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成せば成る|2016年9月

 8月上旬から中旬はリオ・オリンピックの毎日でした。閉会後は何か日本中が急に静かになったような気がします。日本代表選手たちの獲得メダル数は金メダルが41個とこれまでの最多だったそうで、よく頑張りました。金メダル数では国別6番目。テレビ画像ではほとんど日本選手の活躍が主ですが、たまに他国選手の活躍が放映されるとそれはそれ、いろんな国がいろいろな競技があるもんだなとつくづく感じました。

 そしてそのそれぞれの活躍を観戦しながら、人間業を絶する妙技を目にする時、絶えず私の頭に浮かんだ言葉が実は上記の上杉治憲鷹山(はるのり・ようざん)公の「成せば成る‥」でした。

 この言葉の上杉鷹山公について少し触れてみます。

 上杉治憲鷹山はもともとは九州日向(宮崎県)の3万石の小藩高鍋藩秋月家の出身。10歳の折米沢藩の養子となり、17歳で藩を継ぎ35歳まで藩主を勤めた。藩主を退いてから鷹山と号した。

 米沢藩上杉家初代藩主は上杉謙信の養子景勝、景勝は家老直江兼続の働きもあって豊臣秀吉に認められ会津120万石の領主となった。その後関ヶ原の戦いで反徳川軍についたため上杉家は本来取り潰しになるところを再び家老直江兼続の働きで米沢30万石に縮小されたが存続、さらにその後跡継ぎ問題の不手際のため15万石に減らされた。

 しかし、上杉家は財政的に縮小したにも関わらず藩士の削減・リストラはしなかった。もちろん倹約に努めたが財政は極度に悪化、治憲が藩主を17歳で引き継いだ頃は破産状態だった。当然治憲の改革に対する努力は筆舌に尽くし難いものだった。

 120万石当時の裕福な大藩時代の経済感覚から抜け出ることはそう簡単なことではなかった。治憲が藩主として諸策を提案しても、養子の悲しさ小藩3万石とは諸事ことなるのですと家老や老臣たちからは軽くあしらわれるという連続だった。

 しかも治憲のとった政治姿勢は現代にも通じるきわめて民主的なもので、年貢の決めなども農民百姓や商人が納得する形をとり、決して権力づく強制・強権的な態度はとらなかった。地場産業を奨励し、さらに和紙つくりや機織りの技術を他所から指導者を招いて奨励発展に力を入れたりときわめて地道に根気よく積み重ねていった。当然そのための原動力となる植物、漆器の元となる漆の木の植林し、和紙の原料となるコウゾやミツマタ、染料の原料ベニバナの栽培等々にも力を入れた。

 上杉治憲が10代治広に譲位するにあたって次のような言葉を伝国(藩)の辞としてあたえている。
①国・藩は子孫に伝えるものであって藩主の私物ではない。
②領民は国・藩のためにあって藩主の私物ではない。
③国・藩は領民ために存在し藩主ためにあるのではない。

 米国の故ケネデイ大統領やビル・クリントン元大統領が尊敬する日本人として上杉鷹山をあげたそうです。

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 園の入口正面玄関の一角に熱帯魚の水槽が置いてあります。写真はその熱帯魚ミッキイマウス・テトラ、 その他数種類の熱帯魚が泳いでます。ミッキイマウス・テトラはこの小さな水槽の中でちゃんと繁殖しているのです。注意深く観察すると体長数ミリの小さな半透明な稚魚を見つけることができます。園児の中でもはそれに気付いてその成長を楽しみに見守っている子もおります。

 創立百周年の折りに設置したこの水槽、設置して26年になります。ところが今ちょうど孵化(フカ)したばかりの稚魚が何匹か泳いでおります。このように小さな可愛い稚魚や虫が孵化することを新潟弁で「ミヨケル」と言いました。*孵化=卵から生物がかえること。

 「言いました」と過去形にしたのはこの言い方を最近耳にした覚えがないからです。身近の職員に尋ねてみました。凡そ30歳台が分水嶺のようです。もともと新潟育ちの40歳以上の人は大体わかるようですが、20歳代の人はほとんど知らないようです。

 テレビナドのお蔭で九州鹿児島の言葉も、青森の人もずいぶんと同じような喋り方になりました。と言っても文字に書けば区別がつきにくいがその土地の人がそれも年配者が話されるとさっぱり聞き取れないことがあります。聞き取りにくくともその土地独特な喋り方を耳にすると、今まさによその土地・人と接して居るんだと実感します。

 方言や訛りの違いがなくなることはわかりやすくて都合の良いこともありますが、旅に出たときその実感が薄くなります。

 昭和一けた生れの園長、子どもの頃の新潟弁がなつかしい。
今、ジャンケンをするとき口にする言い方は日本全国どこでも「ジャンケンポン」ようだが、昭和の初めの頃の新潟の男の子は「ちゃいろ、ちゃいろ、ちゃいろえっす」と掛け声したものでした。「ジャンケンポン」という言い方は女の子が気取ったおしゃれな言い方で、当時の新潟の男の子はそんな言い方はこっぱずかしくて決して言わなかった。

 当時、西蒲原の中之口の子どもたちが「ほおうけんや」といっていたのを耳にしてびっくりした記憶があります。当時は土地土地によって「ジャンケン」の掛け声は随分ちがったようでした。

 今、新潟弁と言っても標準語とほとんど変わらくなりましたが、l喋るときの抑揚やアクセントには違いがでる。さらに新潟の人は「イ」と「エ」の区別が苦手だ。「越後の苺」を「イチゴのエチゴ」と言ったりと‥。

 私自身、「みなさん椅子も持ってきて来て下さい」と言ったつもりが「いす」を「エス」と発音したため「エス」って何のことですかと東京の職場で聞き返されたことがありました。

 また、雀、鯨、鼠を新潟弁ではそれぞれ「すずめ」「くじら」「ねずみ」のように初めの太字にアクセントをつけますが、一般的にはそれがありません。

 新潟弁にはまた別の機会に触れたいと思います。

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親の意見と茄子・なすびの花は千に一つの無駄はない|2016年8月

 「7月園だより」で東京都の舛添前知事辞任の話題に触れました。クリーンな政治姿勢を売り物にして自民党を離党して都知事の座を勝ち取った舛添要一氏が、そのイメージとかけ離れたあまりにもセコイ金銭感覚にすっかりさめてしまいました。つくづく人の本性の見極めの難しさを感じた問題でした。「園だより」で彼は親の意見をきいたことがあったものかどうかと感想を述べました。

 そこで「親の意見」が気になってきました。正直、わたくし自身の場合親の意見忠告はまたかとの印象が先に立ってそれが正しいとわかっていても素直に従わなかったかあるいは反発が先に立って受け入れることが多くはなかったように思い出せます。後になってどうして素直に言うことが聞けなかったのかと反省したことは一再ならずでした。

 表題の格言ですが、茄子・なすの花は花だけで終わらないで確実に結実する率が高いことからこの言葉が生れたわけですが、実際の話、結実率は3割位だそうですがそれはそれとして「親」が関わる格言を考えてみたいと思います。

「親の意見と冷酒は後でじっくり利いてくる」こんな格言もあります。

 皆さんそれぞれ親の立場です。子どもたちに折に触れ注意や意見・希望頼みごと等子どもに対して多々あるかと思います。絶えず口うるさく言っていると反発招くばかりか逆効果になる場合もあります。

 ちょっと汚い言葉遣い恐縮ですが「親の意見と牛の小便」こんな喩えもあります。

 牛の小便はだらだらと時間が長くかかる割に肥料としてはあまり利かないのだそうです。親の意見もグチグチ長々説教していると逆効果になります。

 有名なところでは「いつまでもあると思うな親と金、いつまでもあると思えよ運と災難」。特に後半の「運と災難」は一生心したいものです。いつまでも親の財産をあてにして結局親離れができなくて親の死亡後も死亡届を出さないで親の年金で暮らしている、そんな切ない話だけはなしにしたいものです。

 「親の心子知らず」
 親の子を思う気持ちもわからないで、子どもは勝手にふるまうこと。

 「子をもって知る親の恩」
 そんな子どもが成長しやがて自分の子どもを持ち、親となって自分の子ども育てるようなると、親の苦労や気持ちがわかってくる。

 「親孝行したいときには親はなし 石に布団は着せられず」
 石は墓石のこと。親が元気の間に親孝行はしたいものです。

 「樹静かならんと欲すれど風やまず 子養わんと欲すれど親待たず」
 生活にようやく余裕が出来、親の面倒をと故郷に帰ったが親はすでに他界していたという中国の故事「風樹の嘆」。

 「親の恩は子で送る」
 親から受けた恩は子供を立派に育てることで恩返しできるということ。この場合の送るは報いる・償うの意味。

 さー皆さん、悔いのない子育てに努力しましょう。

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間もなく リオ・オリンピック  が始まります

 52年前の昭和39(1964)年10月、東京オリンピックが開催されました。その4か月前の6月に新潟地震がありました。この8月5日にブラジルのリオ・デ・ジャネイロでオリンピック始まります。その4か月前の4月に熊本地震が発生しました。まったくの関係のない偶然ですが不思議な符合です。

 その東京オリンピック開催当時、私事で恐縮ですが私は東京郊外の狛江市のある電子部品工場に勤務しておりました。オリンピック競技のハイライトのマラソンコースが都心の四谷のメーンスタジアムから新宿経由で国道20号線・通称甲州街道沿いを走り確か府中市付近が折り返し点でしたでしょうか。優勝したのが当時世界的なトップランナーのエチオピアのアベベ・ビキラ選手、3位が円谷幸吉選手でした。はだしのランナーとしてあまりにも有名なアベペ選手、一目みたいものと勤務先の工場を抜け出して甲州街道に駆け付けたが間に合わず、到着したときはアベベ選手の通過後でした。

 地震とオリンピックとは何の因果関係があるわけではありません。が、今年に入ってからは国内外とも何か物情騒然となり世界的に平和な生活の維持の見通しに陰りが見え隠れするような気になる空気です。

 特に気になるのが宗教上の信条の相違からの争いで戦争行為になり事実上の殺し合いが世界各処にテロ事件として発生し、平和に暮らしている多数の市民が無差別に被害者になっていることです。

 そんな乱暴な殺伐行為がそれを模倣するような類似行為をひきおこしていることも事実です。また、中国や北朝鮮の動きのように必ずしも関係隣国との関係において話し合いではなく、武力・経済力を前面に出して力で押し切ろうとする姿勢、大いに気になるところです。

 オリンピック開催国ブラジルも大いに問題ありで、現在大統領自身が国の最高裁判所から訴追を受け職務執行停止状態、副大統領が大統領職務を勤めるという異常事態も大いに気になるところです。またドーピング問題でロシアの参加もスポーツ強国だけに大会気運に大いに影響ありです。

 日本としても国内的にも熊本地震をはじめなんとまあ落ち着きのない事件が次から次へとおこるものです。特に7月末に起きた相模原市の知的障害者施設の入園者19名が、一人の元職員の加害者によって殺されるというとんでもない事件には言葉を失いました。薬物中毒による異常者ではないかとも思われますが詳細はまだ不明。多数殺人という短絡的な残虐な行為に単純に至るにはイスラム紛争による殺戮行為の影響が多分にあるのではと思われます。

 日本選手団も続々とブラジル入りしております。活躍を期待します。金メダルをいくつ持ってくるでしょうか、楽しみです。

 梅雨も明け暑さも本格的になりました。健康に配慮して楽しく暑い夏を乗り切りましょう。

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今年もはや半ば、七夕を迎えます|2016年7月

 この6月ですが実にいろいろなことがありました。世界的には英国のEU残留・離脱問題が大きな話題でした。日本的には数多い事件の中で、北海道の山林で一時行方不明となり自衛隊宿舎で6日ぶりに無事に発見された小学校2年生の田野岡大和君のこと、お金の使い方で東京都知事の座を追われることになった舛添要一氏のことなどが、話題を集めた多くの出来事の中で子育て中のみなさんにとっても、大きな関心事だったかと思います。

 大和君の件では、当初の父親の証言が二転三転したこともあって、著名な児童評論家などが『躾(しつけ)』と称する日本的なこども対応の在り方の最悪の見本だ、などと父親の対応に情け容赦ない疑問や言葉を投げかけたりといろいろな意見が百出した。父親の予想に反してこどもの発見が遅れ、初めは山菜取りの最中にはぐれたとの証言が、その後、実は大和くんのいたずらに対するお仕置きと躾の意味で、自動車に乗せずに現場に置き去りにしたとの発言に変ると、虐待ではないかと、中には犯罪的意図に基づく行為ではないかなどと周囲の厳しく空気は変わった。実際の子育てとは評論家の先生方の言いたい放題のようにきれいごとなご意見のように”うまく”片づけられることばかりではありません。

 大和君の場合、無事に生還できたからよかったものの事態が長引けば最悪な結末が予想されるだけに、日程的に最悪事態が次第に強く人々の念頭に浮かぶ頃合いに無事生還の知らせに、日本中がホットしたのではないだろうか。このまま未発見の状況が続くならば評論家の『しつけ論議』の行方がどんな方向に進行したものかと想像するにきわめて興味深い。

 幸いにも大和君や大和君一家の親子関係は評論家先生方の推測に反して明るく健康的だっただけにホットさせられた。また大和君自身が自分の行為に対して父親の取った今回の置き去り処置に対しては彼なりに理解し納得していたようだ。

 大和君事件とは舞台も性質も大きく変わりますが金銭問題で東京都知事の座を降りることになった舛添要一氏のこと。彼自身の行為にたいする弁解主張は終始法律に違反しないから問題ないとの姿勢。東大出身でその後も素晴らしい経歴と実績の持ち主。でも彼の姿勢や論調を聞いているうちに、この方の親の躾はいったいどうだったのだろうかと気になってきました。ご自分が優秀なため、他者の言などはおかしくって耳にはいらなかったのでしょうね。

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 30年以上前の話になりますが、保育史調査のため来園された筑波大学研究生の方から教わったのがこの「チクサク・エール」でした。そのエールを幕開けに今年の運動会は、6月18日(土)、日和山小学校室内体育館で予定通り開催いたしました。

 全園児の入場行進・園児代表宣誓・赤沢保育園スペシャルエールに続いて各種競争・紅白球入れ・園児保護者の綱引き等など、最後は恒例の3歳以上園児全員のそして保護者職員による紅白リレー競走、無事にケガや事故もなく楽しく終了することが出来ました。 毎年劇的にレースが盛り上がる紅白リレー、目立って速い走者が勢い余ってカーブで転倒したりと今年も何度か大きな見せ場で歓声が盛り上がりました。遅れを取り返そうと泣き顔で必死に走る子、あきらめ顔でマイペースで頑張る子とそれぞれです。

 運動会では普段見慣れているいつものわが子とは別の一面が発見できるかもしれません。日頃、親の前や家庭では見せたことのない外での顔がみられるのもこんな機会です。

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祝 赤沢保育園創立第百二十六回記念日|2016年6月

 明治23年(1890)6月1日、赤沢保育園は新潟市礎町4丁目に誕生いたしました。この機会に創立者赤澤鍾美と創立のいきさつについて少し詳しく説明をさせていただきます。

 創立者赤澤鍾美は元治元年(1864年)10月16日新潟町に生まれている。名前は始め庄吉だった。戸籍記載によると庄吉の幼少時は必ずしも平穏無事ではなかったようで幼くして他家に養子に出され後年復籍している。

 その後の明治11年4月に庄吉は新潟町の臨時教員試験に合格し四番堀小学校に就職している。今の満年齢の13歳の時だ。

 明治新政府発足当時の教育制度について若干説明すると、まず明治6年、義務教育制度制定、全国に小学校を設置開校を決めた。しかしその実施には教場と教員の確保がまず問題となり、教場の多くは寺院等を利用した。教員は資格認定採用試験による臨時教員制度を設け、その試験合格者をもって教員に充てた。その受験可能年齢が旧年齢の15歳、15歳は武家時代の元服の年齢に相当した。元服(げんぷく)とは当時一人前の大人とみなした年齢時の武家のセレモニーのこと。当時は生れるとすぐ1歳と数えた旧年齢の数え方で、十月生まれの鍾美は現在の13歳で合格していることになる。当時の漢文づくめの試験問題を恵まれぬ家庭状況でよくぞ合格したものだ。

 臨時教員に採用された赤沢庄吉は、記録によるとまず当時新潟町に五校あった小学校(鏡淵、四番堀、西堀、洲崎、豊照)の四番堀校に就職している。そして五校を順次転勤している。

 明治政府教育制度発足と同時に正式教員養成のため師範学校を設立している。その卒業生を正式教員として配置し順次臨時教員と置き換えていった。

 明治23年当時、赤沢庄吉は豊照小学校に勤務しており住まいは東厩島町でした。柳都大橋の信濃川を後ろにして秣川岸通りを過ぎて最初の交差点が西厩島町(通称こんぴら通り)の端になる。そのこんぴら通りと並行の信濃川寄りの一角が東厩島町だ。

 正式教員と臨時教員との置き換えの波が、明治23年に庄吉の足元に押し寄せてきた。新潟市教員の在籍記録によると、当時の臨時教員は毎年一年契約でその都度身分と給料額が決められ記録されていた。庄吉の場合大略給料は月額6円~10円程だった。因みに当時の校長は20円前後で師範学校出の正式教員は臨時教員の大略倍額だった。

 明治23年に庄吉に示された条件は鏡淵校転勤と給料が月額27銭の大幅ダウンだった。 100銭が1円ですからおおよそ25分の1の減額になる。おそらく非常勤待機職員の処遇となったのでは‥?。そしてその状態は明治26年3月で終わった。

 かねてリストラの波を予想していた庄吉はあらかじめ準備し教員としてアルバイトに力を入れていたようだ。政府が義務教育制度とその普及、国民皆学を叫んでも、当時の一般民衆の暮らしぶりの大半は貧しく、通学どころかその日の暮らしに大半が必死だった。義務教育年齢に達しても入通学できるのはわずか5人に1人の2割程度だった。入学出来ない子どもは任意に読み書きそろばんを教える個人教師や塾に通って学力を得た。庄吉は勤務時間が終わると自宅でせっせと多くの若者を生徒にしていたことが推測できる。

 明治23年4月3日、庄吉住居一帯が自宅を含めて200戸以上焼失する大火発生、自宅での4月開校の計画が挫折した。しかし、すでに庄吉の教えを受けていた通学生や卒業生たちの尽力で200M程離れた礎町に場所を得てスタートしたのが6月1日だった。

 明治26年臨時教員から完全に解放された。

 と同時に庄吉は名を鍾美(あつとみ)と改めた。当時は戸籍の名前の改名が可能だったようです。鍾は集めるという意味があり、美は未来ある若者という意味がある。若い学生を教えることを目指して自身の希望を精一杯込めての改名が理解できる。

 鍾美は私塾を「静修学校」と命名した。その私塾に通う生徒たちが幼い弟妹や奉公先(勤務先)の赤ん坊を背負ったまま受講するものが多かった。鍾美の家族がその幼児たちを一室にまとめて保育の面倒をみたことが、保育事業の先駆けとなりました。

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「とん汁の味はいかがでしたか?」春の遠足!!

おかげさまで好天にめぐまれた5月20日、春の遠足は無事に終わりました。

 今回の「とん汁の味はいかがでしたでしょうか?」毎回同じ分量・レシピで作るのですが、当日の天候によって皆さんのおかわりの量が敏感に変わります。気温が低いときは温かいとん汁はおなかにしみこみますが暑さを感じるようなときは売れ足は落ちる。

 平成の初め、旧亀田町時代に完成した「亀田公園」、その初めの頃から利用を続けております。最初に下見で訪れた際バーベキュー窯場をみて「とん汁」作りを思いつき、今ではその組み合わせが春の遠足の定番となり25年以上になります。

 開園当初の亀田公園の周囲は向陽高校と県立保育専門学院以外は建物らしいものは見当たらずJR亀田駅も現在の改築前のもので駅舎も素朴で公園側には出口はなかった。公園へは大江山方面に通じる公道の跨線橋を遥々と渡り約2km近い徒歩が必要でした。公園内の樹木も植林したばかりでひょろひょろと頼りなげでこれでちゃんと根付くかと余計な心配をしました。

 下の展望台の写真をご覧ください。公園の西南方向角にあるこの展望台、開園当初は建物の全体が公園のどこからも見えましたが、樹木の成長とともに次第に目立たたなくなりました。公園到着時に毎度この展望台を背景にして記念撮影をしておりますがその存在にはうっかりすると気づかないほどに周囲の樹木が大きく成長しました。

 今、園内には写真屋さんが撮った遠足時のスナップ写真が展示されております。園児と連れ立った皆さん方の楽しそうなシーンを眺めていると、そのどれをみてもぴっかぴかのオーラを感じます。小学校に入学時の新一年生のすがたのようにいやそれ以上に新鮮な活力を感じます。人生の中で子育て中のそれも保育園児時期は経過や成果が一番わかりやすい時期ではないでしょうか。思わず声援したくなります。 がんばって幸多かれと!

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SIDS(Sudden Infant Death Syndrome) 乳幼児突然死症候群について|2016年5月

 これまで何事もなく元気だった赤ちゃんが何の予兆や持病もないのに事故や窒息ではなく眠っている間に突然死亡してしまう、そんな怖い症例があるのです。そのような症例をSIDS(乳幼児突然死症候群・サドン・インファント・デス・シンドローム)といいます。

 厚生労働省の資料によると、日本での発症頻度はおよそ出生6,000~7,000人に1人と推定され、生後2カ月から6カ月に多いとされています。平成23年には全国で148人の赤ちゃんがこの症例で亡くなっているそうです。

 SIDSの原因はまだわかっておりませんが、男児、早産児、低出生体重児、冬季、早朝から午前中に多いことや、うつぶせ寝や両親の喫煙、人工栄養児に多いことがこれまでの厚労省の研究調査で分かっています。

 SIDSの原因が特定できないということは、その発症を的確に予知予防できないということです。別な言い方をすればいつ誰に発症するか分からないのです。まだ身体的に未熟・未発達な赤ちゃんはほんとに僅かなきっかけや環境状態の影響でその成長が阻害され致命的に変調をきたすことは十分に推量できます。それだけにその危険を避けて通り抜ければその後は何の支障もなく順調に生育することになるのです。

 そんな不運を避けるためにどんなことに留意したらよいかと厚労省や研究者の主なガイドラインを参考までにご紹介します。

厚労省指針:

(1)うつぶせ寝は避ける: うつぶせに寝かせた場合の発症例があおむけ寝に寝かせた場合よりも発症例が多いと報告されている。うつぶせ寝がSIDSの直接原因ではないが、できるだけ赤ちゃんの顔がみえるあおむけ寝で寝かせるようにしましょう。

(2)たばこはやめる: たばこは、SIDS発生の大きな危険因子です。平成9年度の研究では、両親が喫煙する場合、両親が喫煙しない場合の約4.7倍の高い発症率が報告されている。

 (3)できるだけ母乳でそだてましょう: 人工乳で育てた赤ちゃんのSIDSの発症率が高いことが報告されている。

その他(厚労省以外)として:

 (4)添い寝する場合圧迫しないよう注意する。

 (5)やわらかすぎる布団は避ける。

などが挙げられている。

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この度の熊本地震被災の皆様心からお見舞い申し上げます

 「禍いは忘れたころにやってくる」という諺とは裏腹に、21年前の「阪神・淡路大震災」、5年前の「東日本大震災」の記憶がまだ生々しいというのにこの度の熊本地震、震度7が2回発生という激しいもの。

 ここで52年前昭和39年6月の新潟地震を思い出してみます。震度5はそれほど強いものでなかったが、しかし、新築直後の公共の県営住宅や昭和大橋が見事に倒壊、また石油備蓄タンクが倒壊して石油に引火そのものすごい黒煙が大きくマスコミに報道された。

 震度が5だっただけに、一般家屋の倒壊破損は軽微。しかし新潟地震は地震関連の数々の教訓を残してくれた。地表から地下水とともに砂を噴き上げる液状化現象の認知、地震保険制度の発足整備等々。

 とりわけ新潟市の場合、この地震がきっかけとなって下水道インフラが大きく前進した。

 新潟市はかつては堀と柳のある情緒ある風景の街並み、それを懐かしんで柳都という言葉に親近を感じておるようで、それはそれでなんですが‥。

上の2枚の船の写真をご覧下さい。昭和30年ころの早川堀、ワニのような外見の舟が多くありますがこの船の用途は‥?ズバリ、うんこ運搬船。当時の新潟市の便所はほとんど汲み取り式、汲み取った屎尿(しにょう・汚水)をこの船に積んで郊外の農地に運び肥料としていた。この船、東堀、西堀、新堀等々のこれら船の出入り口が早川堀なのだ。新潟地震は新潟島一帯を水浸しにして街中に溢れたのでした。

 ともあれ、ないことを祈るばかりですが震度5以上が発生の場合、1時間以内のお迎えをお願いします。

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三つ子の魂(たましい)|2016年4月

 保育園の一年を通しての園児の出入移動は、卒園は3月一斉ですが入園は学校のように4月一斉とは限りません。とはいえ、やはり4月は新しい園児との出会い入園する人数は普段の月よりは多いようです。

 その入園児の年齢をみると近年0歳~1歳児が断然多くなりました。それというのも最近の少子化の傾向がますます顕著になり、このままでは日本の将来の国勢の衰退が避けられないとの認識と気運がたかまり、制度もどんどん整備されてきました。そして国全体が女性の出産や子育てに対する取り組む姿勢が前向きになり子育てと職業勤務を両立するために保育園を利用することが一般的に具体的になってきました。

 国の姿勢が子育てしやすいように法律、制度、予算等の整備対応が進むと同時に、各企業においても、保育園を利用しながら子育てと職業を両立継続する家庭が当たり前になってきたことに、認識理解対応が進んできました。

 「保育園落ちた、日本死ね」と叫んだブログが匿名ながらも連日マスコミや国会の論争の話題になっている。保育園問題が今ほど国を挙げての話題関心の中心になったことはない。関心になること自体、保育園当事者としてありがたいことですが、現状はちょっと極端過ぎることが気になります。

 さて表題の「三つ子の魂」ですが、この格言は「百までも」と続くことはご存じのとおり。三つ子とは三歳児のことを指しますが、この場合日本古来の数え方ですから、現在風に数えるならば二歳児のこと。 二歳の時までに備わったその子どもの特質性格は百歳になっても変わらないということです。

 75年ほど前に亡くなりましたが、オーストリアの著名な精神科医であり精神分析学者だったジグムント・フロイドが、人の性格や性向は無意識の時期に形成され、人の行動の本質は、無意識における行為の中に実はその本音本心が見いだせるのではと説いた。さらにその本音・本心は無意識の時期に形成される。その時期は1~2歳の時期になる。もっと別な言い方をするなら乳離れの時期その後のおむつ離れの時期にあたるのでは‥。赤沢保育園のひよこ組の時です。

 今更古典的なフロイドかもしれませんが、人の本質は昔も今も変わってはいない。古典から新たな視点がみつかるかも‥。

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 第125回卒園式: さる3月26日(土)、無事に15名の卒園児が元気よくそれぞれの思い出とともに赤沢保育園を卒園しました。将来は宇宙飛行士か、プロスボーツ選手等々かも。いずれにしろ健康第一、時々元気な顔を見せてください。下の卒園児全員の顔イラスト入りTシャツとポスターを園長宛にプレゼント、感謝、感謝です。ありがとうございました。

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保育園前の小出自転車店店主の小出元二さん(80)、突然亡くなられました。

 3月19日(土)夕方7時ころ、自転車で買い物帰りの園長、玄関前の階段で自転車を上げるのにもたもたしているところを気さくにおしあげてくれました。それから数時間後に急病で亡くなられたのです。

 「世の中一寸先闇」とはよく言いますが、それにしても‥、あんまりのことで、今でも信じられません。

 保育園前で永年園児たちの通園を見守って下さいました。そんなご近所縁もあって保育園の役員もお願いし快くご協力していただきました。本当にありがとうございました。こころからご冥福をお祈り申し上げます。

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お遊戯会|2016年3月

平成28年2月27日(土) 9:30~11:30

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総括 第16回 石井式漢字かるた新潟県大会

 中国の古典に「天行健にして 君子はもって自彊にやまず(天行健 君子以自彊不息)」という言葉があります。その意は「天(体)の動きの変わらないように、君子は自分を絶えず鍛えるものだ」と解します。

 この冬は暖冬だといわれながらも一月下旬の大寒に入ると早速日本列島全域は一斉に降雪に見舞われ、天の動きに明らかな季節を感じる。

 日頃の練習の結果が如実に反映するのが「競技会・コンぺテション」の成績結果ではないでしょうか。

 第16回新潟県大会の入賞者の表を一覧すると、これまで余りふるわなかった「赤沢」の入賞が今回目立ちます。年少・中・長児の諺と俳句の五部門のうち四部門の優勝を赤沢の園児が決める好結果には正直のところ驚いている。

 なお、入賞者の一覧表の姓名の表記は、ご覧のように姓を省いて名だけの表記にしました。これは「園便り」をホームページに載せるため、不測の事態への配慮です。

 今回の参加者総数は219名。人数的には現状の大会運営能力・会場の大きさ等を考慮すると目一杯というところ。

 参加園は例年通りの三条市のふじの木、きらきら、本成寺の三園、新潟市内の西蒲区竹野町、秋葉区の敬愛、江南区割野、大会運営幹事園でもある中央区赤沢の7園。東京渋谷上原こども園と弥彦村の弥彦保育園の参加者がありましたが、何れも元々は三条市のきらきら・本成寺の園児が転居されたのが、この大会にぜひ出場したいとのことでこの日のためにわざわざ来場参加された。

 割野、敬愛、竹野町の3園は他の常連4園とは違って参加することの楽しみに重点を置き、順位までは望まれない姿勢、それはそれなりで結構なことです。しかし一人でも入賞すると空気が変わるのではないかとそれを期待している。

 赤沢の今回の予想を上回る好成績には自園のことながら見事な鮮やかな結果と正直驚いた。12月の午前はほとんど毎日のように練習を重ねていたので例年よりはよろしいかと期待はしていたが、5部門中の4部門に優勝する、そこまでとは予想しなかった。せいぜい2部門も取れれば大出来と思っていた。また5部門の3位以内で考えると15人中6人・40%をしめている。園児部門の全入賞者数40名中赤沢は12名と30%になる。

 子どもたちにそれなりの環境と努力練習を繰り返すならばそれなり以上結果が着いてくるものだと今更感銘を深めている。

 来年の大会は1月7日(土)、会場同じくユニゾンプラザを予定している。

≪第16回石井式漢字かるた新潟県大会≫|2016年1月

 あと数日で平成27年2015年が過ぎ去る。新年1月9日(土)に表題の石井式漢字かるた新潟県大会が実施される。現在大会対戦進行計画の詳細準備真最中。

 新しい年は2016年、県大会第16回と16に関しては同じ数字並び、となると第1回は2001年平成13年となる。あっという間の16回目、ここでこの県大会のこれまでを振り返ってみることにする。またその前に16年前の2001年平成13年はどんな年だったのか気になってきた。思い出してみるとこんな年だったのだ。

2001年平成13年へび年:
 1月:米国ブッシュ大統領就任。
 4月:小泉内閣誕生。 
 6月:大阪池田市大阪教育大付属小学校で暴漢により小学生8人殺害事件発生。
 9月11日:ニューヨーク世界貿易センタービルに同時多発テロによる
    航空機が激突、航空機の搭乗者とビル内の人々が3000人以上の
    死者発生ととんでもない大事件、そのテロ事件の首謀者オサマビン
    ラビンが指名手配された。
 12月:皇太子妃が女児愛子さんを出産。
 などなどのそんな年。と振り返ってみると第一回の年は大変な事件の年だった。

 ところがその記念すべき第一回新潟県大会が平成13年にここ赤沢保育園内で張り切って開催したことは間違いないのだが、まことに恥ずかしながら全くのやりっぱなしで記録の整理保存がなかったため、現在詳細は一切不明。ただ記憶をたよりに思い出すに参加園は赤沢保育園の声掛けで新潟県内の主だった石井式漢字教育実施園に参加をお願いした:

 上越市高田のなかよし保育園、三条市の本成寺保育園、同ふじの木保育園、新潟市の逢谷内保育園そして赤沢保育園だったことは間違いのないところ。上越市のなかよし保育園さんがマイクロバスで早朝に出発10名程で来園されたように記憶する。参加者総数は60~70名だったかと‥。

 会場は赤沢保育園遊戯室だったため、参加選手全員に引率付添い職員で会場内は溢れんばかり。したがって島数は最大で5島。種目別は年少諺、年中・年長は諺・俳句と5種目だった。と云うのは第二回大会の計画が資料によると第二回大会案内が以上の5種目で案内していた。

 第2回県大会:平成14年1月19日に会場は同じく赤沢保育園で開催。参加園は、上越市なかよし保育園4名、三条市ふじの木保育園17名、同本成寺10名、新潟市逢谷内保育園10名、赤沢保育園25名、計66名。

 実はすっかり忘れていたのですが、第二回大会に際しては新潟日報社に後援の許可を申請して同社から以下ようなご承認の通知をいただいていた。

 「受付№02-027」

 11月19日付で後援依頼のあった「第二回新潟県漢字かるた大会」の名義使用について承諾いたしましたので通知いたします。

 なお、使用名義は『新潟日報社』とし、事業の内容に変更あった場合は事前にご連絡ください。

       平成13年11月22日   株式会社 新潟日報社〔社印〕

 (同時に県教育委員会に同様お願いしましたが保育園は管轄外と門前払い。)

 第3回大会:2003年平成15年1月19日会場を新潟テルサの「大会議室」で約90名、参加園は三条・きらきら、本成寺、ふじの木、新潟の赤沢の4園。第4回会場はユニゾンプラザの大研修室。

 第16回大会:2016年平成28年1月9日、会場ユニゾンプラザ2階多目的ホール:参加園・三条市ふじの木、きらきら、本成寺、新潟市敬愛、割野、竹野町、赤沢:参加者数219名。

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サンタさんとポーズ!

 サンタさんの姿をみると泣き続ける子もいる 0・1歳児のひよこ組。プレゼントをくれるいい人と心から喜ぶ2~3歳児のこあら・うさぎ組たち、ほんとにサンタさんはいるのかなと半信半疑の4歳児組のぱんだ組、正体を見破ってやろうと意気込む子もいる5歳児ぞう組さん。みんなそれぞれの思いはあってもプレゼントをもらって精一杯楽しむことが出来た25日のクリスマスでした。

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≪新潟県ジュニア美術展結果のお知らせ≫

 新潟日報社主催「県ジュニア美術展」、今年の結果が11月末に発表がありました。今回はうさぎ・ぱんだ・ぞう組の作品を各組10点を応募した結果、ぱんだ組の葉夏さん、ぞう組の葵愛さんの作品各一点、奨励賞に入選、その他は佳作でした。結構いい出来のものを選んで特賞、優秀賞をとねらったのですが、審査の先生方との見解の相違でしょうか、結果予想が違いました。

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おんぶと抱っこ|2015年12月

 先月号11月園だよりの中で「三歳児神話」について触れました。安倍首相の子育て政策論の中に育児休業3年取って抱っこをしまくれるようにとの趣旨の発言があった。この首相の発言ではからずも「三歳児神話」が50歳代以上の人達にはある程度定着していると想像される。

 昭和中頃までの外出時の母親の幼い子どもの扱い方は、ほとんどが乳母車を使用するかおんぶだった。そのおんぶは寒い季節には「ねんねこ」と言った大型の半纏(はんてん・うわぎ)ですっぽりおおって暖かそうだった。それが今では「おんぶ」姿を見かける事が本当に少なくなり、たまに出会っても「ねんねこ」にお目にかかることはまずなくなった。

 70年前の第二次世界大戦の敗戦を契機に日本人の生活様式はあらゆる点で大きく様変わりした。赤ん坊の扱い方が背中のおんぶから前抱きの抱っこに変わったこともその一つだ。専用の抱っこ紐で抱っこする習慣はもともと日本にはなかった。

 戦後、米国軍家族やその他の外国人が多く日本国内に住むようになると当然外国の生活様式を数多く目にするようになる。かれらが当たり前のように子ども達を抱っこしている。そんな影響もあってか今さらながら抱っこが圧倒的に多いのに気付かされる。抱っこかおんぶかなどと云々する必要がないほど圧倒的に抱っこが多い。

 聖母マリアがわが子キリストを胸の前で抱きしめてじっと寝顔を見つめる構図はあまりにも有名だ。それが聖母でなくとも、普通の母親がじっとわが子の安心しきった寝顔に見入る姿はそのまま絵になる。そのような絵の影響もあって西欧では前抱きが主流になったではと思いたくもなる。

 抱っこ結構。大いに抱っこしまくればよろしい。ただ抱っこ一辺倒だけでなく、おんぶのよさにも承知していてほしい。それなりに使い分けることも考えてみてはどうかと言いたい。抱っことおんぶの違いを念頭に、時に合わせて使い分ける利口なお母さんがいてもいいのではないでしょうか。

 まず抱っこで気になる点が幾つかある。 まず、①一人のこどもしかみれない。 ②足元の見通しが悪くなり歩行中つまづく危険性が高い。③両手がほとんど使えない。 ④母親が前かがみになった時、例えば靴先を揃えたり、物を拾い上げようとすると子どもがすっぽり抜け落ちて頭から真っ逆様になり頭部に大けがをする、実際この事故は結構発生し死亡もある。 ⑤子どもとの接触ふれあいが過剰になる、等々がある。

 おんぶについて考えてみる。おんぶの利点は何と言っても両手が使える事だ。子どもをおんぶしながら炊事をしたり、洗いものをしたり、後片付けをしたりと普通に近い状態で別な作業が出来る事だ。母の背中で母親のぬくもりを全身にうけながら安心して眠る、なんと素晴らしいことだろう。昔からのやり方で見慣れているからダサいのだろうか。

 抱っこも大いに結構だが、おんぶの利点と効用についても見直して、時には使い分けてみては如何でしょうか。

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 保護者の皆様の暖かいご協力の元で11月7日(土)本年度の「バザー・作品展、好天にもめぐまれ無事に楽しく終わることが出来ました。厚く御礼申し上げます。

 右写真は各組それぞれ一人一人が松ぼっくりを素材にして、各組の動物をイメージした人形を造り、五階建ての家に並べてみました。

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≪11月13日(金):こあら・うさぎ・ぱんだ・ぞう組:こんぴら神社七五三宮参り≫

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 ずいぶんおかたい名前の団体の皆様が11月9日(月)に来園されました。同会は基本的人権問題を地域の皆さんから相談を受けたり、その解決のお手伝いをしたり,いじめやDV(家庭内暴力)などの問題を一緒に考えたり、ときには 法務局と協力して被害者を助けたり、人権問題について地域の皆さんに関心を持ってもらえるような活動を行っています。その一端として地域に親しんでもらうための活動として、保育園や施設を訪問、球根を園児とともに植えたり紙芝居等を通して人権意識を高める事がねらいです。

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 11月27日(金)、園内遊戯室で、ぞう・ぱんだ組の皆さんによる「縄跳び大会」を実施しました。この一ヶ月の休み時間、壁に毎日の記録をつけながら練習に励みました。

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