども目線になって考えてくださっている熱意は伝わるのですが、そんなことよりも先にもっと考え、解決すべきことがたくさんあるのではないか?と意地悪な感想を持ってしまいます。子ども一人を育てるのに、たくさんのお金がかかる今の世の中では、若い人たちは将来に希望を持てないのではないでしょうか。実際、30代の独身女性と話をする機会があったので結婚や子育てについて聞いてみたところ「得られるものよりも苦労の方が大きそうで興味が持てない」という残念な答えが返ってきました。給付金などというその場しのぎの策に頼ることなく、根本的な改善がなされることを願ってやみません。

洗濯の憂鬱|2023年6月

みなさんのご家庭では毎日お洗濯していますか?おそらくほぼすべての方が“Yes”と答えるのではないかと思います。子どもが小さかった当時の記憶を呼び覚ますと、朝はあわただしく時間もないので仕事から帰り夕飯の支度をしながら洗濯機を回しつつ、食事の後片付けが終わったら洗濯物を干して、子どもたちをお風呂に入れて、寝かしつけて、そんな目まぐるしいルーティンを日々こなしていたように思います。時には疲れ果て、洗濯機を回しながら子どもたちと一緒に寝入ってしまい、翌朝洗濯槽の中で脱水されたままの洗濯物を見て絶望感に浸ったことが何度となくありました。
昔話で恐縮ですが、当時の洗濯機は縦型の「全自動洗濯機」全盛期でした。今では洗濯機は「全自動」が当たり前ですが、当時は2層式の「全自動でない」洗濯機も現役で使われている時代でした。その一方でドラム式洗濯機や乾燥機もあるにはありましたが、まだまだ少数派でコインランドリーに行くと見かける程度の存在でした。
しかし、その数年後、奇跡的に我が家にも乾燥機がやってくることになりました。「これで私も洗濯の憂鬱から解放される!」と喜んだのもつかの間、当時の電気乾燥機は今のものとは比べ物にならず「乾くのにいったい何時間かかるの?」「乾いてもしわくちゃでしわを伸ばす方が大変ですけど」といった具合で、私の洗濯の憂鬱は残念ながら消えることはありませんでした。
それ以降も「時間のかかるしわくちゃ乾燥機」と「全自動洗濯機」の二つをあまり深く考えずに使い続け、ほぼ子育てを終えたころにふと急に洗濯機を買い替えたい気持ちになり「ドラム式洗濯乾燥機」を買うことにしました。例の「しわくちゃ乾燥機」のおかげで乾燥機能に懐疑的だった私はドラム式が来てからもしばらくは乾燥機能を使うことはありませんでした。しかしある時どうしても急いで乾かしたい事情に迫られ乾燥機能を使ったところ想像以上にふんわりきれいに早く乾き、私の洗濯にかける時間がそこから一気に短縮されることとなりました。
子育て時代はあれだけ憂鬱だった洗濯も、今では好きな家事の一つになりました。最近では環境のことも考え、合成洗剤から洗濯せっけんに変えてみたりしています。これからの季節、雨で洗濯物が乾かない、と憂鬱になることもあるかもしれませんが、そんな時は洗剤を変えてみたり、今流行りのおしゃれなコインランドリーに行ってみたり、と気持ちだけでも晴れ間がのぞくようになると良いな、と思います。

お弁当作り|2023年5月

この春から上のお子さんの進学、進級に伴いお弁当作り生活がスタートした方もいらっしゃることかと思います。また久しぶりに迎える行動制限のない自由な行楽の季節、お弁当を持ってどこかに出掛ける機会も増えることでしょう。来月は保育園でも親子遠足が予定されています。 自分が食べるぶんにはお弁当はとても楽しみなものですが、いざ作る側となるとその負担はそれなりに大きなものです。彩りや栄養、冷めても美味しく食べられるか、夏場は傷みにくいもの等々、毎日日課として作るお弁当も大変ですが、たまに作るお弁当もそれはそれで頭を悩ませるものです。

つい先日、どこかで目にした文章ですが、海外在住のご夫婦で現地人のご主人から言われた通りに昨夜の残り物をお弁当箱に詰めた日本人の奥さん。しかしその見た目のあまりの質素さに「ブロッコリー付けようか?卵焼き焼こうか?」と必死でおかずを増やそうとしたところ「日本のベントーは高級なおもてなし料理であってオフィスに持っていくものでは無い。あれを毎日当たり前に作って食べる文化の方が私にはクレイジーなレベルに感じる」と答えたそうです。この言葉を聞いて「よくぞ言ってくださった!」という気持ちになった方も多いのではないでしょうか。

私自身も子どもたちが中学、高校に通っていた間、日々お弁当作りに追われました。息子は食物アレルギーがあったので保育園時代も給食に食べられないメニューがある日はお弁当を持参していました。毎日あれこれ考えて作ったお弁当なのに子どもに「お弁当のおかずで何が一番好き?」と聞いて冷凍食品の名前が出た時は正直泣けました。そして手抜きして作ったお弁当の方がむしろ好評で、お弁当作りにおいては時間や労力が必ずしも結果に結びつかないことを(肩の力を抜くことを)学びました。

とは言え、子どもの喜ぶ顔見たさについつい頑張ってしまうのが親心。そんな気持ちをバックアップしてくれるかのように今はお弁当のレシピに関する情報がネット上にも本屋さんにも溢れています。『そこまで手間ひまかけられない』という方はスーパーに行けば数多くのお弁当用の冷凍食品や出来和えのおかずもあります。決して推奨するわけではありませんが、時にはそれらをうまく活用して家事育児のバランスを取ることも大事だと思います。

『映える』キャラ弁が作れたらもちろんそれに越したことはありませんが、お弁当作りはコンテストでもなければ、出来栄えは必ずしも親の愛情を測る物差しでもありません。たとえお料理や盛り付けが苦手でも、子どもたちはあまり気にしていないように思います。むしろみんなでお弁当を食べる楽しみや自分のためにお弁当を作ってくれたことへの感謝の気持ちの方が後々心に残るのだと思います。

子どもの事故を未然に防ぐために|2023年4月

子どもの痛ましい事故のニュースほど聞いていてつらく切ないものはありません。今月名古屋で起きた2歳児の転落事故は、母親がほんのわずかな時間子どもたちから目を離しただけで大きな事故につながってしまいました。窓にはロックを付け施錠もしていた、と聞くと事故対策は万全のようですがそれでも起きてしまった今回の転落事故。このような子どもの事故を未然に防ぐために私たちは日頃からどのようなことに気を付ければよいのでしょうか。

普段の生活で私たち大人が子どもから一瞬たりとも目を離さないというのは限界があります。そう考えると事故が起きない環境づくりというのが一番重要になってきます。しかし「対策をしていても、子どもは想定できない行動をする」というのが現状のようで、窓からの転落事故に関連しては以下のような体験談もあります。

窓の近くには足場になるようなものを置かない・・・「足場なしでもいつの間にか窓枠をつかみ数秒で窓によじ登るようになっていた」

子供の手が届かない位置に補助鍵を設置する・・・「傘を使って解除していた」「鍵に手が届くよう台を積み上げていた」

このように子どもは大人が思う以上の行動をとることがあるので2重3重の対策が必要です。なお、国土交通省では「子育て支援型共同住宅推進事業」として事故防止や防犯対策など子どもの安全を守るための費用を補助する制度も用意されています。

(以下、国道交通省ホームページより抜粋)
<制度の概要>
子どもの安全確保に資する設備の設置に対する補助
転落防止の手すり等の設置や防犯性の高い玄関ドア等の設置など、住宅内での事故防止や不審者の侵入防止などを目的とした子どもの安全確保に資する設備の設置に対して支援します。(概要資料:https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/content/001590166.pdf)
転落事故に限らず子どもに関連する事故をまとめた「事故防止ポータル」が消費者庁からも出されています。
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_safety/child/
様々な過去の事例を知ったうえで、今一度身の回りや普段の生活の中で事故に繋がるようなものが無いか見直してみましょう。

花いちもんめ|2023年3月

つい先日のことですが、最近の子どもたちは『花いちもんめ』遊びができない、という話を先生方から聞きました。なぜ出来ないのか?詳しく聞いてみると「相談しよう、そうしよう」のくだりで今の子どもたちは相談して一つの答えがなかなか出せないのだそうです。その話の流れで最近の子どもたちにお気に入りの給食のメニューを聞いても以前のように「あれが食べたい!これが食べたい!」といった活発な意見が出ることもない、という話も聞きました。自分が子どもだった頃と現代では子どもを取り巻く環境もずいぶんと様変わりしているので、それらを即問題視するのは軽率な気もしますが、意見や考えがまとめられない、そもそも意見が出ない、というのはだいぶ深刻な問題ではないでしょうか。

「花いちもんめ」に話は戻りますが、そもそもこの遊び自体にいじめの要素があり、遊びとしては良くないという意見もあるようです。しかし、今はいろいろな物事に対し周囲が過剰に反応し、良くないと思われるものは排除してしまう傾向にあり、私はむしろそのことの方が問題なような気がしています。遊びという架空の世界で子どもたちは時には少々過酷と思えるような状況に直面することもあるでしょう。でも子どもたちはその体験を通し将来の実社会での人との関わり方や問題の解決のすべを学んでいくのではないでしょうか。伝承遊びの中には、長く親しまれてきた理由があるように思えます。しかしながらそのような遊びも、今ではゲームやYouTube に取って代わられてしまいもはや風前の灯です。

もちろん子どもが社会性を身に着けられる場面は遊び以外でも十分あることでしょう。とは言え、子どもたちの興味の多くがゲームやYouTube といった一方通行の受け身の媒体にシフトし、コロナ禍がさらに人との繋がりを遮断してしまった現代で、どうやって自分の考えや意見を発信し、他者の意見に耳を傾け、周囲と関わりを築いていくすべを学ぶのでしょうか。幼少期の多くの時間を過ごす保育園は単に親が働いている時間に子どもを預かるという役割以外にも、普段の生活や遊びを通じて子どもたちが社会性を身に着ける場、という大きな役割を担っていることを改めて肝に銘じ、保育に取り組んでいきたいと思います。

連絡帳|2023年2月

毎日連絡帳のご記入どうもありがとうございます。

ところでみなさんのご家庭では、保育園の連絡帳を記入するのはどなたが担当されていますでしょうか。おそらくほとんどのご家庭ではママが記入しているのではないかと思います。慌ただしい朝に子どもたちの体温を測り、食事の内容や排便、家庭での様子を書くのは大変な作業だと思います。ましてや兄弟で保育園に通っているとなれば複数の連絡帳を記入することになります。毎日本当にお疲れ様です。先日、インターネット上でどこかのパパが書いた連絡帳を目にする機会がありました。ピンチヒッターで急遽育児に参戦し、保育園の連絡帳を書くことになったパパの若干の戸惑いとパパ目線の子どもを観察する正直なコメントに思わず大爆笑してしまったのですが、連絡帳も時々はママ以外の人が書いてみても良いかもしれませんね。(普段から育児に関わっていないと連絡帳も急に書けるものではありません。ここまで出来て初めて育児も分担出来ている、と言えるのではないでしょうか。)

あれは何年か前の引越しの時だったと思います。古い荷物を整理していたら、我が家の子どもたちが保育園に通っていた当時の連絡帳の束がごっそり出てきました。私は思わず荷造りの手を止め、連絡帳の束をほどきその中の一つを読み始めました。ページをめくるたびに蘇る鮮明な記憶や「初めて〇〇ができた!」という喜びの感想が日付と共にしるされてあり、連絡帳の存在すらすっかり記憶から消え去っていた私にとって、それはまさにタイムカプセルを開けたような体験でした。もちろん中にはやっつけで書いたような殴り書きに近い日や一行しか書いてない日もありましたが、それすらあの慌ただしくも愛おしい日々を思い出させるのに十分で、涙なくしては読めませんでした。

今では保育園の連絡帳も紙からスマホのアプリに変わりつつあります。
利便性や環境面を考えたらその変化もいつかは受け入れなければいけないのかもしれませんが、果たして紙の連絡帳以外でこの感動は得られただろうか、などと思ったりしています。連絡帳はもちろん過去を懐かしむアイテムではなく、保育園と保護者の情報伝達が主たる目的ですが、大切にとっておくと、将来とても楽しめる、という特典付きです。そんな事を少し意識して連絡帳を書いてみるのも良いかもしれません。

不適切保育|2023年1月

保育園での不適切保育に関するニュースが後を絶たちません。当初そのニュースを耳にした時「報道は事実を全て伝えているのか?テレビやニュースは事のすべてを語らず、話題性に富むようあえて部分的な取り上げ方をしているのでは?」と疑わずにはおれませんでした。しかし逮捕者が出るような状況を考えれば、それは残念ながら事実なのでしょう。ごく普通の保育園で、しかも地域では比較的評判の良かった保育園、さらには私たちが住む新潟市の保育園でも起きている不適切保育や虐待事件は、極めて残念であり考えさせられることもたくさんあります。

人材確保が厳しい保育園の状況や保育士の待遇面の悪さなども問題視されています。国の基準では一人の保育士に対し6人の1歳児を保育する配置基準となっており(新潟市の基準では1対3)仮にこの基準で保育士を配置したとすると十分な休憩時間の確保や休暇を取得する事も難しくなってきます。このような労働環境に加え、ここ数年ではコロナ対応も増え、ストレスでゆとりを持った保育が出来ず、その結果子どもを虐待してしまったのかも知れません。しかし本来子どもを守る立場にある保育士はどのような理由があったとしても不適切保育や虐待をしてはいけないのです。ましてやストレスのはけ口を子どもに向けるなどとは言語道断なのです。

どこの保育園でも子どもの健やかな成長を願い、一人ひとりに寄り添う保育を目標に掲げ、また保育士であれば誰もが大切な命を預かる事の重大さは資格を得る過程で十分に学んできたはずです。それでも結果としてこのような事件が複数の保育園で起きてしまっているのです。

どのような場合でも理想と現実には差があり、保育士という職業もその例に漏れないと思います。他の職業に比べたら、むしろ保育士は子どもの頃からの夢を実現させて職に就いている人が多いかもしれません。問題を起こした保育士たちもきっと子どもが好きだから保育士を仕事として選んだのではないでしょうか。子どもたちに慕われる保育園の先生を夢見ていた時期があるのではないかと思うととても残念でなりません。彼らの暴走を周囲は止めることができなかったのでしょうか。

このような不適切保育や虐待の防止策として外部研修を受けさせるのも一つの方法かもしれませんが、それ以前に健全な保育が行えるような環境づくりこそが最重要課題ではないかと考えます。