園だより」カテゴリーアーカイブ

2014年「園だより」を振り返る|2015年1月

 2014年も残り少なくなりました。今年はどんな年だったのかと振り返ってみる気持ちの時でしょうか? 皆様それぞれの思いで年の暮れと対面かと思います。京都清水寺の恒例の今年の漢字選びは『税』の字が選ばれました。消費税が5%から8%になりじわじわと物価の上昇を感じ、その分手持ち金額の目減りを感じこれがアベノミクスとは一体何なのかなあと変な気分を感じているのは私だけでしょうか?

 補聴器メーカーでリオンという会社がありますが、そのリオン社が「今年の音」というテーマで意見を集めたところ一位が号泣県会議員の泣き声だそうで、なるほどですね。47歳の男性議員が議会で質問の追及を受けると幼児顔負けの大声を張り上げての泣きっぷりはネットのお陰で世界的な注目を惹いたようです。

保育園の音的には園児・子ども達の間の今年の大人気は何と言っても『妖怪ウオッチ』テーマ曲の「ゲラゲラポーの歌」ですね。古くは「泳げタイ焼きくん」「団子三兄弟」や「さかなのうた」などの流行ぶりがおもいだされます。

 毎月「園だより」作成にあたっては、子育て真っ最中の保護者の皆さんにとって少しでも為になり役立つ情報や励まし指針となるものを、25年以上になる保育に従事した経験、またそれ以前の物造り業務に30年以上関わった経験と何だかんだと結局80年以上にもなる人生経験を通してこれはと感じるものを選んでおります。それだけにご紹介・お知らせしたものには永久保存して、折に触れて思い出し心がけて戴きたいものばかりですが、今年の「園だより」中から、これはという言葉を幾つかを選び出してみました。

 2月号では、一万円札でおなじみの福沢諭吉の「心訓七則」をご紹介しました。これが福沢諭吉のものではなく偽作とのことですが、その中の言葉は素晴らしい。七則の書き出しは、「世の中で一番‥」で始まって「楽しくりっぱなことは一生涯を貫く仕事をもつこと」。 二番目は「みじめな事は人間として教養のないこと」。 三番目「さびしい事はする仕事のない事」。 四番目「みにくい事は他人の生活をうらやむ事」。 五番目「尊い事は人のために奉仕して決して恩にきせないこと」。 六番目「美しい事は全てのものに愛情をもつこと」。 七番目「悲しい事はうそをつく事です」。偽作とはいえ心訓の言葉はその通りです。その心はきちんといただきましょう。

 3月号は、相田みつおの言葉を幾つかご紹介しました。その中の一つ、「つまづいたり ころんだり するほうが自然なんだな にんげんだもの」。人生いろいろあります、わるいときもあります、そんなときは肩の力を抜いて別の角度から考えてみましょう。

 4月、5月はスキップして6月号の『名語鑑賞』、孔子の言葉「之を知るを之を知ると為し 知らざるもは知らずと為す 是れ知るなり」:知っている事は知っていると言い 知らない事ははっきり知らないとさせる、それが本当に知ることである。当たり前の事なのですがそれが案外できないのですね。

 8月号では号泣県会議員をとりあげました。あの泣きっぷりは理解に戸惑います。年は取っていても心はまだ子どものままの部分が多く残されているとしか考えられません。パニックになると「ママ、みんなボクをいじめるんだよー、」 と。是はなかなか難しい問題です。どこまで、いつまで親としてかかわるのか子どもの成長に併せて判断していかなければなりません。一人一人異なります。親ばか結構です。12月号の辻井さんの言葉にもありましたように。しかし、それも過ぎるとろくなことはありません。ばか親にならないように。そのためには人の意見を聴き広く教養を深めることですね。

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≪絵画展結果のお知らせ≫

毎年園児達の作品を応募している新潟日報社主催の「県ジュニア美術展」、今年の結果が11月末に発表がありました。今回はうさぎ・ぱんだ・ぞう組の作品29点を応募しましたが、ぱんだ組穴山果林さんの作品一点が奨励賞に入選、その他は佳作でした。結構いい出来のものを選んで特賞、優秀賞をとねらったのですが、審査の先生方との見解の違いでしょうか、結果予想が違いました。何年か前になりますが優秀賞に入ったことはあるのですが、特賞はまだありません。

 同じく絵画作品展で近年応募を続けているのが毎日新聞社主催の3歳以上~小学校6年生までが対象の『全国児童画コンクール』があります。市内大手スーパー『原信・関屋店』が窓口で応募しております。賞として文部科学大臣賞(幼児1名、小学生1名)その他があります。近年の応募総数は50万点以上ありの全国規模。入選枠が10,000点、仮に応募数が50万として確率は50点中の1、優秀賞枠が約2千点で同じく応募250点中の1になります。今回その優秀賞にぞう組の山田雪乃さんの作品が入賞致しました。よかったですね。

 「原信関屋店」で元日(木)~7日(水)まで赤沢保育園の応募作品が展示されます。うさぎ・ぱんだ・ぞう組全員の作品で応募しましたので、ご覧になりたい方は「原信関屋店」までお出かけ下さい。

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≪サンタクロースご来園≫

 12月25日(木)のクリスマス、園児達お待ちかねのサンタクロースがプレゼントを持ってやって来ました。 子どもたちは「煙突がないのにどこから入ってきたの」かと真剣な顔で尋ねておりました。ホントにどこからきたのでしょう? (実は新潟大学工学部のご協力なんですが‥。)

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「明るく楽しく そして諦めない生き方」|2014年12月

 今回は、10月末に新潟県保育士会主催の「保育士研修会」に参加したT保育士の参加報告レポートが大変素晴らしい内容でしたので、それをほぼそのまま紹介させていただきます。

 研修会の講師は辻井いつ子さん、彼女に授かった初めての子どもが先天性の全盲とわかった時は真っ暗な奈落世界に突き落とされたような絶望感を味わわれことかと思われます。しかし辻井さんはその息子・伸行さんを世界的に有名な米国のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに出場して金賞獲得を成し遂げ、世界的なピアニストに育て上げた母親の子育て奮闘物語がこの研修会。上記表示の「明るく楽しく そして諦めない生き方」が講演の題名。

 前置きはこの辺で、保育士TYのレポートの紹介に移ります。

保育士TYの研修報告書: (辻井いつ子氏の講演)

〇1988年(昭63)に生まれた長男伸行さんが生後間もなく全盲とわかる。

〇8ヶ月頃、童謡だけでなく自分の好きなクラシック、ポップスなどを聴かせてみたところ、ショパンの「英雄ポロネーズ」をロシアのブーニン演奏のものが流れると、リズムをとり、笑顔、とても喜ぶ。ブーニン以外の別の演奏家のものには全く反応がない。母はこの時(8ヶ月の伸行が)演奏家による曲の違いを聞き分ける能力があると確信

〇また、2歳3ヶ月目の頃、母の鼻歌を2、3回きくと覚え、童謡だとおもちゃのピアノではあるが上手に弾いた。そこで早い時期に本物のピアノをと週に一回講師が弾くピアノの音楽鑑賞。本格的なピアノレッスンではなく、楽しめる指導をしてもらった。→その後、様々な児童少年対象の音楽コンクールで優勝。

〇全盲だからわからない、出来ないのではなく、やらなければわからない。やりたいと思うものはとにかくやってみれば良いという母親の考え、プラス思考でありたい。ピアノを弾くきっかけだけでなく他の水泳、スキー、キャンプ、美術鑑賞、登山等々。

〇心豊かにいろいろな事を体験すると人間の幅が広がる。

〇子どもは親だけには無条件に褒めてもらいたい、愛されたい、どんな事があってもお母さんは自分の味方。親も子も信じてあげる→親子の関係。

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≪「親ばか力」で才能を引き出す10の法則≫

①子どもの可能性を信じる―
     大きな可能性があると信じる。「もしかして天才かも」

②よく観察し才能の種を発見する―
     愛情を以って子を見つめ小さな反応や変化を見落とさず、
     何に興味関心あるか見極める。親の固定観念で子をみない。

③始めるに「早すぎるは」ない―
     子が興味を持つことを積極的に援助し「やる気」を膨らませる。
     そして親も一緒にやってみる。

④思いっきり褒める抱きしめる―
     小さな達成感を積み重ねて自信を持たせる。自分ががんばれ
     ば喜んでくれる人が身近にいる事を体感させる。

⑤ネガテブな言葉は使わない―
      「できない」「無理」「ダメ」といった消極的な言葉は×。
      「大丈夫」[きっと出来る」「いつも通りにやればいいのよ」

⑥ファン第一号になる ――
     子のやる気が定まってきたら親子で夢を共有し応援する。 支えて
     くれる人が身近にいる事 を体感させる。

⑦ひらめいたら即アクション―
     ダメで元もと、失敗を恐れず思い立ったら即実行。[勇気と決断力]
     を持つ。やってダメなら次にトライ。

⑧本物に触れさせる ――
     心を耕す事が大切。五感で味わう大自然。生演奏の音の輝き・・etc.
     本物の迫力が心を豊かにする。

⑨いい先生を見つける――
     人との出会いを大切に。親の出来る事は限られる。積極的にアプ
     ローチして、アドバイス、パワー、チャンスをもらう。

⑩明るく楽しく諦めない――
     どうせやるなら親自身が明るく、楽しく。そのプラス感覚が子どもの
     養分になる。あきらめない熱意でチャンスを呼び寄せる。

≪受講の感想≫   伸行氏の生い立ち、子育てエピソードの話から講演が始まりました。どんな立派な音楽一家で、英才教育をしたのかと思っておりましたが、全盲のハンデイを持つわが子が、好きな事、趣味を持って明るい未来をと願う母の子育ての話でした。その中で8ヶ月の頃、演奏家の違いを聞き分ける能力にいち早く気付き、現在の伸行氏あるのは母の深い愛情、強い信念があったからだと感じました。上記の10の法則は保育にも生かせるところがあり参考になりました。幼いから出来ない、わからない‥‥のではなく、いろいろと体験させてあげたり、「大丈夫」「きっと出来る」などの何げない一言・対応が大事なのだと思いました。

 心の栄養となる楽しい研修に参加させていただき、ありがとうございました。

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やって見せ 言って聞かせて させて見せ 誉めてやらねば 人は動かず|2014年11月

 上記の言葉は新潟県長岡市出身の山本五十六(いそろく)が遺した有名な言葉です。山本五十六は、かつて日本がアメリカと開戦した当時の日本海軍の最高指揮官、連合艦隊司令長官でした。日米開戦後2年目の昭和18年(1943)最前線を航空機で移動中アメリカ軍戦闘機の襲撃をうけて戦死。死後元帥の称号を受ける。葬儀は国を挙げての国葬で、当時小学生だった園長も市内の式場参列に駆り出されたように記憶している。大戦後約70年になる現在、今更軍人の言葉ということではなく、人を動かしまとめる最高責任の立場の人の言葉として受け止めて理解して下さい。付言しますが、山本五十六は日米開戦には最後まで反対の姿勢でしたが、国が開戦を決めた以上それに文字通り身命を投げ打って従ったのでした。

 上掲の言葉は部下を持つ管理者や指導者的立場の人、子育て中の父母の皆さん方にとっては大いに参考にしていただきたいものです。人を動かして成果を得るためにはまず当人の理解や納得がなければ決して好ましい結果にはいたりません。上から目線でガミガミ権力的に言っても、また甘い表現や卑屈になっても決して本当の納得や理解を得ることはできません。
 また、子どもの場合は成長の過程で反抗期が在ることはご存じの通り。反抗は自己主張の表れですから反抗的な言動に対してまともにぶつかっては事は進みません。そんな時こそ「やって見せ ‥‥」のこの言葉思い出し実践することです。
そしてある程度の成果が出たら必ず誉めてやることを忘れないで下さい。

 山形県米沢市にあった米沢藩藩主上杉家は元々戦国時代越後の武将上杉景勝(謙信の養子)を始祖とし新潟とはゆかりが深い。その上杉家の第9代藩主上杉鷹山(ようざん)公は江戸時代屈指の名君として知られている。その鷹山公は数々の優れた名言をのこしております。そのなかに「してみせて 言って聞かせて させてみる」があり、山本五十六の言葉はこれを元にしたと言われております。
 その他鷹山公の有名な言葉には、「成せばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」があります。これは何事も実際に成し遂げようとする覚悟でやってみれば大抵できるものだ。結果が出来なかったのは、やり遂げる際しっかりした意思を持ってやらなかったからだ、との厳しい戒め。

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芋堀り遠足 お蔭様で無事終了

 年中行事の大きな楽しみの一つ『芋掘り遠足』、平成3年秋以来、収穫場所の江南区酒屋町を毎年訪問、今回で24回目になります。変わりやすいもののたとえに「秋の空」があります。その天候不安定な時期にこれまで一回も雨による変更なしで続けてこれたことは奇跡的好運、それだけに天候が気になります。今回10月3日(金)当日は朝から小雨模様でハラハラしましたが、何とか無事に終了致しました。皆様のご協力に感謝します。

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子育て四訓|2014年10月

教育保育の場で表題の『四訓』が注目されています。
ご紹介をかねて一緒に考えてみましょう。

  1.    1. 乳児はしっかり 「肌を離すな!」
  2.    2. 幼児は肌を離せ 「手を離すな!」
  3.    3. 少年は手を離せ 「目を離すな!」
  4.    4. 青年は目を離せ 「心を離すな!」

 ネットでは「アメリカインディアンの教え」とか山口県の教育家がその経験を通してまとめられたものとかと言われております。その出典来歴はさておいて、子育てと関係ある立場にあっては心に響く言葉です。

 子育てに関してこの「四訓」は若い親たちにとって分かりやすくリズミカルに要領よく基本的な要点を押さえた名言だと思います。
 とは言ってもいざ実践となるとこれだけでは分かりにくい問題が多くあることに気がつきます。
 例えば「乳児」の定義一つとってもいろいろあります。乳児の定義は一般的には母乳(人工乳も含む)を主たる栄養源としている時期、満一年前後の離乳時期までが乳児と解することが一般的ですが。 ここで気になることは離乳の定義です。4歳5歳になっても母親の乳を飲んでいる場合はどう理解するか問題が生じます。大きくなっても母親の授乳を受けていても、実際は母乳だけでなく普通食も当然とっているはずです。授乳をいつまでも求めるのは身体的に正常に成長していても、こころがまだ乳児の領域に止まっていることになります。
 離乳時期一つとっても皆さん当然マチマチです。以前は時期がきたらいろいろな努力をして授乳をやめる行為・断乳が必要との考え方が強かった。最近は卒乳という表現でできるだけ強制感をともなわない優しい言い方で、本人がほしがるのに与えないことの罪悪感を避ける表現、断乳というきつい語感から逃げる気持ちが先立っている。ために離乳の大切な時期をあいまいにしているのではないでしょうか。
 子どもの数が多いと次の子どものために上の子どもの授乳を止めなければという期限がつくので、母親も割り切ることに迷いが少なくなるのですが、一人っ子や末っ子の場合離乳に踏み切るのに二の足を踏みがちとなります。その二の足や三の足の迷いが実は子どものこころの形成に反映するのです。子どものこころは親のこころを一番大きく反映して形成されるのです。母親はそこで厳格になれというのではなく賢明になって欲しいのです。

 三つ子の魂百までもはよく知られたことわざです。三つ子とは三歳児のことですが、昔流の数え方ですから今流なら二歳児になります。その三つ子の魂の二歳児のこころの基礎が形成されるのが言うまでもなく0歳、乳児の時期です。この時期に適切な対応すればその後も順調に方向づけられるのではと思います。
 因みに乳児は一歳まで、幼児は就学前まで、少年は高校の年齢まで、青年は十七・八歳から二十二・三歳までか。それ以上が成人かと考えます。そして成人したら信頼しましょう、とわたしは主張します。

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 テニスの錦織圭選手全米オープン大会で準決勝の見事な成績には、日本のテニス愛好者やスポーツファンにとっては、何よりの嬉しい快挙でした。永年日本にとって縁遠かったというよりもあたかも踏み込むこと出来なかった禁断の聖域だったテニスの世界四大会(全豪、全仏、全英、全米)の決勝に踏み込んだのでした。
 ここで慣れないスポーツ談義ではありません。錦織選手の呼び方が文字通りのにしきおりではなくにしこりと呼んでいることはご承知の通り。選手の出身地島根県ではにしこりが普通のようです。大体西日本一帯ではにしきおりではなくにしこりの呼び方が多いようです。なお、錦織の読み方はまだ別の読み方ありますがそれは御調べ下さい。

 「9月の園だより」で、九州長崎県平戸藩主松浦静山の話を紹介しましたがご記憶と思います。この読み方ですが、平戸はひらとではなくヒラドとにごって読むのが正しい。そして松浦の殿様はまつうらではなくマツラと読むのが松浦静山の場合正しいことをお伝えします。人名や地名の読み方は全くそれぞれです。新潟や佐渡のことをニイカタサトと読まれたら私たちにはそれって何処ってなりますよね。
 松浦静山公が文武両道の達人とご紹介しましたが、余談ですが子造りも達人で何と17男16女の子だくさんのスーパー殿様でした。

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県立自然科学館訪問

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勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし|2014年9月

 夜の河原の土手に月見草が咲いている季節になりました。新潟県代表の日本文理高校が四強に名を連ねる大活躍をして夏の全国高校野球大会が終わりました。大会が終わると日本文理の活躍のおかげで大会の進行に思わぬ力が入っていたのか気温の低下もあって急に秋を感じます。

 今年の大会は逆転試合が目立ちました。まず新潟県大会決勝戦で関根学園を日本文理が9回逆転ホームランで破って代表を決め、甲子園でも対富山商と愛知東邦の2試合を逆転で勝っている。ああっ負けかなとあきらめかけていたのにまさかの逆転、そんなときの瞬間、見出しの「勝ちに不思議な勝ちあり」が頭に浮かんでくるのです。日本文理の勝ちが実力努力の表れとはいえ、流れが相手に傾いている土壇場の状態での逆転をみると一瞬ホントかなと信じられない気になります。

 元プロ野球の大選手(捕手)・監督(阪神、ヤクルト、楽天)だった野村克也氏がこの松浦静山の言葉をよく引用しているそうです。野村氏のプロ野球での記録は実に偉大で、見事なものです。野球殿堂入りしている頭脳派勝負師の野村氏がこの静山公の言をよく引用されるのですから意味深いものがあります。因みに野村氏は「王や長嶋がかがやくヒマワリなら、私はひっそりと日本海に咲く月見草」と自分を評している。野村氏の出身は京都府の日本海に面した小さな町であり、経済的にどん底の苦しい中をやっと高校を出て這い上がるように無給でプロの世界に飛び込み、言い知れぬ努力を積み重ねてその後を築いている。それだけにこの言葉の重みを強く感じる。王氏や長嶋氏も大変な努力練習の結果ではあっても甲子園や大学野球等での評判実績を踏まえて順調にプロ入りしたのとは大違いだ。でもおっしゃるほどひっそりだったかどうか‥?

 肥前平戸藩主松浦静山公について説明しますと、肥前平戸は現在の長崎県平戸市で、平戸市は平戸島とその対岸松浦半島の一部の地域。平戸島は16世紀ポルトガル国のキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルが上陸、キリスト教を布教した場所として歴史上知られておりその史跡が多く残っている。

 松浦静山はその平戸島とその一帯を治めた平戸藩の第9代藩主でしたが大変な学者であり剣術・柔術は免許皆伝の名人というスーパーマン。剣術の心得を説いた著書「剣伝」の中で「不思議な勝ち云々」が述べてあるとのこと。藩主を隠居したあとに書き綴った随筆集「甲子夜話」がありその中で「信長、秀吉、家康の三人の性格をホトトギスを例にそれぞれを、鳴かざれば殺してしまえ、鳴かしてみせよ、鳴くまで待とう」の有名な話を紹介している。静山公自身の説ではなく読み人知らずの川柳と紹介しているそうです。また静山公の孫娘が孝明天皇の皇后となられて明治天皇が生まれている。ということは愛子さんにも 1/256 の血が受け継がれていることになるのでしょうか。

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 8月下旬のある夕刻、定時のお帰りの時間が一段落した遊戯室から園職員や若い男女の楽しげなハイトーンな歓声が響いてきた。一体何事ならんとのぞいてみると、どっかで会ったことがあるようなないような若い男女7名が目に入ってきた。

 男子2名、女子5名のその若者達は全員高校3年生。学校はそれぞれ異なるが11年前の平成15年3月の卒園児でした。学校の休みを利用して声を掛け合って尋ねきてくれたのでした。嬉しいことです。上の写真は当時担任だったM保育士、卒園児達と当時を知る職員達。お互いに懐かしい話で盛り上がりました。

 5年も経てば職員のほとんどが入れ替わる公立の保育園ではこんな再会はないのでは。塀のイラストを描いたEMさんの2年後輩になる皆さんです。今後のご活躍とご多幸を心から祈ります。またの来園を待ってますよ。

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園舎の塀 壁画イラスト 14年目のリニューアル|2014年8月

 13年前の卒園児で現在市内の専門学校でイラスト・デザインを勉強中のEM さん、6月下旬から開始の塀のイラストのリ二ューアル作業、7月25日に見事完了、暑い中を頑張ってくださり本当にありがとうございました。

 名前は略称のままでとのご本人のご希望、 E Mさん及び塀の下地造りや制作の補助作業をされたのは彼女の実のお祖父さん。孫娘と祖父のコラボレーション、それだけでも幸せな美しいお話です。同様園にとっても幸せな嬉しくもありがたいことです。

 EMさん、本当にありがとうございました。貴女のこれからのご活躍とご多幸を心から祈ります。

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 7月中旬、たまたまテレビのチャンネルを回したところ「子どもと大人の違い」を話題にした番組に出会った。
 夜のお茶の間時間のその番組は、出演者は若い男女の人気タレントの皆さん、お笑いねらいの他愛のないやりとりや大げさな感はありましたが、それなりになるほどと同感しながらもしばらく眺めた。
 大人と子どもの違いとして、◎自分の気持ちを抑えることが出来ずすぐに感情的になり大声をあげて自己主張にこだわるのは子ども的であり、◎流しの排水口のあのぬらぬらするタマリ箇所に指を突っ込んで洗えるようになれば大人だとか、◎香りの強い生野菜セロリーなどが食べられるようになれば、◎あるいは冷たい牛乳が飲めるようになればとか、◎生ガキやナマコなどのように外観が変わっているものでも食べられるようになれば等々がたとえとして挙がったが軽めながらも一々もっともだ。
 番組途中からだったため番組のねらいについては確認はないが結局辞職した号泣県会議員のあの大泣き振りには俄かに信じられなくて目を疑ったのでは‥、それを受けての大方の反応や関心に問いかけて「大人と子供の違い」を考える番組と解して眺めた。

 「三つ子の魂百までも」: 47歳男のあの大泣きぶりは一体どういうことだろうか、保育園の1~2歳児なら珍しくないかも知れない。しかし、かの元県議氏、地元では進学校として評判の高校から大学を卒業、母親にとって自慢の息子だったようで、母親の息子に対する期待と信頼が極端に緊密だったようだ。周囲の評判はいわゆるマザコン息子だったようだ。長じても母子関係が親密なのは大いに結構なこと。幼少時は皆一様に100%マザコンでスタートするが、成長とともに自立に置き換わっていく。事細かな関係が幾歳になっても幼少時のまま変わらないと問題になる。子どもは自分の判断で決めることができなくなり常に親の指示待ちになってしまう。子どもの親離れそして母親の子離れがうまくいかない場合、「お母ちゃんみんながボクに意地悪して苛めるんだよー」と、議場で泣きだしたんですね。スーパーやデパートのレジの前でひっくり返って駄々をこねる3歳坊やのあれだ。「三つ子の甘えが百までも」になったわけ。

 7月中旬の倉敷市の小5女児行方不明事件には気をもんだ。幼女行方不明事件は悲惨な結末が多いだけに暗い重苦しい思いで見守った。幸い無事に帰宅出来たことにホットしたが、犯人の49歳オヤジが800万円もかけて監禁部屋を準備し、女児を好みに調教して結婚するつもりであり、踏み込んだ警官に「これは妻だ」と答えたそうで。正直、その話には耳を疑った。しかも容疑者は大学院で哲学を学んだとの報道もあり、ますます分からなくなった。

 ゆとりについて: 全てものごとにおいて「ゆとり」は大切であり必要でもある。ゆとりある生活を築くために人は努力しているとも言える。
 しかし、特に経済的「ゆとり」が確保されると生活不安が少なくなり時間的にゆとりが持てるようになる。閑な時間が生じる。曰く、「小人閑居して不善をなす」だ。ひまと金に余裕があるととんでもない事を考える人が生じる場合がある。ノホホンと親の威光・財産で生活していると時代の変化に置き去りにされる。 いろいろな事情があるにしろ、11歳の少女を誘拐して自分好みに仕立てて妻にする‥、などと大学院に学んだ49歳男が本気に考えて準備し実行する‥、聞いているほうの頭が変になりそうだが本人はいたって大真面目なのだ。

 新聞の投書欄に次のようなJ市の高校生の投書が掲載された。原文のままが一番ですが、本人の了解なしですので大意を紹介します。
 『母の苦労に感謝:I市の高校に通っている私は下宿生活をしている。毎日電車で一時間近くかかる通学は大変だ。しかし、私以上に大変なのは私の母親だ。学費だけでなく生活費や下宿代、電車の定期代まで払っているのだから。
 私の家族は母子家庭であり、私が一歳の時に父が亡くなり私を入れて兄弟三人はずっと母の手でそだてられてきた。小学生の時、カゼを引けば仕事の合間をぬって看病してくれた。今思うとすごく迷惑かけたと思う。しかしどんな時でも母は笑顔だった。高校三年生の今、進学選択の岐路にいる。進学は多くの費用が必要だ。母は笑顔で「自分の好きなこと、やりたいことをしなさい」と言ってくれた。悩みぬいた末、進学に向けて勉強中である。大学に進学し、すぐに就職し、その先今まで受けた以上の親孝行をしたいと思う。』
 上記高校生の投書に対して10日後にN市72歳男性より次のような投書が掲載された。
  『先日の投書欄の「母の苦労に感謝」を読んで、同じ境遇だった自分と比較し心底感心した。N市の高校に40分程の汽車通学でした。朝起きると必ず温かい朝食があり、弁当もありました。寒くて暗い日体調の悪い日もあったろうに一年中一日も欠かしたことはありませんでした。そんな苦労に「ありがとう」も言えず、逆に朝寝坊した時は母の行商のための一台しかない自転車を貸してと母をこまらせました。貸したくても貸せない母子家庭の厳しい事情、悲しい目で私を見つめるだけだった母の心情を思いやる気持ちに至らなかった私でした。その母も昨年亡くなりました。今では直接伝えることができません。毎日仏壇に線香ろうそくに感謝の意を込めています。投稿のJ市高校生くん、どうか今の気持ちをずっと持ち続けてください。お母さんはそれだけを望んでいるでしょうし、それが君の出来る最大の親孝行だと思います。』

 ゆとりが少なくぎりぎりになると人は緊張し真剣になります。号泣議員も誘拐オヤジもこんな環境で育てば結構まともな大人になってたかも。

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今、東港町通り 水道管交換工事の真っ最中!!|2014年7月

 この6月で新潟地震発生から50年経ちました。また同程度のあるいはそれ以上の災害がいつ発生するか分かりません。東北大震災の教訓から都市構造機能いわゆるインフラ設備の見直しを全国各自治体で進めております。

 ここ東湊町一帯では5月半ばより8月下旬までの予定で現在使用中の水道管を撤去して耐震性に優れた耐久100年保証の高密度ポリエチレン(PE100)製の管に置き換えるための工事です。

 通園の送迎には出来るだけ支障のないようにお願いしておりますが、なお皆様のご協力ご理解をよろしくお願い申し上げます。

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 仁徳ある人あるいはその行為は、孤立することはない。人には隣人があり、家には隣家があるように、必ず理解者や協力者が現れる。
 初代園長赤沢鍾美は明治・大正と二度の大火に見舞われましたがその都度教え子や後援者のお陰で復興できました。鍾美はこの語を座右の銘としておりました。

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 上記イラストは「6月園だより」に掲載した、三芳悌吉画伯幼少時の赤沢通園の情景ですが現在の東湊町通りの写真と重ねてみました。
 明治43年生まれの三芳氏が通園したのは年長児(当時はほとんど一年保育)とすると大正4年(1915)、99年前の東湊町通の風景が上図というわけ。 この絵の4年後、大正8年7月、この一帯は全半焼111戸焼失する大火に見舞われました。

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 6月28日(土) 豊照小学校室内体育館で恒例の運動会を開催。好天にも恵まれ園児保護者ともども楽しく和やかに無事に終了することができました。ご参加ご協力ありがとうございました。

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 上記写真は、永年園の顔として皆様に親しまれてきた園舎の塀の絵です。現在のこの絵は平成13年3月卒園のT.N.さんのご両親が卒園の前年の12年の夏の暑い気候の中、手弁当持参で汗だくで画いて下さったものです。この夏でまるまる14年間親しんだことになります。
 奇しくも同じ年に園児として卒園し現在イラスト・デザインを勉強中の E.M.さんが描き変えに協力して下さるとのご提案がありましたのでよろこんでお願いすることに致しました。
 絵柄は園のクラス名の動物を取り入れることをお願いしてあります。「こあら」が新しく加わります。学校の夏休み期間を利用して描いて下さる予定ですので完成は8月一杯になるでしょうか。楽しみです。

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祝 赤沢保育園 創立百二十四回記念日|2014年6月

 今から124年前明治23年(1890)6月1日、赤沢保育園は新潟市礎町4丁目に発足誕生致しました。この機会に124年の歴史の中の幾つかをご紹介させていただきます。

 創立者赤澤鍾美(あつとみ)は明治以前の元治元年(1864)に新潟町に生まれ、明治11年、13歳で小学校の臨時教員採用試験に合格、当時の新潟町の小学校教員になった。臨時教員は最近話題の契約社員同様で毎年契約だったようだ。明治政府が義務教育制度を制定して全国の主だった町村に小学校を開設、場所は寺や集会場・個人の建物を利用して開校したが困ったのは教員の確保で、明治7年教員養成のため師範学校を開設してその終了生を正規教員とすることを計画したがそれまで何年何十年か要するわけでそれまでは臨時教員を一定の試験に合格した者を充てた。その試験の受験可能年齢が当時数え方での15歳だった。15歳とは当時の成人式に当たる元服(げんぷく)の年齢。10月生まれの鍾美は今の年齢の13歳で合格したことになる。明治初期の小学校の教科書は漢文ばかり。その教員の検定試験問題も当然難解な漢文と想像される。戸籍によると鍾美は幼年時に他家に養子に入ったりのようで決して恵まれた環境ではなかったことが想像されるだけに、検定試験に合格する学力をつけたことはなかなかのものです。

 小学校教師生活を通して教育の仕事継続に情熱を感じた鍾美は、当時小学校に行きたくとも行けない多くの子どもたちの小学校課程の私塾「新潟静修学校」を明治23年6月に開設すると同時に幼い弟妹や奉公先の幼児の子守りしながら通学する生徒のために別室に幼児を集めて鍾美の家族が面倒をみたのが保育事業のはじまりでした。当時の小学校は義務教育と言いながらも公立でも大正時代まで授業料をとっており、通学できるのは明治半ば頃でも都市部で20~40%、農山村地帯ではさらに低くかった。
 そんな事情の中で鍾美は私塾「新潟静修学校」を立上げ同時に幼児の保育を始めたのでした。

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 平成12年9月、新潟県展の審査員なども務められた洋画家の三芳悌吉(みよしていきち)氏が90歳で亡くなられた。
 三芳氏は3歳から18歳まで新潟市に住まわれ、その間の思い出を絵物語風自伝としてまとめられ「砂丘物語」の題名で平成8年(2000)に出版された。

 三芳氏は大正2年から上大川前通り十二番町の「小沢邸」わきの通称「茂作小路・もさこうじ」に在住された。その中でなんとなんと西湊町の赤沢幼稚園に通園した思い出が綴られているのです。当時は幼稚園と一般的に呼ばれておりましたが西湊町は三芳氏の記憶違いです。
 その園の思い出は二週間ほどで残念ながら終止符がうたれた。そのあたりを「砂丘物語」の記述をそのままお借りすると:
 「赤沢園長は、いつも着物に幅広の白い兵児帯を尻のほうで蝶結びにしていた。オレンジ色のメリヤスの下穿きを穿き、紋付の羽織をはおっていることもあった。‥ 中略 ‥  それは休み時間のことだった。近くで三人の女の子がちらちらと私のほうを見ながら、ひそひそ話をしたり、目くばせしたりする。わたしは腹が立ってきた。思わずわたしは、足元の小さい石を拾って投げつけた。石は女の子の額に当たり、女の子は悲鳴をあげて大声で泣き叫んだ。女の子の額に血がにじんだ。以下略。  ということで園内で女の子にけがをさせ、それを謝らなかった三芳少年に怒った鍾美園長が彼を小脇にかかえて園から出してもう来るなと追い出した、‥ということで三芳氏と赤沢保育園との思い出はそこで終わったのでした。
 帰る方向が同じ女の子と仲良く連れ立った思い出が上記の絵で、園の前から西側を眺める方向で東湊町通りが描かれている。物語によると、手をつないでいる女の子は本町通り14番町の3階建ての洋食屋「幾野館」の娘で政枝という名で嫁さんにしたいと三芳氏は母に訴えたそうです。

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遠足:亀田公園

 5月16日 予定通り春の遠足はおなじみの亀田公園は無事に終了いたしました。
 写真ではわかりませんが当日は風が強く前日の雨降りの影響で気温が低かったのには閉口しました。予報では“雨もあり”で心配しましたが写真のように晴れてまずまずのお天気でした。
 風と低温のせいか、トン汁の人気は上々で完食でした。20年来いつも多い目に造り残るのでしたが今回は足りませんでした。今回はさすがに流れでの水遊びはなかったようでした。

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 知っていることは知っていると言い、知らないことは、まだ知らないと、心にはっきりさせる。 それが本当に知るということである。
 孔子が、門人の知ったかぶりをたしなめた言葉。

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年々歳々花相似たり|2014年5月

 毎年今頃になると狭い園庭ですが花で楽しくなります。

  花好きだった先代園長が残してくれた庭木には花木が多く、今その花木達が出番真っ盛り。春早くから花をつけ続けているサザンカ雪椿に代わって今度はワタシの番よと春本番を先取りして黄色いハンカチではなくレンギョウが賑やかに庭を明るくしてくれます。それを受け継ぐように今本番が花海棠(カイドウ)花スオウのピンク色、それに負けじとボケが精一杯に花を付けている。その足元には透き通る黄色の山吹がつつましく姿を見せている。地表にはピンクや黄色の桜草チューリップガーベラ芝桜と色とりどり。  やがて濃厚な真っ赤なバラが出番をまっています。

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 各組それぞれ進級したり新入園の人も加わったりしました。

 組の名前は元々でもメンバーは一新しました。皆さん早くその組らしくなってください。

 お天気のよい日にはできるだけお散歩。行く先はミナトピアが定番ですが西大畑公園まで頑張ることもあります。

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 ゴールデンウイーク前後になると発症が多いと言われる日本独特の心のやまい症状をいいます。

 昔から4・5月頃の木の芽時には心の病がよく起こるといわれています。 4月の新年度に入って一ヵ月、厳しい受験戦争や就職活動を耐え抜いて念願の学校や職場に見事進学・就職できたのはよいのですが、それまでの生活リズムが大幅に変化し、特に住所まで変わって新しい環境に対する初期の意気込み緊張が、慣れとともにようやく和らぎ始める5月頃になると頭をもたげる心の不安定な状態を表した言葉が「五月病」と名づけられました。東大のキャンパスからこの名称は生まれたとも言われておりますが、東大生でなくとも、多かれ少なかれ誰しも環境が大きく変わった際には経験している現象なのです。就職・進学は人生の大きな節目です。生活のリズムは大きく変化します。それは誰しもが体験し乗り越えていくのです。

 同様な現象は子ども達にも 乳幼児の段階にも当然みとめられます。家庭から保育園に入ったときは子どもの場合は心よりも体ではっきりと拒否を反応します。幼児の場合は遠慮気兼ねなしに全身でそっくりかえって泣き叫んで表現します。肉親にとっては身を切られる思いです。そこで負けてはいけないと分かっていても負けてしまいそうになります。しかし、その反面子どもは想像以上に適応能力を持っております。親が表面的な辛さにまけてしまうとせっかくのその適応力が育ちません。

 そこで負けてはいけません。「負けるが勝ち」という諺がありますが、この場合、その諺は当りません。負けは負けです。大人の気持ちのつらさは結構あとを引きますが、子どもの場合は大人ほどいつまでも引きずりません。しかも初めが肝心です。いったん大人の気持が負けると子どもは敏感にそれを感じとり、次からはその大人の気持の弱さをねらって精一杯拒否反応を表現します。そこで負けてはますますいけません。環境やリズムの変化に巧みに適応できる基礎を造り出すことが遅れて段々深刻にになります。もたもたして深刻にするかどうかは保護者の態度で決まります。

 心のたくましさや辛抱強さは人間の持って生まれた資質であって後天的なものではないといわれておりますが、実は幼少時の特に0~1歳時の体験を通して培われ築かれるのではと私的に実感しております。人生のつらい体験を通して逞しい忍耐心が育っていくのだと考えるならば子育ての辛さは実は子どもにかけがえのない貴重な資質形成・成長の機会を与えているのです。

 幼児期は親の想像以上に親の考え方・態度が影響することを銘記して下さい。

あとがき:この項目は数年前の「園だより」で書いたものを加筆修正しました)

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入園式|2014年4月

 ご存じ清少納言の『枕の草紙』は、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明りて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。」で始まります。

 保育園の一年は春4月の入園式で始まり翌年3月の卒園式で終わります。

 例年入園式の参加者は前年の4月入園式以降から翌年3月までの途中入園の方々が対象になります。今年4月の入園式参加者は19名を予定しております。定員60名に対しては高い比率であり園経営としてはありがたい数字です。がそれはそれとして近年入園時年齢にこれまでとは違った変化が見られます。

0歳児入園の減少・1歳児入園の増加: 全体的には子どもの出生数は年々少なくなり総人口の減少と高齢化が加速していることはご存じの通り。子ども数が減少しているにも関わらず保育園にはなかなか入りにくいという逆現象が近年起こっている。特に地域的事情による入園事情の難易は避けられません。それとは別に1・2年前から0歳児の入園が少なくなってきました。当園の場合も今回は1名です。新潟市内の園では数年前には満タンだった16ベッドの設備に対して0歳入園はゼロとのことでベッドは場所を固定的に占めているだけにと園長は嘆いている。その代わりに1歳児入園が増加している。この傾向の大きな要因としては育児休業制度利用が広まってきたのではと考えられます。

 それはそれとして、赤沢保育園での今後の入園受け入れ可能な数字は、あと3~5名ほどですので、その点よろしくご承知くださるようお願いいたします。

 本年26年度もどうぞよろしくお願いします。

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 今年の園だより2月号で上記福沢諭吉翁の「心訓」なるものを紹介致しました。同時にこの心訓が福沢翁自らのものではなく何者かによる偽作であることもご説明しました。偽作であってもその説いていることは全く共感を覚えてあえてご紹介いたしました。

 それでは一万円札でおなじみの福沢翁ご自身のお言葉教えはどうなのかと気になるところです。翁の説かれる名言は実に数多くあります。翁の主著「学問のすすめ」からその幾つかをご紹介します。

◎ 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず
(人は皆平等だということで、封建制度的な考えから抜け出すことが大変だった明治初年度では今では常識的なことから始める必要があったのです。)

◎ 天寿を全うする者は、人の本分をつくすものなり。

◎ 家の美風その箇条はさまざまなる中にも、最も大切なるは家族団らん、相互に隠すことなき一事なり。

◎ 一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり。

◎ 自由とわがままのさかいは、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。

◎ 活用なき学問は無学に等しい。

◎ 実なき学問はまず次にし、もっぱら学ぶべきは人間普通日用に近い学問なり。

◎ 学問は米をつきながらもできるものなり。(勉強ができなかったという言い訳は言い訳にならない、学ぶ気がないだけのこと)

◎ 人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり。

◎ みだりに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を受けるものなり

 などなどです。いかがですか。もって心に刻みましょう。

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卒園児の皆さんから園長への贈り物

 左の顔は全部園長の顔だそうです。12名の卒園児全員一人ひとりが一生懸命に画いてくれました。どうもありがとうございます。皆さんのこれからに幸多かれといのります。

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春到来を告げるものはいくつかあります。保育園的には入園式かもしれません。歌的には「春よ来い」やちょっと古いかもしれませんがキャンデイーズの「春一番」とか。食・植物的には フキノトウ などはその筆頭格の一つではないでしょうか。雪解けの始まった山野の大地に真っ先に顔をみせてくれるのがフキノトウ。冬眠から覚めたクマさんがまずこのフキノトウを腹いっぱい食べて体力体調を整えるのだそうです。

フキノトウの成長は驚くほど早い。一日か二日でひょろひょろとした高い棒(とう)になってしまいます。色も淡い浅黄色と元気と幼さに溢れている。園児たちの賑やかな元気を見ると思わず連想します。それを耳にされたお孫さんの付き添えで来られたNさんがえらくに感心されました。そこで一句。

 「ふきのとう  園庭に 子らの声ひびき」

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