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勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし|2014年9月

 夜の河原の土手に月見草が咲いている季節になりました。新潟県代表の日本文理高校が四強に名を連ねる大活躍をして夏の全国高校野球大会が終わりました。大会が終わると日本文理の活躍のおかげで大会の進行に思わぬ力が入っていたのか気温の低下もあって急に秋を感じます。

 今年の大会は逆転試合が目立ちました。まず新潟県大会決勝戦で関根学園を日本文理が9回逆転ホームランで破って代表を決め、甲子園でも対富山商と愛知東邦の2試合を逆転で勝っている。ああっ負けかなとあきらめかけていたのにまさかの逆転、そんなときの瞬間、見出しの「勝ちに不思議な勝ちあり」が頭に浮かんでくるのです。日本文理の勝ちが実力努力の表れとはいえ、流れが相手に傾いている土壇場の状態での逆転をみると一瞬ホントかなと信じられない気になります。

 元プロ野球の大選手(捕手)・監督(阪神、ヤクルト、楽天)だった野村克也氏がこの松浦静山の言葉をよく引用しているそうです。野村氏のプロ野球での記録は実に偉大で、見事なものです。野球殿堂入りしている頭脳派勝負師の野村氏がこの静山公の言をよく引用されるのですから意味深いものがあります。因みに野村氏は「王や長嶋がかがやくヒマワリなら、私はひっそりと日本海に咲く月見草」と自分を評している。野村氏の出身は京都府の日本海に面した小さな町であり、経済的にどん底の苦しい中をやっと高校を出て這い上がるように無給でプロの世界に飛び込み、言い知れぬ努力を積み重ねてその後を築いている。それだけにこの言葉の重みを強く感じる。王氏や長嶋氏も大変な努力練習の結果ではあっても甲子園や大学野球等での評判実績を踏まえて順調にプロ入りしたのとは大違いだ。でもおっしゃるほどひっそりだったかどうか‥?

 肥前平戸藩主松浦静山公について説明しますと、肥前平戸は現在の長崎県平戸市で、平戸市は平戸島とその対岸松浦半島の一部の地域。平戸島は16世紀ポルトガル国のキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルが上陸、キリスト教を布教した場所として歴史上知られておりその史跡が多く残っている。

 松浦静山はその平戸島とその一帯を治めた平戸藩の第9代藩主でしたが大変な学者であり剣術・柔術は免許皆伝の名人というスーパーマン。剣術の心得を説いた著書「剣伝」の中で「不思議な勝ち云々」が述べてあるとのこと。藩主を隠居したあとに書き綴った随筆集「甲子夜話」がありその中で「信長、秀吉、家康の三人の性格をホトトギスを例にそれぞれを、鳴かざれば殺してしまえ、鳴かしてみせよ、鳴くまで待とう」の有名な話を紹介している。静山公自身の説ではなく読み人知らずの川柳と紹介しているそうです。また静山公の孫娘が孝明天皇の皇后となられて明治天皇が生まれている。ということは愛子さんにも 1/256 の血が受け継がれていることになるのでしょうか。

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 8月下旬のある夕刻、定時のお帰りの時間が一段落した遊戯室から園職員や若い男女の楽しげなハイトーンな歓声が響いてきた。一体何事ならんとのぞいてみると、どっかで会ったことがあるようなないような若い男女7名が目に入ってきた。

 男子2名、女子5名のその若者達は全員高校3年生。学校はそれぞれ異なるが11年前の平成15年3月の卒園児でした。学校の休みを利用して声を掛け合って尋ねきてくれたのでした。嬉しいことです。上の写真は当時担任だったM保育士、卒園児達と当時を知る職員達。お互いに懐かしい話で盛り上がりました。

 5年も経てば職員のほとんどが入れ替わる公立の保育園ではこんな再会はないのでは。塀のイラストを描いたEMさんの2年後輩になる皆さんです。今後のご活躍とご多幸を心から祈ります。またの来園を待ってますよ。

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園舎の塀 壁画イラスト 14年目のリニューアル|2014年8月

 13年前の卒園児で現在市内の専門学校でイラスト・デザインを勉強中のEM さん、6月下旬から開始の塀のイラストのリ二ューアル作業、7月25日に見事完了、暑い中を頑張ってくださり本当にありがとうございました。

 名前は略称のままでとのご本人のご希望、 E Mさん及び塀の下地造りや制作の補助作業をされたのは彼女の実のお祖父さん。孫娘と祖父のコラボレーション、それだけでも幸せな美しいお話です。同様園にとっても幸せな嬉しくもありがたいことです。

 EMさん、本当にありがとうございました。貴女のこれからのご活躍とご多幸を心から祈ります。

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 7月中旬、たまたまテレビのチャンネルを回したところ「子どもと大人の違い」を話題にした番組に出会った。
 夜のお茶の間時間のその番組は、出演者は若い男女の人気タレントの皆さん、お笑いねらいの他愛のないやりとりや大げさな感はありましたが、それなりになるほどと同感しながらもしばらく眺めた。
 大人と子どもの違いとして、◎自分の気持ちを抑えることが出来ずすぐに感情的になり大声をあげて自己主張にこだわるのは子ども的であり、◎流しの排水口のあのぬらぬらするタマリ箇所に指を突っ込んで洗えるようになれば大人だとか、◎香りの強い生野菜セロリーなどが食べられるようになれば、◎あるいは冷たい牛乳が飲めるようになればとか、◎生ガキやナマコなどのように外観が変わっているものでも食べられるようになれば等々がたとえとして挙がったが軽めながらも一々もっともだ。
 番組途中からだったため番組のねらいについては確認はないが結局辞職した号泣県会議員のあの大泣き振りには俄かに信じられなくて目を疑ったのでは‥、それを受けての大方の反応や関心に問いかけて「大人と子供の違い」を考える番組と解して眺めた。

 「三つ子の魂百までも」: 47歳男のあの大泣きぶりは一体どういうことだろうか、保育園の1~2歳児なら珍しくないかも知れない。しかし、かの元県議氏、地元では進学校として評判の高校から大学を卒業、母親にとって自慢の息子だったようで、母親の息子に対する期待と信頼が極端に緊密だったようだ。周囲の評判はいわゆるマザコン息子だったようだ。長じても母子関係が親密なのは大いに結構なこと。幼少時は皆一様に100%マザコンでスタートするが、成長とともに自立に置き換わっていく。事細かな関係が幾歳になっても幼少時のまま変わらないと問題になる。子どもは自分の判断で決めることができなくなり常に親の指示待ちになってしまう。子どもの親離れそして母親の子離れがうまくいかない場合、「お母ちゃんみんながボクに意地悪して苛めるんだよー」と、議場で泣きだしたんですね。スーパーやデパートのレジの前でひっくり返って駄々をこねる3歳坊やのあれだ。「三つ子の甘えが百までも」になったわけ。

 7月中旬の倉敷市の小5女児行方不明事件には気をもんだ。幼女行方不明事件は悲惨な結末が多いだけに暗い重苦しい思いで見守った。幸い無事に帰宅出来たことにホットしたが、犯人の49歳オヤジが800万円もかけて監禁部屋を準備し、女児を好みに調教して結婚するつもりであり、踏み込んだ警官に「これは妻だ」と答えたそうで。正直、その話には耳を疑った。しかも容疑者は大学院で哲学を学んだとの報道もあり、ますます分からなくなった。

 ゆとりについて: 全てものごとにおいて「ゆとり」は大切であり必要でもある。ゆとりある生活を築くために人は努力しているとも言える。
 しかし、特に経済的「ゆとり」が確保されると生活不安が少なくなり時間的にゆとりが持てるようになる。閑な時間が生じる。曰く、「小人閑居して不善をなす」だ。ひまと金に余裕があるととんでもない事を考える人が生じる場合がある。ノホホンと親の威光・財産で生活していると時代の変化に置き去りにされる。 いろいろな事情があるにしろ、11歳の少女を誘拐して自分好みに仕立てて妻にする‥、などと大学院に学んだ49歳男が本気に考えて準備し実行する‥、聞いているほうの頭が変になりそうだが本人はいたって大真面目なのだ。

 新聞の投書欄に次のようなJ市の高校生の投書が掲載された。原文のままが一番ですが、本人の了解なしですので大意を紹介します。
 『母の苦労に感謝:I市の高校に通っている私は下宿生活をしている。毎日電車で一時間近くかかる通学は大変だ。しかし、私以上に大変なのは私の母親だ。学費だけでなく生活費や下宿代、電車の定期代まで払っているのだから。
 私の家族は母子家庭であり、私が一歳の時に父が亡くなり私を入れて兄弟三人はずっと母の手でそだてられてきた。小学生の時、カゼを引けば仕事の合間をぬって看病してくれた。今思うとすごく迷惑かけたと思う。しかしどんな時でも母は笑顔だった。高校三年生の今、進学選択の岐路にいる。進学は多くの費用が必要だ。母は笑顔で「自分の好きなこと、やりたいことをしなさい」と言ってくれた。悩みぬいた末、進学に向けて勉強中である。大学に進学し、すぐに就職し、その先今まで受けた以上の親孝行をしたいと思う。』
 上記高校生の投書に対して10日後にN市72歳男性より次のような投書が掲載された。
  『先日の投書欄の「母の苦労に感謝」を読んで、同じ境遇だった自分と比較し心底感心した。N市の高校に40分程の汽車通学でした。朝起きると必ず温かい朝食があり、弁当もありました。寒くて暗い日体調の悪い日もあったろうに一年中一日も欠かしたことはありませんでした。そんな苦労に「ありがとう」も言えず、逆に朝寝坊した時は母の行商のための一台しかない自転車を貸してと母をこまらせました。貸したくても貸せない母子家庭の厳しい事情、悲しい目で私を見つめるだけだった母の心情を思いやる気持ちに至らなかった私でした。その母も昨年亡くなりました。今では直接伝えることができません。毎日仏壇に線香ろうそくに感謝の意を込めています。投稿のJ市高校生くん、どうか今の気持ちをずっと持ち続けてください。お母さんはそれだけを望んでいるでしょうし、それが君の出来る最大の親孝行だと思います。』

 ゆとりが少なくぎりぎりになると人は緊張し真剣になります。号泣議員も誘拐オヤジもこんな環境で育てば結構まともな大人になってたかも。

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今、東港町通り 水道管交換工事の真っ最中!!|2014年7月

 この6月で新潟地震発生から50年経ちました。また同程度のあるいはそれ以上の災害がいつ発生するか分かりません。東北大震災の教訓から都市構造機能いわゆるインフラ設備の見直しを全国各自治体で進めております。

 ここ東湊町一帯では5月半ばより8月下旬までの予定で現在使用中の水道管を撤去して耐震性に優れた耐久100年保証の高密度ポリエチレン(PE100)製の管に置き換えるための工事です。

 通園の送迎には出来るだけ支障のないようにお願いしておりますが、なお皆様のご協力ご理解をよろしくお願い申し上げます。

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 仁徳ある人あるいはその行為は、孤立することはない。人には隣人があり、家には隣家があるように、必ず理解者や協力者が現れる。
 初代園長赤沢鍾美は明治・大正と二度の大火に見舞われましたがその都度教え子や後援者のお陰で復興できました。鍾美はこの語を座右の銘としておりました。

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 上記イラストは「6月園だより」に掲載した、三芳悌吉画伯幼少時の赤沢通園の情景ですが現在の東湊町通りの写真と重ねてみました。
 明治43年生まれの三芳氏が通園したのは年長児(当時はほとんど一年保育)とすると大正4年(1915)、99年前の東湊町通の風景が上図というわけ。 この絵の4年後、大正8年7月、この一帯は全半焼111戸焼失する大火に見舞われました。

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 6月28日(土) 豊照小学校室内体育館で恒例の運動会を開催。好天にも恵まれ園児保護者ともども楽しく和やかに無事に終了することができました。ご参加ご協力ありがとうございました。

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 上記写真は、永年園の顔として皆様に親しまれてきた園舎の塀の絵です。現在のこの絵は平成13年3月卒園のT.N.さんのご両親が卒園の前年の12年の夏の暑い気候の中、手弁当持参で汗だくで画いて下さったものです。この夏でまるまる14年間親しんだことになります。
 奇しくも同じ年に園児として卒園し現在イラスト・デザインを勉強中の E.M.さんが描き変えに協力して下さるとのご提案がありましたのでよろこんでお願いすることに致しました。
 絵柄は園のクラス名の動物を取り入れることをお願いしてあります。「こあら」が新しく加わります。学校の夏休み期間を利用して描いて下さる予定ですので完成は8月一杯になるでしょうか。楽しみです。

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祝 赤沢保育園 創立百二十四回記念日|2014年6月

 今から124年前明治23年(1890)6月1日、赤沢保育園は新潟市礎町4丁目に発足誕生致しました。この機会に124年の歴史の中の幾つかをご紹介させていただきます。

 創立者赤澤鍾美(あつとみ)は明治以前の元治元年(1864)に新潟町に生まれ、明治11年、13歳で小学校の臨時教員採用試験に合格、当時の新潟町の小学校教員になった。臨時教員は最近話題の契約社員同様で毎年契約だったようだ。明治政府が義務教育制度を制定して全国の主だった町村に小学校を開設、場所は寺や集会場・個人の建物を利用して開校したが困ったのは教員の確保で、明治7年教員養成のため師範学校を開設してその終了生を正規教員とすることを計画したがそれまで何年何十年か要するわけでそれまでは臨時教員を一定の試験に合格した者を充てた。その試験の受験可能年齢が当時数え方での15歳だった。15歳とは当時の成人式に当たる元服(げんぷく)の年齢。10月生まれの鍾美は今の年齢の13歳で合格したことになる。明治初期の小学校の教科書は漢文ばかり。その教員の検定試験問題も当然難解な漢文と想像される。戸籍によると鍾美は幼年時に他家に養子に入ったりのようで決して恵まれた環境ではなかったことが想像されるだけに、検定試験に合格する学力をつけたことはなかなかのものです。

 小学校教師生活を通して教育の仕事継続に情熱を感じた鍾美は、当時小学校に行きたくとも行けない多くの子どもたちの小学校課程の私塾「新潟静修学校」を明治23年6月に開設すると同時に幼い弟妹や奉公先の幼児の子守りしながら通学する生徒のために別室に幼児を集めて鍾美の家族が面倒をみたのが保育事業のはじまりでした。当時の小学校は義務教育と言いながらも公立でも大正時代まで授業料をとっており、通学できるのは明治半ば頃でも都市部で20~40%、農山村地帯ではさらに低くかった。
 そんな事情の中で鍾美は私塾「新潟静修学校」を立上げ同時に幼児の保育を始めたのでした。

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 平成12年9月、新潟県展の審査員なども務められた洋画家の三芳悌吉(みよしていきち)氏が90歳で亡くなられた。
 三芳氏は3歳から18歳まで新潟市に住まわれ、その間の思い出を絵物語風自伝としてまとめられ「砂丘物語」の題名で平成8年(2000)に出版された。

 三芳氏は大正2年から上大川前通り十二番町の「小沢邸」わきの通称「茂作小路・もさこうじ」に在住された。その中でなんとなんと西湊町の赤沢幼稚園に通園した思い出が綴られているのです。当時は幼稚園と一般的に呼ばれておりましたが西湊町は三芳氏の記憶違いです。
 その園の思い出は二週間ほどで残念ながら終止符がうたれた。そのあたりを「砂丘物語」の記述をそのままお借りすると:
 「赤沢園長は、いつも着物に幅広の白い兵児帯を尻のほうで蝶結びにしていた。オレンジ色のメリヤスの下穿きを穿き、紋付の羽織をはおっていることもあった。‥ 中略 ‥  それは休み時間のことだった。近くで三人の女の子がちらちらと私のほうを見ながら、ひそひそ話をしたり、目くばせしたりする。わたしは腹が立ってきた。思わずわたしは、足元の小さい石を拾って投げつけた。石は女の子の額に当たり、女の子は悲鳴をあげて大声で泣き叫んだ。女の子の額に血がにじんだ。以下略。  ということで園内で女の子にけがをさせ、それを謝らなかった三芳少年に怒った鍾美園長が彼を小脇にかかえて園から出してもう来るなと追い出した、‥ということで三芳氏と赤沢保育園との思い出はそこで終わったのでした。
 帰る方向が同じ女の子と仲良く連れ立った思い出が上記の絵で、園の前から西側を眺める方向で東湊町通りが描かれている。物語によると、手をつないでいる女の子は本町通り14番町の3階建ての洋食屋「幾野館」の娘で政枝という名で嫁さんにしたいと三芳氏は母に訴えたそうです。

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遠足:亀田公園

 5月16日 予定通り春の遠足はおなじみの亀田公園は無事に終了いたしました。
 写真ではわかりませんが当日は風が強く前日の雨降りの影響で気温が低かったのには閉口しました。予報では“雨もあり”で心配しましたが写真のように晴れてまずまずのお天気でした。
 風と低温のせいか、トン汁の人気は上々で完食でした。20年来いつも多い目に造り残るのでしたが今回は足りませんでした。今回はさすがに流れでの水遊びはなかったようでした。

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 知っていることは知っていると言い、知らないことは、まだ知らないと、心にはっきりさせる。 それが本当に知るということである。
 孔子が、門人の知ったかぶりをたしなめた言葉。

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年々歳々花相似たり|2014年5月

 毎年今頃になると狭い園庭ですが花で楽しくなります。

  花好きだった先代園長が残してくれた庭木には花木が多く、今その花木達が出番真っ盛り。春早くから花をつけ続けているサザンカ雪椿に代わって今度はワタシの番よと春本番を先取りして黄色いハンカチではなくレンギョウが賑やかに庭を明るくしてくれます。それを受け継ぐように今本番が花海棠(カイドウ)花スオウのピンク色、それに負けじとボケが精一杯に花を付けている。その足元には透き通る黄色の山吹がつつましく姿を見せている。地表にはピンクや黄色の桜草チューリップガーベラ芝桜と色とりどり。  やがて濃厚な真っ赤なバラが出番をまっています。

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 各組それぞれ進級したり新入園の人も加わったりしました。

 組の名前は元々でもメンバーは一新しました。皆さん早くその組らしくなってください。

 お天気のよい日にはできるだけお散歩。行く先はミナトピアが定番ですが西大畑公園まで頑張ることもあります。

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 ゴールデンウイーク前後になると発症が多いと言われる日本独特の心のやまい症状をいいます。

 昔から4・5月頃の木の芽時には心の病がよく起こるといわれています。 4月の新年度に入って一ヵ月、厳しい受験戦争や就職活動を耐え抜いて念願の学校や職場に見事進学・就職できたのはよいのですが、それまでの生活リズムが大幅に変化し、特に住所まで変わって新しい環境に対する初期の意気込み緊張が、慣れとともにようやく和らぎ始める5月頃になると頭をもたげる心の不安定な状態を表した言葉が「五月病」と名づけられました。東大のキャンパスからこの名称は生まれたとも言われておりますが、東大生でなくとも、多かれ少なかれ誰しも環境が大きく変わった際には経験している現象なのです。就職・進学は人生の大きな節目です。生活のリズムは大きく変化します。それは誰しもが体験し乗り越えていくのです。

 同様な現象は子ども達にも 乳幼児の段階にも当然みとめられます。家庭から保育園に入ったときは子どもの場合は心よりも体ではっきりと拒否を反応します。幼児の場合は遠慮気兼ねなしに全身でそっくりかえって泣き叫んで表現します。肉親にとっては身を切られる思いです。そこで負けてはいけないと分かっていても負けてしまいそうになります。しかし、その反面子どもは想像以上に適応能力を持っております。親が表面的な辛さにまけてしまうとせっかくのその適応力が育ちません。

 そこで負けてはいけません。「負けるが勝ち」という諺がありますが、この場合、その諺は当りません。負けは負けです。大人の気持ちのつらさは結構あとを引きますが、子どもの場合は大人ほどいつまでも引きずりません。しかも初めが肝心です。いったん大人の気持が負けると子どもは敏感にそれを感じとり、次からはその大人の気持の弱さをねらって精一杯拒否反応を表現します。そこで負けてはますますいけません。環境やリズムの変化に巧みに適応できる基礎を造り出すことが遅れて段々深刻にになります。もたもたして深刻にするかどうかは保護者の態度で決まります。

 心のたくましさや辛抱強さは人間の持って生まれた資質であって後天的なものではないといわれておりますが、実は幼少時の特に0~1歳時の体験を通して培われ築かれるのではと私的に実感しております。人生のつらい体験を通して逞しい忍耐心が育っていくのだと考えるならば子育ての辛さは実は子どもにかけがえのない貴重な資質形成・成長の機会を与えているのです。

 幼児期は親の想像以上に親の考え方・態度が影響することを銘記して下さい。

あとがき:この項目は数年前の「園だより」で書いたものを加筆修正しました)

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入園式|2014年4月

 ご存じ清少納言の『枕の草紙』は、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明りて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。」で始まります。

 保育園の一年は春4月の入園式で始まり翌年3月の卒園式で終わります。

 例年入園式の参加者は前年の4月入園式以降から翌年3月までの途中入園の方々が対象になります。今年4月の入園式参加者は19名を予定しております。定員60名に対しては高い比率であり園経営としてはありがたい数字です。がそれはそれとして近年入園時年齢にこれまでとは違った変化が見られます。

0歳児入園の減少・1歳児入園の増加: 全体的には子どもの出生数は年々少なくなり総人口の減少と高齢化が加速していることはご存じの通り。子ども数が減少しているにも関わらず保育園にはなかなか入りにくいという逆現象が近年起こっている。特に地域的事情による入園事情の難易は避けられません。それとは別に1・2年前から0歳児の入園が少なくなってきました。当園の場合も今回は1名です。新潟市内の園では数年前には満タンだった16ベッドの設備に対して0歳入園はゼロとのことでベッドは場所を固定的に占めているだけにと園長は嘆いている。その代わりに1歳児入園が増加している。この傾向の大きな要因としては育児休業制度利用が広まってきたのではと考えられます。

 それはそれとして、赤沢保育園での今後の入園受け入れ可能な数字は、あと3~5名ほどですので、その点よろしくご承知くださるようお願いいたします。

 本年26年度もどうぞよろしくお願いします。

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 今年の園だより2月号で上記福沢諭吉翁の「心訓」なるものを紹介致しました。同時にこの心訓が福沢翁自らのものではなく何者かによる偽作であることもご説明しました。偽作であってもその説いていることは全く共感を覚えてあえてご紹介いたしました。

 それでは一万円札でおなじみの福沢翁ご自身のお言葉教えはどうなのかと気になるところです。翁の説かれる名言は実に数多くあります。翁の主著「学問のすすめ」からその幾つかをご紹介します。

◎ 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず
(人は皆平等だということで、封建制度的な考えから抜け出すことが大変だった明治初年度では今では常識的なことから始める必要があったのです。)

◎ 天寿を全うする者は、人の本分をつくすものなり。

◎ 家の美風その箇条はさまざまなる中にも、最も大切なるは家族団らん、相互に隠すことなき一事なり。

◎ 一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり。

◎ 自由とわがままのさかいは、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。

◎ 活用なき学問は無学に等しい。

◎ 実なき学問はまず次にし、もっぱら学ぶべきは人間普通日用に近い学問なり。

◎ 学問は米をつきながらもできるものなり。(勉強ができなかったという言い訳は言い訳にならない、学ぶ気がないだけのこと)

◎ 人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり。

◎ みだりに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を受けるものなり

 などなどです。いかがですか。もって心に刻みましょう。

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卒園児の皆さんから園長への贈り物

 左の顔は全部園長の顔だそうです。12名の卒園児全員一人ひとりが一生懸命に画いてくれました。どうもありがとうございます。皆さんのこれからに幸多かれといのります。

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春到来を告げるものはいくつかあります。保育園的には入園式かもしれません。歌的には「春よ来い」やちょっと古いかもしれませんがキャンデイーズの「春一番」とか。食・植物的には フキノトウ などはその筆頭格の一つではないでしょうか。雪解けの始まった山野の大地に真っ先に顔をみせてくれるのがフキノトウ。冬眠から覚めたクマさんがまずこのフキノトウを腹いっぱい食べて体力体調を整えるのだそうです。

フキノトウの成長は驚くほど早い。一日か二日でひょろひょろとした高い棒(とう)になってしまいます。色も淡い浅黄色と元気と幼さに溢れている。園児たちの賑やかな元気を見ると思わず連想します。それを耳にされたお孫さんの付き添えで来られたNさんがえらくに感心されました。そこで一句。

 「ふきのとう  園庭に 子らの声ひびき」

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弥生三月|2014年3月

 赤沢保育園の今年の3月は一年恒例の「お遊戯会」で始まります。

 ひよこ組はまだ歩けない0歳児を除いて一歳児の皆さんから小学校入学直前の年長組の園児全員は今お遊戯会本番に備えての練習に毎日頑張っております。プログラムを下に掲げました。一歳児達がたどたどしい足取りでステージに並んだ姿をみるだけで目がウルウルしてきます。どうぞお楽しみに。

 2月は俗に逃げると言いますがに日数が少ないせいもありあっという間に過ぎ去ります。
 ご存知のように2月の古い別名は「きさらぎ」と言い「如月」と書きます。また「着更着」とも書きます。一年でもっとも寒い季節のため更に一枚重ね着をするからとの説からだそうです。
 3月は「弥生」ですがこれは草木が一斉に芽吹く季節から強調の意味の「いやー生える」がつまって「やよい」になったと辞書にありますが、私は「やー良い季節になりましたなー」がつまって「やよい」になったのではと勝手に思ってます。

 逃げるように 早く過ぎ去る2月でしたが今年は大変大きな二つの思い出を残してくれました。

 その一つは太平洋側に二回にわたっての降雪で、とくに 2回目の14日の降雪は例年ほとんど降雪のない山梨県に一日に一メートルを超える積雪があったことです。東京都・埼玉県や特に山梨県山間部の集落では一週間以上も交通途絶状態が続いたことでした。それに引きかえ新潟県とりわけ新潟市近辺の記録的な少雪には、お天気の気まぐれに驚かされます。

 二つ目は言うまでもなくソチオリンピック。2月7日に開幕して半月間、時差の関係でTV放映が深夜未明になっただけに寝不足になった方も多かったのでは。新潟県人にとってスノボハーフパイプ平野歩夢の銀、清水礼留飛の団体ジャンプ銅、小野塚彩那のスキーハーフパイプ銅と上・中・下越それぞれに日本の8個のメダルのうち3人のメダリストが誕生したことは真に嬉しいニュース。特に平野歩夢の15歳は日本にとって最年少メダリスト記録。そして3人ともよちよち歩きの頃からスキーを履いて育っている。名前がレルヒや歩夢と親の思い入れや意気込みが並みでないことがよく判る。
 金メダルに一番近いと信じたジャンプの高梨紗羅がまさかの4位、浅田真央の転倒とその後の立ち直りの10人抜きの6位、41歳葛西選手のジャンプの銀、同じく渡部暁斗の銀、羽生結弦19歳の男子フィギュアの金、モーグル上村愛子の4位、竹内智香パラレル大回転の銀と数々のドラマと思い出をソチオリンピックは残してくれました。

 そんな数々の記録や思い出を後にして「やあーよい季節・弥生三月」を迎えましょう。

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福澤諭吉の「心訓七則」|2014年2月

 年があらたまって早一ヶ月が過ぎます。さて昨年はどんな事を書いたかと時にはふり返ります。昨年2月はNHKの大河ドラマ「八重の桜」にヒントを得て会津藩校日新館の校則「什の掟・じゅうのおきて・ならぬ事はなりませぬ」を紹介いたしました。また、一昨年は中国古代の学者韓非子の言「厳家に悍慮無くして慈母に敗子あり」、厳しさも優しさも程ほどにしないと子どもはダメになるとの言葉にふれました。いずれも子育て真っ最中の皆さんのご参考になればの心意からです。

 さて表題の福澤諭吉は一万円札の肖像でよく知られております。福澤諭吉は江戸時代後期、天保5年(1834)大分県の中津藩士の家に生れ、始め蘭学・英学を学び、江戸末期・明治期の文明開化に大きく寄与した啓蒙思想家・教育者、現在の慶應義塾大学の基礎を築きました。
 著書「学問のすすめ」の書き出し冒頭の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」、万人生まれながらにして平等との記述は多くの人が一度は耳にされたことがあるかとおもいます。

 その偉大な19世紀の大先達福澤諭吉の「心訓七則」をご紹介します。

 一、 世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事をもつと云うことです

 一、 世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です

 一、 世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です

 一、 世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です

 一、 世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせないことです

 一、 世の中で一番美しいことは全てのものに愛情をもつことです

 一、 世の中で一番悲しい事はうそをつく事です

 近代日本の大先覚者の人生訓はさすがに素晴らしく人の心に響く分かりやすいものがあると感銘をうけました。
 ところがところがです。残念ながらこれは福澤諭吉自身の言葉ではないのです。数十年前からこの「心訓」はどこからか現れたとのこと。この「心訓」の現代風な言葉遣いやそれらしき出典もなく諭吉自身のものではないと慶応大学や出身地大分県立図書館の諭吉研究家ははっきり否定している。その点心残りですが、諭吉を研究する誰かの善意の創作と理解し、その心意・真意するところを味わい噛みしめて下さい。

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大寒(たいかん)

 今年の立春は2月4日(火)。ご存知のように立春は旧暦では新年の一月元日になります。

 立春の前の十五日を旧暦の節句・せっくでは大寒と呼んでおりますが、大寒の時期はご承知のように年間を通して最も寒い気候になります。今年はどうなっているんでしょうか。新潟市はまだ本格的な降雪は一度もありません。今日29日現在積雪ゼロ。記録的な暖冬。立春の日を境に年があらたまります。旧年の邪気(鬼)を払って新年を迎えるために鬼の嫌う豆をまいて鬼を退散させ新しい年を迎えるということです。

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節分豆まき

はこれからですが、27日豆まきに関連するテレビ取材がありその放映予定をおしらせします。

 取材局は日本テレビ、放映予定は31日朝の5.50からの全国ネット「ZIP!」ハテナビコーナー  7:15頃の予定。新潟ではTeNY(4ch)。なお今回の取材はぞう組の皆さんだけです。

 豆まきに使用される豆は園では永年ピーナッツを使用してきました。ピーナッツを使用するのは全国的には北海道と新潟が主で他県では大豆が主体だそうで、なぜ新潟地方がピーナッツを使用するのかを探求する企画とか。他に市内の神社や市場等で取材。

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 新春恒例の石井式漢字かるた大会、今年は第14回を数えます。
 日時は1月11日(土)、場所は中央区上所「新潟ユニゾンプラザ」: 参加者は総数218名。 参加園は三条市きらきら、本成寺、ふじの木、新潟市西区竹の町、秋葉区敬愛、江南区割野、そして中央区赤沢と計7園。 今年も三条の3園に大部分を持って行かれ残念! 赤沢は諺年少で優勝・4位、俳句年長準優勝と健闘。今年はかなり練習を重ねたので期待したのですが、三条に上回れました。

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園内 餅つき大会(12月6日)|2014年1月

 2013年も残り少なくなりました。最後の12月の行事をふり返ってみました。
 11月末ジュニア展の発表がありましたが、今回は応募作品の全てが佳作で入選はありませんでした。結構いい出来のものを応募したのでしたが、審査の先生の見解の違いでしょうか。残念。

 同じく11月末実施の縄跳び大会、今回は昨年と比較すると大幅に跳び回数が上がりました。 因みに昨年のぞう組の記録は1位323回、一昨年230回だったことに比べると今年の800回は髙レベル。今回のぞう組2位~5位の皆さんは何れも昨年は2~30回程度でしたので今回の熱の入り方に比例して大躍進。今年の年中児の記録は高い。来年は1000回以上が出るのではとたのしみです。過去2000回前後だったこともありましたので新記録とはいきませんが好記録。10年近く以前のことでしたが余りの過熱に健康を考慮して1000回程で園長ストップ制度をもうけたりしました。そのためか記録はその後低くなりましたが、500回以上は欲しいと考えておりました。

 新年1月11日(土)は漢字かるた新潟県大会があります。前回は園児の入賞は全体40席のうち「赤沢」の入賞は3名(7.5%)でした。今回園児参加数全体で205名、「赤沢」は33名(約16%)ですから比率からは6人以上入賞できるはずです。今の練習状況から可能かと推測しますが。  ガンバリ ましょう。

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左利きについて

 左利きは遺伝だとか習慣だとか環境の影響とかと根拠についてはいろいろ言われておりますが、その問題はさておいて人間社会の現実においては右利きと左利きの比率はなぜか圧倒的に右利きのほうが多い。したがって生活様式は右利きに便利に出来ている。 また右利き左利きといっても100%全ての動きがどちらかに徹底していることは少ない。例えばタオルや雑巾の絞り方向、自転車にまたがるのは左からか右側からか、多数派少数派と分れてはいても一方的ではないのではないと観察しながら感じております。本来右左どちらでも対応できるようにヒトの身体はできており多用するほうに筋力や神経回路が発達するからであり、草原に道が出来るのもヒトの踏み跡がやがてハッキリとした道となることと同じような経過では。

 一般的に0歳後半頃から子どもは特に食事時に食べ物を自分で取ろうとする動きを始める。やがてスプーンなどを持たせるようにすれば自分で持つようになる。そんな時、右手で持つように直してやりそれを習慣づける。大体3歳前後で右利きかどうか決まるのではないでしょうか。

 大人になってからも右打ちの野球選手が左打ちに変わったり右左両方投げることが出来る器用な人もおります。

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 12月25日(水)のクリスマス、園児達お待ちかねの男女2人のサンタクロースがプレゼントを」持ってやって来ました。  「煙突がないのにどこから入ってきたのか」と真剣な顔で尋ねておりました。ホントにどこからきたのでしょう? (新潟大学工学部の皆さんのご協力でした)

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師走十二月|2013年12月

 子どもの頃の一年は長かった。「もう幾つ寝るとお正月」のように正月が待ち遠しかった。。

 年齢が高まるにつれて時間の経過の感覚は早くなる。格言「光陰矢のごとし」「歳月人を待たず」のように。この加齢とともに時の経過が早まる感覚は洋の東西を問わない・年末が近付くと大人は何か大きな忘れ物がしてはいなかったかと落ち着かない気持ちになる。

 今園内では、3歳児以上の園児達は「縄跳び」大会と漢字かるた大会準備練習に熱が入り始めている。

 つい数週間前まではまるで跳べなかった子どもが、正しい跳び方で何十回どころか何百回と跳べるようになってきている。一日一日その記録の向上を確かめながら練習を重ねている。子ども達は目標を持ってそれに挑戦し到達し乗り越えていくことに張り合いと満足感を実感している。

 学習という言葉、学は学ぶことでまねるが語源、先輩や親のやり方を見習うことから始まる。習うと云う文字は「羽」に「白」と書く、鳥が巣立つ前に飛ぶ練習を巣の中で繰返し自習する。「白」は百と同じ意味で数多く羽ばたきの練習をすることをいう。

 子ども達は今縄跳びやかるた取りを通して確実に自分から努力し体力と智力と努力する根性を築いている。さらに「継続は力なり」を自ら体験しているのだ。   一人でも多くしっかり頑張ってください。

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 保護者の皆様の暖かいご協力の元で11月9(土)本年度の「バザー・作品展、好天にもめぐまれ無事に楽しく終わることが出来ました。厚く御礼申し上げます。

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