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仲良き事は美しき哉|2015年7月

 カボチャ、キュウリなどの野菜の絵とともに「仲よきことは美しき哉」と描かれた色紙額をご覧になったことがありませんか。明治・大正・昭和の三時代を、小説家・詩人・劇作家・画家として活躍され文化勲章受章、名誉都民でもあった武者小路実篤氏によって描かれたものです。昭和51年90歳で亡くなられてから約40年、今ではご存じの方も少なくなったかもしれません。

 仲よき事、極めて平凡でありふれた事だが実に大切なことだ。国同士が仲よくなれば平和が保たれ戦争も起こるはずもなく、人同士が仲良くなれば争いも起こらず犯罪も殺人事件もないはずだ。動物の生態などのドキュメンタリ記録などを見ていると動物同士の争いの大半は、食と性の問題に尽きるようだ。人間世界にしても所詮それに尽きるのでは。

 平和の和の字はノギ・禾偏にクチと書く。ノギとは穀類の種子(モミ)のトゲ・野毛のことで、「園だより5月号」の上野・下野(コウズケ・シモツケ)の説明を思い出していただきたい。穀類を口に出来れば食の問題は解決し平和になる。食の確保のため縄張り問題が生じ、人の場合は領土問題へと発展するのだ。

 今から約1350年前、7世紀飛鳥時代の聖徳太子は、国の政治のあり方の基本理念として『和をもって貴しと為す』と説かれている。

 武者小路氏は人生訓や名言を多く残している。もともと生家が華族(子爵)であり大戦中は貴族院(現参議院に相当)議員だっただけに、その根っこはお坊ちゃんで理想・利己主義、楽天的との評もあるが、それだけに純粋さも感じる。氏の格言をもう一つ。

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 この3月末に川上倖輝くんが東区へ、中川昊也くんが江南区にそれぞれ転居・転園しました。二人とも1歳児ひよこ組から4歳児ぱんだ組終了の4年間を「赤沢」で過ごしました。2歳児の時からの担任のT保育士が、現在5歳児ぞう組全員の両君あてに描いた絵手紙をまとめて5月初めに届けました。その後そのご返事を戴きました。

 上は川上くんから、下は中川くんとお母さんからのお礼の手紙です。いいお話ですのでご了解をいただいて紹介させていただきます。お二人とも運動会にきてくれました。

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 さる6月20日(土)お天気にも恵まれ今年の運動会は無事に終了致しました。会場がこれまで近かった旧豊照小学校に代わって約1キロ以上離れた日和山小学校、と初めての場所での運動会だけに、園用具の運搬や慣れない会場の使い勝手がどうか等々、正直な話、心配・不安の種は尽きませんでした。

 事実は「案ずるより産むが易し」で無事に実施出来た事を感謝しております。晴天にも恵まれたことも幸いでした、そしてなによりも保護者の皆様の大きなご協力のお陰でした。会が楽しく無事に予定通りに終わることができましたことを心から喜んでおります。ありがとうございました。

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熱中症や真夏日が天気予報に出る季節になりました|2015年6月

 4月の新年度が始まってから早いもので2ヶ月が経過、進級して組名が一年繰り上がってその新しい組名に対しても園児達は初期の張り切り感が和らいで気持ちが慣れてきました。

 4月入園の子ども達も「春の遠足」が終わる頃には大体園生活になじんでくる。保護者と一緒に普段と違ったそれも楽しい園行事をすることでなじみが一層深まるのだ。それでも、まだまごまご手間取っている子どもも6月の「運動会」が次の節目になる。それが終わると大体こころの足並みが揃い落ち着く。特に運動会ではその練習をとおして、一緒に走ったり競ったりすることを繰り返していくうちに他者と歩調や気持ちや目標が共通となり、理解や意識が揃ってくるのだ。スポーツはその目標や技術のレベルがはっきりとしてわかりやすい。幼児でも3歳頃になれば大体勝ち負けや優劣を理解することが出来るのが運動会だ。

 子どもの時から勝ち負けを経験することは、勝った場合はともかく敗者の悲哀を味わう事は子どもにとって残酷であり、大きく心が傷つくこともあり、心の健全な成長にはマイナスである。とそんな見方を重視してか競技の優劣を決める運動会が学校ではやらなくなり、それに代わってスポーツ的なお祭りフェスタなどに置き換わって久しい。フェスタ的行事はそれはそれで大いに結構だが、勝ち負けを決める競技会とは異なる。誰しも負ける事はイヤであり時には傷つくかも知れない。人生勝ちばかりではない。人は負けや失敗の口惜しさをバネにして自分を鍛え上げてこそ実力が向上するのだ。勝っても敗者にたいする感謝やいたわりの心も勝負をとおして学んで欲しいものだ。

 保育園の園児に対する役割使命は: 保育園の本来の役割は、保護者の方々がそれぞれの事情で保育が出来ないか困難な子どもの保育委託を受けて健康的な環境で安全に守り保育することだが、それは真正面な役割使命であり、可能な限りそれを全うすることに専心することは言うまでもない。

 『三つ子の魂百までも』は古くから日本で言い古された諺(ことわざ)。三つ子は三歳児のことだが昔流の数え方で今の年齢では2歳児に当たる。当保育園の「こあら組」になる。2歳の時の魂はその後の生涯に影響・左右する基だということだ。この世に生をうけた赤ん坊の頭脳はまっさらだ。赤ん坊が人として最初にやることはまず目の前に見える事物を見る事だ。そのうち同じものが何回も見るとそれを記憶する。その初期に記憶したものが三つ子の魂を構成するのだ。赤ん坊の眼前にもっとも頻繁に見える映像は通常母親の場合が多い。鳥のひな・ひよこは最初に眼前見えて動くものを母親と思いこんでそれが犬であろうと猫であろうが必死になってその後を追いかけるそうだ。

 ある日の園内のこと。階段をのぼっていた4歳の女の子か突然登るのをやめて固まってしまった。その表情は緊張と恐怖を示していた。何事ならんと階段をみても何もそれらしきものが見当たらない。彼女の視線の先を見ると5ミリ程の小蠅が止まっていた。まさかと思ったが彼女の恐怖の原因はその虫だった。彼女の家の誰かが(母親?)極端に虫を嫌って怖がって虫を目にするとおおげさに家の中を飛び回るのではないかと想像した。先輩の動作に大きく魂が影響かされた4歳児にとっては動く虫を見ると体が固まってしまうのだ。理屈でなく体に摺り込まれたこの感覚・魂は間違いなく百まで続くに違いない。

 百歳までの魂が形成される重要な時期の子どもをお預かりしているのです。まずその第一歩は食事の際の手づかみから箸・スプーン使い、おむつからパンツへのトイレトレーニングだ。0~1歳児からの在園児ひよこ組は2歳になるまでに、そして2歳児はこあら組が終わるまでを目指している。

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 ファンタステックな作品の影絵 作家・藤城清治(ふじしろせいじ)の世界、栃木県那須高原に 一昨年新しく開館した展示館をこの5月連休に尋ねてみました。

 同氏の名前を知らなくともイラストや展示室の写真、ケロヨンのキャラクターをご覧になれば、多くの方は見覚えがあるのではないでしょうか。

 磐越・東北自動車道・郡山経由那須ICを降りて一般道約11キロの地点。大型連休の観光人気スポット那須高原の交通渋滞は大変なもので、ICの降り口から入館までに2時間かかったのには参りました。

 同氏の作品はヨーロッパ・メルヘンの世界に引き込んでくれるのでは‥、そんな同氏の90歳を超えてもなお盛んな創作活動に直接触れたくて訪問を決めた。そんなに広くもない館内だったが狭い通路暗い室内のためか出口がわからなくなり一時迷子になったがその分藤城清治の世界はしっかり堪能してきた。

 那須一帯は遊園地、観光牧場、温泉や那須岳ハイキングもありで観光スポットとしては好地点、それだけに休日の交通渋滞に注意。

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 一年の恒例行事、その最初がまず遠足。その遠足の楽しさを大きく左右するのが野外行事だけにお天気だ。

 5月20日(金)、幸いお天気は申し分ない上々の好天気。「あかざわの春の遠足」の定番になっているのが、公園備えつけのバーベキュー窯場を利用して造る「とん汁」。緑一杯の広々とした公園を楽しんだ後の「とん汁」、今回の味は満足いただけたでしょうか?

 子どもが成人し、園の遠足を思い出したとき、公園の流れでびしょぬれになったとか、あるいは遊具遊びでひやりとスリルを体験したとか、そんななかで「とん汁」の味を思い出してもらえれば嬉しい限りです。

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地名・人名の読み方 その難しさ・面白さ|2015年5月

 漢字の読み方は実にさまざまである。特に地名人名は複雑で一筋縄でいかない。私事で恐縮ですが園長の私は平成になってから今の保育の世界に関わるようになった。それ以前の昭和の終わりまでは製造・物造りの世界に30年以上従事していた。その昭和末年頃、栃木県宇都宮市郊外のある工場に勤務していた時のことだった。

 その工場のある部門は24時間稼働しておりその夜間作業者の中に中国の留学生がいた。留学生といっても40歳前後で西安市の工業大学の助教授で、中国国費で宇都宮大学工学部で学んでおられた。その頃の中国はまだ経済的に未発展で今のような旅行者が爆買いするような経済力も工業力もなく、資金的にも乏しい状況だった。それだけにエリート留学生でも支給される国費は月5万円程度で、アルバイトなしではとても生活できなかった。それはともかく、さすがに大学の助教授だけあって彼は紳士であり学究的で日本語習得姿勢も謙虚熱心だった。その日本語学習のために手当たり次第に日本人にそれも漢字に関連した質問が多かった。その相手として私は結構当てにされた。

 上野(こうづけ)・下野(しもつけ):栃木県はその昔下野(しもつけ)の国と呼ばれ隣の群馬県は上野(こうずけ)の国とよばれたことはご存じの通り。忠臣蔵でお馴染みの悪役吉良上野介(きらこうずけのすけ)は有名であり、この場合上野をこうずけと読むことは大抵の人は知っている。しかしなぜ上野がこうずけになり、下野がしもつけになるかを答えられる人は極めてすくないのでは。その留学生はその説明を求めてきた。彼の質問には大抵答えていたが、この質問には即答できなかった。

 考えてみると実に不思議な読み方である。

 稲イネや麦ムギの実、籾もみにはトゲのようなヒゲ状のものが付属している。そのトゲ・ヒゲ状のものをノゲまたはノギと呼び漢字で野毛または禾と書く。 ノゲ、ノギは奈良・平安時代では同時に穀物を意味した。横浜の野毛山町や東京世田谷に上野毛町がある。穀物のよくできる地域を毛の国とよんだ。山手の地域を上の毛の国、その下手を下の毛の国と呼んだ。上越新幹線の駅「上毛高原」もそんな由来。また奈良平安期には「上の毛の国」、位置を表す初めの「の・野」を「つ・津」という言い方となり「かみつけのくに・上津毛野国」となる。かみ「上」は「神」とも通じ、発音も「かみ」から「こう」と変化する。兵庫県の神戸市(こうべし)や伊豆七島の神津島(こうづしま)のように。その結果「かうづけ」になるのだが表記は「「毛」が略されて単に「上野」だけとなり、現代仮名遣い表記では「こうずけ」となる。同様に「下津毛野国」が「下野」だけで「しもつけ」と読んだ。

 ついでながら、栃木県小山市から群馬県高崎市を結ぶ鉄道JR「両毛線」があり、群馬県の有力新聞には「上毛新聞」がある。

また、変わった読み方の人名では昭和前期を代表する流行歌手、秋田県出身の東海林太郎(しょうじたろう)をご存じでしょうか。

 東海林がなんで「しょうじ」になるのか、永年の疑問だった。ネット検索はそんな理由を調べるのに実に便利だ。

 それによると諸説多くあるがその全部は長くなるので要約すると大略次のようになる。

 まず「しょうじ」とは庄司または荘司のことで、昔、領地のことを「荘園・しょうえん」と呼んだ。その荘園の管理者のことを「荘司・庄司」とよんだ。山形県内の「東海林・とうかいりん」という地名の場所の管理者を荘司しょうじと呼んだのがはじまりとか。また山形では「とうかいりん」とそのままの呼び方もあり、また「しょうじ」の二通りあるとか。何れにしろ山形県、北海道、秋田県、宮城県に多い苗字とのこと。

 漢字の読み方、いろいろあって奥深いですね。

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 この3月末に閉校した中央区新潟島下町地域の四小学校(湊、栄、入舟、豊照)を統合して新たに『日和山小学校』が旧入舟小学校の施設で4月から発足したことはご存じの通り。

 好天に恵まれ4月9日(木)、その日和山小学校の入学式は57名の新一年生を迎えて予定通り無事に開催終了。

 赤沢保育園からは12名の卒園児がめでたく入学。

 日和山小学校校歌は、旧栄小学校出身のかの超有名歌手小林幸子さんによる作詩作曲。右手の歌詞は入学式会場室内体育館に額装掲示を撮影。

 同校入学式に園長出席、校歌の作詩作曲者の招待出席があるかもとちょっぴり期待したがそれはなく、その代わり下記右上の写真のステージ上の立派な生花が名札とともに大きく飾られていた。

 校歌の曲調はやさしく明るく親しみを感じる歌いやすい曲との印象をうけた。歌詞3番目には四校の文字が織り込まれ、さらにさりげなく「幸」の字も‥。

 校歌の歌詞のように「日和山小学校」の未来が豊かに栄える事を心から祈ります。

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名前|2015年4月

 今、保育園にっとって3月の卒園式、4月は入園式と、お別れや新しい人達との出会いの季節だ。保育園の場合、一年の中での園児の出入は卒園は一斉だが、入園は学校のように4月一斉とは限らないがやはり4月は多い。新しい園児との出会いは新しい名前との出会いでもある。

 新聞には新しく誕生した子ども達の名前欄と亡くなられた方々の名前欄が大体同ページに並んで掲載されている。死亡欄は大正から昭和初期の方が多い。新生児の名前と死亡欄の名前の特徴と違いがはっきりと時代を反映している。

 まず昔の名前は男女の性別が一見してはっきりとわかる。女性名はカタカナやひらがなだけが圧倒的に多い。男性の場合 かながき名前はまずお目にかからない。女性の名前は昭和中期となると○○子と末尾に子がつく名前が圧倒的に多い。

 最近の子どもの名前の傾向は昭和時代のそれとははっきり違ってきている。女性の名前ではまず「子」の付く名前が絶滅危惧種に近くなった。代わって耳にやさしい語感の名前やテレビドラマのヒロインの名前や有名人の名前にあやかったりが多くなった。また西欧外国語名をそっくり頂いて印象のやさしい漢字を当てはめる名前が多い。例えば、アンナ杏菜・安奈、カレン華蓮、エマ江真、レナ伶奈、サラ沙良のように、‥。

 今年の一月、園田天光光(てんこうこう)さんが96歳で亡くなられた。旧姓松谷と言ってもご存じの方は少ないかと思われる。

 天光光さんは今は当然になった女性国会議員、大戦後の1949年、日本最初の東京都選出の女性第一号議員の一人だった。その上変わったそのお名前、そして妻子ある園田直議員(熊本県選出)と大恋愛の末結婚された。当時は白亜(国会議事堂)の恋、不倫議員と国家的と言えるほどの大きな話題となった。また在任中に妊娠出産、ママさん国会議員の第一号でもあった。なお、園田直氏はその後、1976~78年の福田赳夫内閣の官房長官・外相・厚生大臣等を歴任された。

 天光光さんはその後議員をはなれても政治活動をつづけ、彼女の尽力でブルガリアヨーグルトが日本でもおなじみとなりブルガリア国から最高勲章を贈られている。最近では野田聖子議員の出産のため議員産休制度成立にも大いに尽力されたとのこと。

 ところでその変わったお名前「天光光」は実業家として成功され教育熱心だった父親の意向。男子を願ってこの名前を用意されたが女子でもそのまま命名したとのこと。初めの光は宇宙の天の光、同様に二番目の光は自分の光で世の中を照らす人間になってとの思いが込められている。天光光さんも初めこの名前に抵抗を感じ「天光」の二字だけを記した時期もあったが、父の意を理解して、以来政治家として誇りをもって天光光の名前を愛されたそうです。

 子どもの名前はその子にとって一生ついて回る。子ども自身がその名前を選ぶことはできない。親の付けた名前で一生過ごさなければならない。結局子どもは親のたどった心の軌跡を同じようにたどり親の思いと重なることが多いのでは。子どもが長じて名前に感謝する、実に結構な話では。

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 去る 3月13日(金)、ミスタードーナッツ事業部約20名の皆さまが御覧のような着ぐるみ“ポンデライオン”と一緒に園児全員にドーナッツのお土産持参で来園されました。年長児のみなさんにはドーナッツの上に好きなトッピング作業が出来るおまけ付き。思いもかけない楽しい思い出となりました。ミスド事業部販促プロジェクト活動とはいえ皆さま本当にありがとうございました。

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 昨年6月の運動会の写真、会場は豊照小学校の室内体育館。園だより3月号で触れましたとおり、豊照小学校はこの3月末をもって明治6年開校142年の歴史に幕が下りる。 空き家となる校舎や敷地の活用は、まだ具体的には決まってないようだが、管理人を置いて設備維持管理する予定はないとのこと。

 当保育園の目玉イベントとして地元の皆さんにも永年親しまれてきた運動会、その会場として豊照校の体育館、それが出来なくなるのはほぼ確実。園としての大きな課題です。どうしたものか、皆様方のお知恵やご意見をお聴かせいただければありがたいです。

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天行健 君子以 自彊不息|2015年3月

 赤沢保育園の位置する新潟市中央区の下町地域の小学校、入舟・栄・湊・豊照の四校が生徒数減少のため今年の3月末で閉校することになり、同校区の生徒達は27年4月から新しく開設される日和山小学校一校に統合されることになりました。校舎は現在の栄小学校を建て替えて2年後に新校舎となる予定ですが、それまでの2年間、現在の入舟小学校の校舎を使用通学することになっている。
 昭和19年に豊照小学校を卒業した筆者ですが、実は近年、同校の同窓会に関係ありましたので、同校の閉校に際していろいろと関わらせていただきました。
 創立142年の歴史の豊照校、旧新潟町以来の新潟市の中で鏡淵校とともにもっとも古い歴史の母校が閉校になるとは、感無量です。明治6年(1873)、明治新政府が文明開化事業の大目玉として義務教育制度を発足、当時の新潟町(現在の新潟島地域)に五校を開設した。その五校とは鏡淵校・西堀校・四番堀校・洲崎校・豊照校で、豊照校以外はそれぞれ超願寺・光林寺・真宗寺・長音寺等の寺院で発足した。豊照校だけは北毘沙門町の料亭の建物を借家して校名を始め「勇進舘」で開校。程なく現在の敷地の見方町に校舎を新築移転し校名は隣接町内にあった豊照稲荷神社に因み豊照校となった。

 さて、上掲の昭和18年(1943)の豊照校創立70周年記念式の写真です。この中に私(園長)は生徒として入っている。写真正面演壇上は校長坂井義雄先生。その右手上の扁額には「自彊不息(じきょうふそく)」の四文字が書かれている。三条市出身の鈴木壮六陸軍大将の筆によるもの。語句の出典は孔子の論語、全文は上掲の「天行健(てんこうけん)にして君子(くんし・心がけ正しい人)は自彊(じきょう)にやまず」となる。その意味は、「天の日・月・星の規則正しい動きのように心がけある人は常に自分を強める努力を止める事がない」。彊は強と同意。「不息」は息をするようにやめないことを意味する。執筆者が軍人のため処分されたのか現在所在不明。その力強い字影はいまでもはっきりと目に浮かんでくる。

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 冬の二月初旬、新潟市内西区赤塚の佐潟(サガタ)沿いを車で東京からの友人と走った。佐潟は知る人ぞ知る白鳥飛来数が7000羽以上と水原(スイバラ)の瓢湖(ヒョウコ)よりも多い日本一のスポット、つい先年までは自然が多く残っていた街道沿いの湖岸、今はすっかりと整備され、駐車場、ベンチや公衆トイレなども設置された。白鳥見物もありそこで一服。

 頭上や水面に舞い遊ぶ白鳥を眺めながら文学好きの友人の脳裏に浮かんだのが上掲の短歌。私に向かって『白鳥を見てこの歌をおもいだしましたが作者が思い出せません。ご存じですか?』 たしかに有名な聞き覚えのある短歌。だが残念ながら私も思い出せなかった。たしか明治期のものと懐かしい気持ちでその後確かめた。

 作者は旅と酒をこよなく愛した明治18年(1885)宮崎県生まれの歌人若山牧水(ぼくすい)。

房総沖を詠んだと言われる白鳥の歌の解釈は次の様になるのでしょうか。

  「(ハクチョウではない)白い鳥(カモメ?)が空の青色にも別の海のアヲ色にも負けないはっきりとした白を際立たせて水の上を漂っているその姿のいじらしいことよ。」

 時には明治人のセンスにも親しんでみましょう。牧水の旅の歌・酒の歌を数首:

   幾山河越えさり行かば寂しさの  はてなむ国ぞ今日も旅ゆく

   上野と越後の国のさかひなる  峰の髙きに雪ふりにけり

   人の世にたのしみ多し然れども  酒なしにして何のたのしみ

 しっかりと酒と旅を楽しんだ牧水、肝硬変で昭和3年43歳で早々とあの世に旅立った。

  注)上野=こうずけ=群馬県

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≪節分≫|2015年2月

昨年暮れの12月初旬・中旬には二度にわたって30㌢余の降雪があり暖冬予想の気象庁の長期予報も見事に大外れと思われたが予報の修正はなかった。

 立春の前の十五日を旧暦の二十四節気では大寒と呼んで一年で最も寒冷な時期なのだが、今冬の新潟市はどうだろう。その後本格的な降雪もなく、今日29日現在積雪はゼロ。新潟市は記録的な無雪暖冬といえる。

 立春の日を境に旧暦では年があらたまり旧年の邪気(鬼)を追い払って新年を迎えるために鬼の嫌う豆をまいて退散させ新しい年を迎えるというのが「節分の豆まき」。昨年の『園だより2月号』では日本テレビの朝の番組全国ネット[ZIP!]の「ハテナビコーナーの園児達の取材放送予定紹介した。その放送のご記憶の方もおられるかと思います。

 実は今年も年明け早々東京のテレビ局TBS が新潟の子ども達が雪だるまと遊ぶ情景の取材に訪問したいと申し入れがありましたが、せっかくですが雪が全くないのでと辞退いたしました。その電話の頃も今も連日のお天気情報は新潟地方は毎日のように雪を報じている。新潟地方として確かに降雪はあっても新潟市は積雪ゼロと言ってももなかなか信じてくれません。全国放映のための取材申し込みだっただけに残念でした。ほんとに近年の気候はどうなっているのでしょう?

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 「園だより」の中でこれまで数多くの有用な名言・格言などを紹介して参りました。これからもそれは心がけます。

 ことわざはそれが 多くの人にその内容の確かさや当然性に「がってんがってん」と肯定せざるをえない言葉や気持ち、願望等が端的にこめられており、その納得性の高いものが諺(ことわざ)として残ります。別の言い方をするならば「ことわざ」はご先祖の残してくれた「生活の知恵、心の指針」の言葉の塊り、貴重な遺産お宝なのです。

 また俳句かるたは自然や心の動きをもっとも端的に美しく切り取った名句ばかりです。 「かるた大会」で使用している「かるた」は実にその名句・名言の倉庫なのです。

 例えば「諺かるた」の中の一つに「桃栗三年 柿八年」があります。これは、文字通り桃や栗の木は芽生えてから果実をつけるまで三年かかるよ、柿は八年かかるよと言っている。植物の生育するさまの表現がなぜ諺になるのか。桃も栗も実をつけるまで3年を要するかもしれないが3年経てば桃や栗は放っていても大半は実をつけるものだと、それが自然だよと教えている。その時期を早めたり遅くすることは不自然なんだよとも告げている。

 あるいはその三年を早めたり遅らすことは出来るかもしれない、がそれにはそれなり特別な工夫や努力が必要でありそれなりの副作用があることも考えなくてはならない。そのようなことを一々考える事は深読み過ぎではとの思いもあるが、どう深読みするかで諺の意味が成り立つのでは‥。

 この句にはこんな後句があるのをご存じですか。
 「桃栗三年 柿八年 柚子(ユズ)の大バカ十六年」

 「俳句かるた」から一句:
 雪解けて村いっぱいの子どもかな   小林一茶

 一茶は新潟県境に近い雪深い信州柏原の出身、長い冬の間じっと家の中にこもっていた子どもたちが春とともにいっせいに外に飛び出して声を張り上げる、ひっそりしていた村がいっぺんに賑やかになる。

今の日本中がそうありたいですね。

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 新年恒例の石井式漢字かるた新潟県大会、今回は第15回を数えます。

 日時は1月10日(土)午前10時開会、場所は中央区上所「新潟ユニゾンプラザ」:参加者は総数198名。

 参加園は三条市きらきら、本成寺、ふじの木、新潟市西蒲区竹の町、秋葉区敬愛、江南区割野、そして中央区赤沢の計7園。

 今年も三条の3園さんに大部分を持って行かれました。 赤沢は諺年長で準優勝、俳句年長・年中各三位、その他入賞者6名と善戦健闘、今年はかなり練習を重ねましたが残念ながら優勝は全部三条さんでした。

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2014年「園だより」を振り返る|2015年1月

 2014年も残り少なくなりました。今年はどんな年だったのかと振り返ってみる気持ちの時でしょうか? 皆様それぞれの思いで年の暮れと対面かと思います。京都清水寺の恒例の今年の漢字選びは『税』の字が選ばれました。消費税が5%から8%になりじわじわと物価の上昇を感じ、その分手持ち金額の目減りを感じこれがアベノミクスとは一体何なのかなあと変な気分を感じているのは私だけでしょうか?

 補聴器メーカーでリオンという会社がありますが、そのリオン社が「今年の音」というテーマで意見を集めたところ一位が号泣県会議員の泣き声だそうで、なるほどですね。47歳の男性議員が議会で質問の追及を受けると幼児顔負けの大声を張り上げての泣きっぷりはネットのお陰で世界的な注目を惹いたようです。

保育園の音的には園児・子ども達の間の今年の大人気は何と言っても『妖怪ウオッチ』テーマ曲の「ゲラゲラポーの歌」ですね。古くは「泳げタイ焼きくん」「団子三兄弟」や「さかなのうた」などの流行ぶりがおもいだされます。

 毎月「園だより」作成にあたっては、子育て真っ最中の保護者の皆さんにとって少しでも為になり役立つ情報や励まし指針となるものを、25年以上になる保育に従事した経験、またそれ以前の物造り業務に30年以上関わった経験と何だかんだと結局80年以上にもなる人生経験を通してこれはと感じるものを選んでおります。それだけにご紹介・お知らせしたものには永久保存して、折に触れて思い出し心がけて戴きたいものばかりですが、今年の「園だより」中から、これはという言葉を幾つかを選び出してみました。

 2月号では、一万円札でおなじみの福沢諭吉の「心訓七則」をご紹介しました。これが福沢諭吉のものではなく偽作とのことですが、その中の言葉は素晴らしい。七則の書き出しは、「世の中で一番‥」で始まって「楽しくりっぱなことは一生涯を貫く仕事をもつこと」。 二番目は「みじめな事は人間として教養のないこと」。 三番目「さびしい事はする仕事のない事」。 四番目「みにくい事は他人の生活をうらやむ事」。 五番目「尊い事は人のために奉仕して決して恩にきせないこと」。 六番目「美しい事は全てのものに愛情をもつこと」。 七番目「悲しい事はうそをつく事です」。偽作とはいえ心訓の言葉はその通りです。その心はきちんといただきましょう。

 3月号は、相田みつおの言葉を幾つかご紹介しました。その中の一つ、「つまづいたり ころんだり するほうが自然なんだな にんげんだもの」。人生いろいろあります、わるいときもあります、そんなときは肩の力を抜いて別の角度から考えてみましょう。

 4月、5月はスキップして6月号の『名語鑑賞』、孔子の言葉「之を知るを之を知ると為し 知らざるもは知らずと為す 是れ知るなり」:知っている事は知っていると言い 知らない事ははっきり知らないとさせる、それが本当に知ることである。当たり前の事なのですがそれが案外できないのですね。

 8月号では号泣県会議員をとりあげました。あの泣きっぷりは理解に戸惑います。年は取っていても心はまだ子どものままの部分が多く残されているとしか考えられません。パニックになると「ママ、みんなボクをいじめるんだよー、」 と。是はなかなか難しい問題です。どこまで、いつまで親としてかかわるのか子どもの成長に併せて判断していかなければなりません。一人一人異なります。親ばか結構です。12月号の辻井さんの言葉にもありましたように。しかし、それも過ぎるとろくなことはありません。ばか親にならないように。そのためには人の意見を聴き広く教養を深めることですね。

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≪絵画展結果のお知らせ≫

毎年園児達の作品を応募している新潟日報社主催の「県ジュニア美術展」、今年の結果が11月末に発表がありました。今回はうさぎ・ぱんだ・ぞう組の作品29点を応募しましたが、ぱんだ組穴山果林さんの作品一点が奨励賞に入選、その他は佳作でした。結構いい出来のものを選んで特賞、優秀賞をとねらったのですが、審査の先生方との見解の違いでしょうか、結果予想が違いました。何年か前になりますが優秀賞に入ったことはあるのですが、特賞はまだありません。

 同じく絵画作品展で近年応募を続けているのが毎日新聞社主催の3歳以上~小学校6年生までが対象の『全国児童画コンクール』があります。市内大手スーパー『原信・関屋店』が窓口で応募しております。賞として文部科学大臣賞(幼児1名、小学生1名)その他があります。近年の応募総数は50万点以上ありの全国規模。入選枠が10,000点、仮に応募数が50万として確率は50点中の1、優秀賞枠が約2千点で同じく応募250点中の1になります。今回その優秀賞にぞう組の山田雪乃さんの作品が入賞致しました。よかったですね。

 「原信関屋店」で元日(木)~7日(水)まで赤沢保育園の応募作品が展示されます。うさぎ・ぱんだ・ぞう組全員の作品で応募しましたので、ご覧になりたい方は「原信関屋店」までお出かけ下さい。

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≪サンタクロースご来園≫

 12月25日(木)のクリスマス、園児達お待ちかねのサンタクロースがプレゼントを持ってやって来ました。 子どもたちは「煙突がないのにどこから入ってきたの」かと真剣な顔で尋ねておりました。ホントにどこからきたのでしょう? (実は新潟大学工学部のご協力なんですが‥。)

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「明るく楽しく そして諦めない生き方」|2014年12月

 今回は、10月末に新潟県保育士会主催の「保育士研修会」に参加したT保育士の参加報告レポートが大変素晴らしい内容でしたので、それをほぼそのまま紹介させていただきます。

 研修会の講師は辻井いつ子さん、彼女に授かった初めての子どもが先天性の全盲とわかった時は真っ暗な奈落世界に突き落とされたような絶望感を味わわれことかと思われます。しかし辻井さんはその息子・伸行さんを世界的に有名な米国のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに出場して金賞獲得を成し遂げ、世界的なピアニストに育て上げた母親の子育て奮闘物語がこの研修会。上記表示の「明るく楽しく そして諦めない生き方」が講演の題名。

 前置きはこの辺で、保育士TYのレポートの紹介に移ります。

保育士TYの研修報告書: (辻井いつ子氏の講演)

〇1988年(昭63)に生まれた長男伸行さんが生後間もなく全盲とわかる。

〇8ヶ月頃、童謡だけでなく自分の好きなクラシック、ポップスなどを聴かせてみたところ、ショパンの「英雄ポロネーズ」をロシアのブーニン演奏のものが流れると、リズムをとり、笑顔、とても喜ぶ。ブーニン以外の別の演奏家のものには全く反応がない。母はこの時(8ヶ月の伸行が)演奏家による曲の違いを聞き分ける能力があると確信

〇また、2歳3ヶ月目の頃、母の鼻歌を2、3回きくと覚え、童謡だとおもちゃのピアノではあるが上手に弾いた。そこで早い時期に本物のピアノをと週に一回講師が弾くピアノの音楽鑑賞。本格的なピアノレッスンではなく、楽しめる指導をしてもらった。→その後、様々な児童少年対象の音楽コンクールで優勝。

〇全盲だからわからない、出来ないのではなく、やらなければわからない。やりたいと思うものはとにかくやってみれば良いという母親の考え、プラス思考でありたい。ピアノを弾くきっかけだけでなく他の水泳、スキー、キャンプ、美術鑑賞、登山等々。

〇心豊かにいろいろな事を体験すると人間の幅が広がる。

〇子どもは親だけには無条件に褒めてもらいたい、愛されたい、どんな事があってもお母さんは自分の味方。親も子も信じてあげる→親子の関係。

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≪「親ばか力」で才能を引き出す10の法則≫

①子どもの可能性を信じる―
     大きな可能性があると信じる。「もしかして天才かも」

②よく観察し才能の種を発見する―
     愛情を以って子を見つめ小さな反応や変化を見落とさず、
     何に興味関心あるか見極める。親の固定観念で子をみない。

③始めるに「早すぎるは」ない―
     子が興味を持つことを積極的に援助し「やる気」を膨らませる。
     そして親も一緒にやってみる。

④思いっきり褒める抱きしめる―
     小さな達成感を積み重ねて自信を持たせる。自分ががんばれ
     ば喜んでくれる人が身近にいる事を体感させる。

⑤ネガテブな言葉は使わない―
      「できない」「無理」「ダメ」といった消極的な言葉は×。
      「大丈夫」[きっと出来る」「いつも通りにやればいいのよ」

⑥ファン第一号になる ――
     子のやる気が定まってきたら親子で夢を共有し応援する。 支えて
     くれる人が身近にいる事 を体感させる。

⑦ひらめいたら即アクション―
     ダメで元もと、失敗を恐れず思い立ったら即実行。[勇気と決断力]
     を持つ。やってダメなら次にトライ。

⑧本物に触れさせる ――
     心を耕す事が大切。五感で味わう大自然。生演奏の音の輝き・・etc.
     本物の迫力が心を豊かにする。

⑨いい先生を見つける――
     人との出会いを大切に。親の出来る事は限られる。積極的にアプ
     ローチして、アドバイス、パワー、チャンスをもらう。

⑩明るく楽しく諦めない――
     どうせやるなら親自身が明るく、楽しく。そのプラス感覚が子どもの
     養分になる。あきらめない熱意でチャンスを呼び寄せる。

≪受講の感想≫   伸行氏の生い立ち、子育てエピソードの話から講演が始まりました。どんな立派な音楽一家で、英才教育をしたのかと思っておりましたが、全盲のハンデイを持つわが子が、好きな事、趣味を持って明るい未来をと願う母の子育ての話でした。その中で8ヶ月の頃、演奏家の違いを聞き分ける能力にいち早く気付き、現在の伸行氏あるのは母の深い愛情、強い信念があったからだと感じました。上記の10の法則は保育にも生かせるところがあり参考になりました。幼いから出来ない、わからない‥‥のではなく、いろいろと体験させてあげたり、「大丈夫」「きっと出来る」などの何げない一言・対応が大事なのだと思いました。

 心の栄養となる楽しい研修に参加させていただき、ありがとうございました。

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やって見せ 言って聞かせて させて見せ 誉めてやらねば 人は動かず|2014年11月

 上記の言葉は新潟県長岡市出身の山本五十六(いそろく)が遺した有名な言葉です。山本五十六は、かつて日本がアメリカと開戦した当時の日本海軍の最高指揮官、連合艦隊司令長官でした。日米開戦後2年目の昭和18年(1943)最前線を航空機で移動中アメリカ軍戦闘機の襲撃をうけて戦死。死後元帥の称号を受ける。葬儀は国を挙げての国葬で、当時小学生だった園長も市内の式場参列に駆り出されたように記憶している。大戦後約70年になる現在、今更軍人の言葉ということではなく、人を動かしまとめる最高責任の立場の人の言葉として受け止めて理解して下さい。付言しますが、山本五十六は日米開戦には最後まで反対の姿勢でしたが、国が開戦を決めた以上それに文字通り身命を投げ打って従ったのでした。

 上掲の言葉は部下を持つ管理者や指導者的立場の人、子育て中の父母の皆さん方にとっては大いに参考にしていただきたいものです。人を動かして成果を得るためにはまず当人の理解や納得がなければ決して好ましい結果にはいたりません。上から目線でガミガミ権力的に言っても、また甘い表現や卑屈になっても決して本当の納得や理解を得ることはできません。
 また、子どもの場合は成長の過程で反抗期が在ることはご存じの通り。反抗は自己主張の表れですから反抗的な言動に対してまともにぶつかっては事は進みません。そんな時こそ「やって見せ ‥‥」のこの言葉思い出し実践することです。
そしてある程度の成果が出たら必ず誉めてやることを忘れないで下さい。

 山形県米沢市にあった米沢藩藩主上杉家は元々戦国時代越後の武将上杉景勝(謙信の養子)を始祖とし新潟とはゆかりが深い。その上杉家の第9代藩主上杉鷹山(ようざん)公は江戸時代屈指の名君として知られている。その鷹山公は数々の優れた名言をのこしております。そのなかに「してみせて 言って聞かせて させてみる」があり、山本五十六の言葉はこれを元にしたと言われております。
 その他鷹山公の有名な言葉には、「成せばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」があります。これは何事も実際に成し遂げようとする覚悟でやってみれば大抵できるものだ。結果が出来なかったのは、やり遂げる際しっかりした意思を持ってやらなかったからだ、との厳しい戒め。

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芋堀り遠足 お蔭様で無事終了

 年中行事の大きな楽しみの一つ『芋掘り遠足』、平成3年秋以来、収穫場所の江南区酒屋町を毎年訪問、今回で24回目になります。変わりやすいもののたとえに「秋の空」があります。その天候不安定な時期にこれまで一回も雨による変更なしで続けてこれたことは奇跡的好運、それだけに天候が気になります。今回10月3日(金)当日は朝から小雨模様でハラハラしましたが、何とか無事に終了致しました。皆様のご協力に感謝します。

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子育て四訓|2014年10月

教育保育の場で表題の『四訓』が注目されています。
ご紹介をかねて一緒に考えてみましょう。

  1.    1. 乳児はしっかり 「肌を離すな!」
  2.    2. 幼児は肌を離せ 「手を離すな!」
  3.    3. 少年は手を離せ 「目を離すな!」
  4.    4. 青年は目を離せ 「心を離すな!」

 ネットでは「アメリカインディアンの教え」とか山口県の教育家がその経験を通してまとめられたものとかと言われております。その出典来歴はさておいて、子育てと関係ある立場にあっては心に響く言葉です。

 子育てに関してこの「四訓」は若い親たちにとって分かりやすくリズミカルに要領よく基本的な要点を押さえた名言だと思います。
 とは言ってもいざ実践となるとこれだけでは分かりにくい問題が多くあることに気がつきます。
 例えば「乳児」の定義一つとってもいろいろあります。乳児の定義は一般的には母乳(人工乳も含む)を主たる栄養源としている時期、満一年前後の離乳時期までが乳児と解することが一般的ですが。 ここで気になることは離乳の定義です。4歳5歳になっても母親の乳を飲んでいる場合はどう理解するか問題が生じます。大きくなっても母親の授乳を受けていても、実際は母乳だけでなく普通食も当然とっているはずです。授乳をいつまでも求めるのは身体的に正常に成長していても、こころがまだ乳児の領域に止まっていることになります。
 離乳時期一つとっても皆さん当然マチマチです。以前は時期がきたらいろいろな努力をして授乳をやめる行為・断乳が必要との考え方が強かった。最近は卒乳という表現でできるだけ強制感をともなわない優しい言い方で、本人がほしがるのに与えないことの罪悪感を避ける表現、断乳というきつい語感から逃げる気持ちが先立っている。ために離乳の大切な時期をあいまいにしているのではないでしょうか。
 子どもの数が多いと次の子どものために上の子どもの授乳を止めなければという期限がつくので、母親も割り切ることに迷いが少なくなるのですが、一人っ子や末っ子の場合離乳に踏み切るのに二の足を踏みがちとなります。その二の足や三の足の迷いが実は子どものこころの形成に反映するのです。子どものこころは親のこころを一番大きく反映して形成されるのです。母親はそこで厳格になれというのではなく賢明になって欲しいのです。

 三つ子の魂百までもはよく知られたことわざです。三つ子とは三歳児のことですが、昔流の数え方ですから今流なら二歳児になります。その三つ子の魂の二歳児のこころの基礎が形成されるのが言うまでもなく0歳、乳児の時期です。この時期に適切な対応すればその後も順調に方向づけられるのではと思います。
 因みに乳児は一歳まで、幼児は就学前まで、少年は高校の年齢まで、青年は十七・八歳から二十二・三歳までか。それ以上が成人かと考えます。そして成人したら信頼しましょう、とわたしは主張します。

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 テニスの錦織圭選手全米オープン大会で準決勝の見事な成績には、日本のテニス愛好者やスポーツファンにとっては、何よりの嬉しい快挙でした。永年日本にとって縁遠かったというよりもあたかも踏み込むこと出来なかった禁断の聖域だったテニスの世界四大会(全豪、全仏、全英、全米)の決勝に踏み込んだのでした。
 ここで慣れないスポーツ談義ではありません。錦織選手の呼び方が文字通りのにしきおりではなくにしこりと呼んでいることはご承知の通り。選手の出身地島根県ではにしこりが普通のようです。大体西日本一帯ではにしきおりではなくにしこりの呼び方が多いようです。なお、錦織の読み方はまだ別の読み方ありますがそれは御調べ下さい。

 「9月の園だより」で、九州長崎県平戸藩主松浦静山の話を紹介しましたがご記憶と思います。この読み方ですが、平戸はひらとではなくヒラドとにごって読むのが正しい。そして松浦の殿様はまつうらではなくマツラと読むのが松浦静山の場合正しいことをお伝えします。人名や地名の読み方は全くそれぞれです。新潟や佐渡のことをニイカタサトと読まれたら私たちにはそれって何処ってなりますよね。
 松浦静山公が文武両道の達人とご紹介しましたが、余談ですが子造りも達人で何と17男16女の子だくさんのスーパー殿様でした。

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県立自然科学館訪問

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