園だより」カテゴリーアーカイブ

将棋の藤井聡太4段の活躍|2017年7月

 とにかく将棋界に大変な天才少年が現れたものです。14歳2月の中学3年生の藤井聡太くんがその実力が認定され4段のプロとして公式戦に参加し、先輩プロと同格に試合対局を続け、デビュー以来負けなしの29連勝を記録している。その記録が将棋界にとって新記録だけにその快進撃ぶりについては最近のNHK・TVをはじめ民放各局や新聞等のマスコミで大きな話題になっていることにお気付きかと思います。最近の勝利に関しては東京では新聞号外が発行される程の過熱ぶり。

 であっても皆さん方特にお母さん方にとってはそれが何でそんなに話題になるのかピンと来ない人が多いかと思います。将棋にはそこそこの関心がある筆者ですが、そこそこだけの関心知識でこの件に言及するので不正確な個所もあるかもしれませんが大まかに説明します。というのも子育て問題・子どもの成長・発達その可能性について考える興味深い話題と考えるからです。

 将棋の公式戦で連勝を続けている意味を考える前に、まず藤井聡太くんが将棋に興味を持ったきっかけをたどってみると、5歳のとき祖父母から将棋の手ほどきを受け入門セットを買ってもらったことがはじまりとのこと。祖父母にしても父母にしても格別に将棋に強い関心があったわけでもなくたまたま将棋のセットを与えただけのことだったようです。

 ところがそれがきっかけとなり聡太くんはすっかり将棋にはまりこんでしまった。将棋が彼の気質に見事に合致したようで、字もろくに読めないまま指導書を理解し、小学1年の頃は周囲の大人達は完全に彼に勝てなくなった。そんな彼が近所の将棋教室に入り、以来めきめきと上達、その図抜けた実力が認められて昨年10月にプロ4段となった。

 そのプロとしての藤井4段が最初に対戦し勝利した棋士が将棋界最長老の77歳の加藤一二三(ひふみ)9段だった。加藤氏はこの対局を最後に棋界を引退した。その加藤氏は60年以上前の昭和30年代に14歳7か月の中学生でプロ入りし、当時は神武以来の天才と大変な話題となっての鮮烈デビューだった。その後数々のタイトルを獲得保持した実力派の棋士でした。

 昨年12月の加藤9段との対戦勝利を皮切りに藤井4段のプロとしての連勝は実に29勝を重ねている。これは将棋界にとってはこれまで28連勝が最高記録だっただけに歴史的な新記録となっている。30連勝がかかった次の対局は7月2日の予定だ。(全くの話ですがアルビレックスにそんな連勝のかけらでもあればとつい‥、)

 連勝のかかった藤井4段の試合の当日のテレビマスコミの雰囲気は古い話になりますが大相撲力士の双葉山が昭和11年~14年にわたって記録した69連勝の快進撃を続けていたころの空気と通ずるものが当時小学生だった記憶と重なるのです。当時の大相撲は一場所11日で年2場所か3場所だったので69連勝達成は3年がかりだった。この69連勝は今も破られていないのはご承知のとおり。常勝双葉山のレジェンドが当時の日本中の人々の脳裏にしっかりと焼き付けられたのでした。

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「運動会」楽しく無事に了りました

 6月17日(土)、好天に恵まれ年中恒例行事の「運動会」、無事に楽しく終了することが出来ました。会場は、日和山小学校体育館、名称は昨年同様ですが地理的位置が旧栄小学校と海岸寄りに1キロ程の方向違い。それだけに何かと戸惑いが多いのではと懸念も先立ちましたが、案ずるより産むがやすしで、参加者皆様のご理解・ご協力と職員の手配準備が実を結び、予想以上にスムーズに進行実施できましたことを心からよろこんでおります。また会場の使い勝手も良好で来年以降は一層スムーズに進行運営できるかと思われます。

 紅白リレーや綱引きにご参加の皆様、後日に筋肉痛などは大丈夫でしたでしょうか?

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祝 赤沢保育園 創立第百二十七回記念日|2017年6月

 明治23年(1890)6月1日、現在の新潟市内中央区礎町4丁目に赤沢保育園の経営母体だった「静修学校」が発足致しました。その静修学校の付帯業務としての保育だったので「静修学校」の創立をもって保育園の創立記念日としている。今年は2017年ですので創立から数えて127年になります。創立者は現園長の祖父の赤澤鍾美(あつとみ)と申しました。

 創立者赤澤鍾美は元治元年(1864年)10月16日新潟町に生まれた。鍾美生年の元治は、明治の前が慶応でその前の年号が元治だが、その元治の期間は短く、元年2月から翌2年4月までのわずか1年2カ月の期間だが、元年6月には近藤勇が率いる新選組が京都三条の旅館池田屋に踏み込み尊王攘夷派の志士を粛清する事件が、8月には「蛤御門の変」が発生している。明治維新前のそんなあわただしい年でした。

 鍾美の名前は始め庄吉といった。庄吉の幼少時の詳しいことは伝わってはないが経済的にも家庭的には祖母に育てられており、決して恵まれた環境ではなかったようだ。そんななかで、なかなかの勉強家だったようでその後13歳新潟町の臨時教員採用試験に合格し、最初に明治11年4月に四番堀小学校に就職している。

 臨時教員に採用された赤沢庄吉は、記録によるとまず当時新潟町に五校あった小学校(鏡淵、四番堀、西堀、洲崎、豊照)の四番堀校に就職している。そして五校を順次転勤している。

 明治政府は教育制度発足と同時に正式教員養成のため師範学校を設立しその卒業生を正式教員として配置し順次臨時教員と置き換えていった。

 明治新政府発足当時の教育制度について説明すると、まず明治6年、義務教育制度制定、全国に小学校を設置開校を決めた。しかしその実施には教場と教員の確保がまず問題となり、教場の多くは寺院等を利用した。教員は資格認定採用試験による臨時教員制度を設け、その試験合格者を教員に充てた。その受験可能年齢が旧年齢の15歳で、当時は生れると1歳と数えた旧年齢の数え方で、十月生まれの鍾美は現在の13歳で合格したことになる。当時の漢文づくめの試験問題をよくぞ合格したものだ。

 明治23年当時、赤沢庄吉は豊照小学校に勤務しており住まいは東厩島町でした。

 正式教員と臨時教員との置き換えの波が、明治23年に庄吉の足元に押し寄せてきた。新潟市教員の在籍記録によると、時の臨時教員は毎年一年契約でその都度身分と給料額が決められ記録されていた。庄吉の場合大略給料は月額6円~10円程だった。因みに当時の校長は20円前後で師範学校出の正式教員は臨時教員の大略倍額だった。

 明治23年に庄吉に示された条件は鏡淵校転勤と給料が月額27銭の大幅ダウンだった。100銭が1円ですからおおよそ25分の1の減額になる。おそらく非常勤待機職員の処遇となったのでは‥?。そしてその状態は明治26年3月で終わった。

 かねてリストラの波を予想していた庄吉は自宅で小学校課程指導のアルバイトに力を入れていたようだ。政府が義務教育制度とその普及、国民皆学を叫んでも、当時の一般民衆の暮らしぶりの大半は貧しく、通学どころかその日の暮らしに必死だった。義務教育年齢に達しても入通学できるのはわずか5人に1人の2割程度だった。入学出来ない子どもは任意に読み書きそろばんを教える個人教師や塾に通って学力を得た。庄吉は勤務時間が終わると自宅でせっせと多くの若者を生徒にしていたことが推測できる。

 明治26年臨時教員から解放された庄吉は名を鍾美(あつとみ)と改めた。

 鍾美は私塾を「静修学校」と命名した。その私塾に通う生徒たちが幼い弟妹や奉公先(勤務先)の赤ん坊を背負ったまま受講するものが多かった。鍾美の家族がその幼児たちを一室にまとめて保育の面倒をみたことが、保育事業の先駆けとなりました。

 少し読み難いかもしれませんが、静修学校ついて昭和9年(1934)12月に刊行された新潟市編集発行の 「新潟市史」 上下巻の下巻  第一章 教育  第二十節各種学校の項目に次のように記述されている。

 第二十節 各種学校
 その他私立中等学校類似の学校設立せらるるもの多かりしも明治大正を経て今日に及べるもの次の三校に過ぎず。

 一  新潟静修学校
 礎町通赤澤鍾美初め修身学舎なる一私塾を設け、毎夜青年を集めて教授せしが、明治二十三年七月新潟静修学校と改称し、二十六年私立簿記学校を合併し教師を増聘して本科は昼間、専科は夜間に簿記・英語・漢学及び数学を教授し、四年を以て修業年限となす。二十七年本町通り七番町に移り、三十六年東湊町通一ノ丁に移転す。大正八年七月全焼したるも門弟子等の尽力により直ちに同所に二階建ての校舎を建築したり。
(補註:上記記述の三校のうち他の二校は二 蛍雪校、三 新潟産婆学校共に今はない。)

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「いかがでした、トン汁の味は」春の遠足

 おかげさまで好天にめぐまれた5月19日、遠足は無事に終わりました、付添いの皆様子どもさんともども楽しい想い出になったかとおもいます。

 今回の「とん汁」の味はいかがでしたでしょうか? いつも同じ要領で準備し作るのですが、当日の天候や火加減、具を入れる順序やタイミングや煮詰まり具合などのためか出来上がりの味はどうしても変化します。また気温が高いときはお代わりが鈍りがちになりそんな時は残ることもありでしたが、今回はむしろ不足気味だったのでその点、まあまあの味だったでしょうか。

 園児の皆さんにとっていつもの給食とはまるで違った雰囲気でのおひるの食事、楽しい思い出になってくれれば本望です。

 ところで保護者付添いの皆様にひとつお尋ねしますが保育園や幼稚園の思い出は皆様それぞれどの程度まで思いだすことができるでしょうか。案外まとまった思い出はないのではないでしょうか。30歳以上ともなると5~6歳ころまでの記憶は予想以上にまとまった具体的な思い出は少ないようです。園当時の担任の先生の顔は思い出せても名前となるとあやふやではないでしょうか。

 当保育園の場合、担任保育士はひよこ組から卒園まで同一人で持ち上がりますので0~1歳から入園の方は4~5年以上同一保育士とともに成長していきます。園児にとっても担任にとっても本当にじっくりと成長の歩みとともに接触を重ねます。年ごとに担任が異なる場合と違います。

 一般的には保育園の在園時の思い出を質問しても担任の名前すら思い出すのがやっとの人が案外多いようです。

 毎年の遠足、春は亀田公園、秋は旧酒屋町のいも掘りと,定型的に繰り返すので記憶に楽しくはっきりとプリントされることを願います。

 6月、今月は『運動会』です。

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花海棠と石井式漢字教育|2017年5月

 狭い園庭ですが花好きの前園長が残した幾つかの花木がこの時期になると次々に開花し、園庭を明るく華やいだ空間にしてくれます。

 現在、園庭の花海棠・かいどうの開花が真っ盛り、花海棠は桜の開花から一足遅れるだけに春本番を教えてくれます。

 入園式も終わり新しく加わった園児達も園庭の花を一緒に愛でることになりました。その園庭を無心に遊ぶ子どもたちを眺めていると、それぞれの将来に思いがいたります。万葉の歌人山上憶良が「いかなる金銀財宝も子供にまさる宝はない」と歌に残している。本当に子どもたちは何よりの宝です。

 子どもたちの未来が何れの分野に進むとしてもまず、共通して基本的に有用なことは「読み書きそろばん(算数)」であることは疑いはない。

 ヒトの智脳の発達は視覚・音声・コトバを介して周囲環境を理解することから始まり、まず同一単語の繰り返しや身振り手振りを加えることで物事を理解し習得していく。それに文字が加わると理解が飛躍的に正確になりより高度複雑な意味の理解に進んでいく。

 石井式漢字教育を当園ではひよこ組から採り入れている。石井式教育の基本は普通の漢字交じりの日本文を日本語学習に最初から採りいれている。これまでの日本語の学習法の初期段階はまずひらがなばかりかあるいはカタカナだけの文章から始めていることと異なっている。カタカナあるいはひらがな文字だけで記した文章は、漢字交じりの通常の日本語の文章に比して読み辛くかつ判りづらい。それがなぜか漢字交じりの通常の日本文よりもかな文字あるいはカタカナばかりで記述した文章が初心者にとって理解しやすいと考えられてきた。

 当園ではひよこ組から漢字交じり文に親しませている。幼児たちにとって漢字がかな文字よりも難しいという感覚はない。気が付いたら本が図鑑が読めるよう

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忖度(そんたく)|2017年4月

 春のお彼岸もすぎ、太陽の日差しもめっきり高く温かくなり、 桜の開花情報もにぎやかに耳にするこの頃となりました。

 新潟市の桜の開花は中旬後半か下旬が予想されほぼ例年並みでしょうか。

 カレンダーの日取りから今年は4月1日(土)にいきなり入園式を迎えることになりました。28年度途中入園の方とこの4月1日に初めて入園される方々とを合計して、18名の園児の皆さんを迎えての入園式でした。

 ところでいきなり国語の時間のような書き出しの表題の忖度(そんたく)ですが、まず語句の説明をいたしますと、忖(そん)も度(たく)も寸法的に物を測ることの意です、忖度と熟語になると言葉の意図・根拠を推測・推察する意味になります。普段、この言葉は会話としてはあまり口にする言葉ではありませんが、この「忖度」が最近にわかに頻繁に耳にするようになりました。というのも今マスコミ話題の、安倍総理夫人を巻き込んでの大阪の学校法人森友学園問題が国会でも大きな論議となりました。その議論の中でこの「忖度」が頻繁に使用されましたので気づかれた方もあるかと思います。

 この「忖度」はわたくしども保育者にしても 子育て真っ最中の保護者にとっても 実に味わい深い言葉なのです。

 言葉・会話が全くできない生後間もない乳児時代、多少 会話ができるようになっても不完全な1・2歳児時期、かなり喋るように時にはうるさいくらい饒舌に語っていても、または大人となってもこの人の会話の本当の意図・根拠・ネライはどこにあるのかと推し量ることはしばしばあります。

 私ども保育者にとっては、大人同士の場合はともかくとして、現在目前の子どもたちの気持ちや希望真意を絶えず「忖度」することが仕事と考えております。特に乳幼児の場合、この子の不機嫌は体調が悪いのか、空腹なのか、睡眠不足なのか、前日の旅行の影響による疲労のためなのか、単にその場限りの意地にこだわっているのか、等々を常に忖度の連続と心得ております。

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雨水|2017年3月

 旧暦では一年の始まりは現在の暦の2月からで、その最初が立春です。

 また旧暦では一月二月のように月の名称の他に一年を24等分してそれを節気(せっき)と呼びました。各節気は中国古来の農業本位に添ってその時期に相当する自然気象現象を反映する名称がつけられている。

 表題の雨水ですが、最初の節気の立春に続いて2番目が雨水で「うすい」と呼びます。今年の場合はカレンダーの2月18日から3月4日までがそれに当たります。気温も徐々に温かくなり降る雪も雨に変る時期ということです。 3月の到来を告げる節気ということです。月日の経過の速さにいまさら驚きます。今月末には「ぞう組」の皆さんが卒園し小学生になるのかと思うと毎年のことながら3月を迎えると感無量です。

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「はだし保育」

 何年か前の話になりますが卒園児の中で卒園後順調に進学し、東京大学理学部にストレートで入ったK君、が居りました。その彼に一度会って話を聞きたいと思っておりました。彼の保育園の想い出を聞いてみたかったのです。彼にとっての「赤沢保育園」はどうだったのかと、保育者としても大いに気がかりなことでした。特に「漢字かるた」や「英語遊び」「体育遊び」等が彼のその後に良くも悪くもどんなふうにK君のその後に影響したかどうかということです。

 彼の答えは意外でした。彼としては英語も体育もかるたも特にはっきりと念頭にのこってないとのことで、彼にとってはそれらは淡いものだったようです。しかし、彼は保育園のお蔭とずっと感謝の思い感じていたのが「はだし保育」だったとのことです。 外出時は靴下を使用するが帰宅すると真っ先に靴下を脱ぎ、そうすることで頭がすっきりし集中モードに入れるとのことで、はだし習慣を利点として強く感じていたようです。特に真冬時の園の床の冷たさはつらかったが、しかしそれもすぐにに温かくなりその後のすっきり感や動きやすさが何とも快適になりそれが物事への集中を間違いなく高めてくれ好影響をもたらしてくれた。最初の冷たさが頭脳を刺激して目覚めさせ、その後の脳活動を活発にしてくれるのです。

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新潟小学校の皆さん来園ありがとう

 市内の新潟小学校、同校には毎年「赤沢」からも入学しております。同校の5年生の皆さんが総合学習活動の一環として保育園児との交流を計画、2月上旬、9名が来園し「赤沢」のぞう組の園児達と楽しいひと時をすごしました。5年生の皆さんはまず1月末に来園し、計画立案しそれに基づいての訪問活動でした。

 来園5年生の中には「赤沢」卒園生が4名おり懐かしい再会でした。

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お遊戯会

 園の年間行事の最後の締めくくりのお遊戯会。子どもたちは勿論担任保育士にとって最後のがんばりどころ。文字通りの手作り衣装や小道具で工夫をこらしました。無事に予定通り終わりましたことをご報告いたします。

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あくしゅ はしません|2017年2月

 「下手の横好き」の囲碁が趣味の小生ですが、週一回のNHKのテレビ番組「囲碁の時間」の放送で面白い話がありましたのでご紹介します。その番組は囲碁上達のための講座や高段者の対局等など他に視聴者の意見や情報の紹介等があり、その中での話です。

 話はある地方で開かれた囲碁の昇段認定大会のことで、数百人の参加者の並みいる大人たちを打ち負かして優勝したのがなんと6歳の子どもだったのでした。その快挙に感激した投稿者は、6歳の優勝者に近づいてぜひ握手をお願いしたいと希望したところ、なんとその6歳の優勝者に「あくしゅはしませんと」と断られてしまったのでした。優勝者に付き添っていた親御さんや握手を求めた投稿者もその返事にはビックリ。なぜとそのわけをたずねると、優勝者の受け止めた「あくしゅ」の理解は「握手」ではなく「悪手」だったのでした。その優勝者は日頃大人たちに混じり対局を重ねるなかで、常に「悪手をしないように、悪手は命取りだよ」との指導者の教えを忠実に守ることを心掛けていたのですね。幼い優勝者の頭の中は囲碁一色だったのです。

 囲碁の昇段大会などに参加する人は、実力はそれぞれピンキリかもしれませんが熱意は人一倍な方ばかりのはずです。

 それはともかく6歳の優勝者にとって対局者はすべて大人です。大の大人が必死になって頭脳を振り絞って考えても実力の世界は年齢に関係なく決まります。囲碁にしても将棋にしても盤上では容赦ない実力の格闘技です。

 スポーツ、絵画、音楽、手芸等などなにごともそれを体得するためには年齢的には早い方がいいことは分かります。そうはいってもそれを可能にするにはその前にいろいろな問題があってそれを克服しなければ実行できません。

 話は変わりますが先日の全日本卓球選手権大会のシングルス女子の結果ですが、リオ・オリンピックで大活躍した日本の女子卓球界のナンバーワンの22歳の石川佳純選手が16歳の平野美宇選手に敗れてしまったのには驚きました。敗れた瞬間の石川選手の茫然とした姿は印象的でした。石川選手のオリンピックでの活躍。彼女のナンバーワンの地位はしばらく続くのではと漠然と思っていたのですが厳しいですね。

 子育て真っ最中の皆さんにとってわが子にどんなことを学ばせようか、どんな将来に向いてもらおうかといったことが一番の関心事かと思います。とはいってもこの問題は望めば望むほどに難問題です。難しい問題どころか一つの答えはないでしょう。習い事を含めてその機会を出来るだけ多くをと望むのは親心ですが、そんな風に親が懸命になればなる程子どもはかえって反発することもあります。

 メーテルリンクの青い鳥の話を思い出してみて下さい。幸せを求めていろいろ探し求めたが結局幸せは遠くにあるものではなく身近なものだとわかったいう話です。皆さんそれぞれの境遇に合わせて努力してみることです。その努力する気持ちを忘れないで常に保持するように努めることではないでしょうか。

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新春かるた大会無事おわりました

 新年早々の1月7日(土)、会場は市内中央区上所の新潟ユニゾンプラザで三条市の3園、新潟市内の4園の計221名の参加者の下で「第17回石井式漢字かるた新潟県大会」の熱戦がくりひろげられました。

 かるたは諺(ことわざ)と俳句の2部門に分かれておりますが、それぞれの部門の入賞者と写真は細かいですが右の写真と名簿のとおりです。

 入賞者の皆さんにとっての入賞トロフィや盾は一生の楽しい思い出になるはずです。入賞できなかった人にとっては残念な思いかもしれませんが、その口惜しい思い出もこれからの励みにしてがんばりの原動力にしましょう。

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2016年もあと数日になりました|2017年1月

 今年もあと数日で過ぎ去ろうとしております。

 平成28年、4月に熊本県地震、世界的には8月にリオ・オリンピック、その他アメリカ大統領選等々実にいろいろな事がありましたが、あと数日で2017年と年があらたまります。

 12月の「園だより」で今年の夏・秋の季節気候の動きがおよそ50年前の「三八豪雪(1964年)」直前の気候の変化とよく似てので豪雪再来がなければとの気象庁の懸念に触れましたが、現在のところまだその兆候はありません。と言っても冬の到来はこれからのこと、今の段階ではまったく不明です。しかし北海道の12月の降雪は50年ぶりの大雪とのことでその50年ぶりが気になりますが今のところ東北地方や新潟県にはまだ「豪雪」のどころか全くの暖冬状態、と言ってもまだほんの冬のとばくちです。これから先はわかりませんがほどほどの降雪でお願いしたいものです。

 今年の流行語の中で「保育園落ちた、日本死ね」が入ったのには保育園関係者としてはまさかとは思っておりましたがびっくりしました。保育園に対する関心話題が高まりそんな言葉が国会を動かしたり保育園関係語句が年間流行語に入るなどは問題意識や世間の保育に対する関心が過熱状態と言えるかと思われます。もともと得体の知れない出所不明の言葉のとばっちりで国のお役人たちは世間に対する言い訳・言い逃れ対策として、躍起になってやたらと保育制度利用にバリアー・規制を細かく設置している現状だ。その中には施設運営の個性と自由を制限するいやらしさとせこいものを感じている。現在のそれも首都圏京浜地区に集中する入園希望の過密事情を全国一律に画一的に律しようとする焦りを強く感じる。こんな国の動きは日本の子育て環境を細かくせこい方向に向けているだけで明るい闊達な子育て環境の構築方向に向いているとは到底思えないもどかしさを感じるばかりだ。

 先の大戦後の約70年前、いわゆる団塊の頃の年間出生数はおよそ270万人、それが今年の推定出生数がその3分の1に近い98万人に落ち込んでいる。それにひきかえ今年の死亡数は約130万人が予想され差引日本全体で約32万人の人口減少がみこまれる。これは県庁所在地の秋田市や盛岡市に相当する人口が一年で消滅することになり大変な問題だ。

 そんな数字確認のため国の人口動態統計を調べていると次のような興味深い数字に出くわした。 年間婚姻件数が約62万1000組に対して離婚件数が21万7000組という数字である。何のことはない結婚3組に対して1組の割合で離婚していることになる。いろいろな事情があるにしても高い比率に驚いている。

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 今年のクリスマスお楽しみ会は思わぬ豪華版となりました。

 ひよこ組のお母さんのお一人、高校の音楽の先生をなさっている Sさんがご友人の大学の音楽講師のソプラノ歌手のNさんと一緒に園児たちのために音楽プレゼントをしたいとのご提案をいただきました。喜んでお受けすることにしている矢先にまた別に園の英語遊びの先生AJさんが(6年間勤務し急に退職したマルコ先生の後任)お得意のチェロ演奏を子どもたちにしてあげたいとのご提案。またそれとは別にサンタ役は新潟大学の学生さんのご協力をお願いしておりましたので本当ににぎやかなクリスマスになりました。

 子どもたちにとって本物の楽器による「聖しこの夜」や本格歌手による「赤鼻のトナカイ」や「サンタクロスがやってくる」等々本当にありがとうございました。

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テルジン・マルコ先生さようなら

 この12月6日のレッスンが終了したところで話があるとの申し出で、それがその日を最後にしたいとの話でした。理由は一家で(日本人の奥さんと子ども4歳男と2歳女の4人)ニュージーランドに長期滞在し永住も考えているとのこと。

 もともとマルコ先生は英国ロンドンの1976年生まれ。ロンドンの大学を卒業、その後スペインのj地中海に面したマラガ市で同地の大学も卒業。父はセルビア人、母はイラン出身でスペインのマラガ市にお住まいとか。大変な旅行大好きで当園勤務中も毎年夏は一か月以上の旅行を楽しんでいた。旅行先はチベット・モンゴル・タイ・シンガポール等。日本国内では昨年当時3歳の長男と一緒に富士登山をしている。旅スタイルは文字通りパックパッカー、友人先を訪ねたりしてのエコノミー旅行、とにかく日本流の物差しでは測りきれない自由な考え方、活き方を楽しんでいる。

 当園との縁は平成22年4月からですから6年8月間園児たちと親しんでくださった。彼の子どもさんたちは英語・スペイン語・日本語と三か国語トリリンガル。今後のご一家のご多幸を祈ります。

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皆さんコスタリカ国をご存じですが。

 急なマルコ先生の退職、しかし彼は後任を用意しておりました。名前はアンタルキーノ・ロメロ・アヴァロス。単にAJ(エージェイ)と呼んでほしいそうです。お年はマルコ先生より一年上の38歳。現在北区の松浜に日本人奥さんとお住まいです。そして彼の国籍が上記の中米コス・タリカなのです。

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ジュニア美術展奨励賞に2名入選

 ぱんだ組とうさぎ組の2名が見事奨励賞に入選しました。おめでとうございます。

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三八豪雪(さんぱちごうせつ)|2016年12月

 昭和37年12月から翌38年1月にかけて降った記録的な大雪のことを三八豪雪と呼んでいる。今年の夏の台風の状況や先日11月25日の東京をはじめ関東地方の降雪や気象状況がその三八豪雪前の気象状況にそっくり似ているとの気象庁の報道が大変気になり当時を思い出してみた。

 昭和38年のその翌年の39年(1964)10月に東京オリンピックが開催されている。当時は、そのオリンピックに間に合うようにと国を挙げての総力を結集して、東京ー大阪間の新幹線や東名高速道路、東京都の首都高速道路などなどが開通している。そしてそれが日本の列車や自動車の高速時代の幕開けでした。そんな頃の一年前に日本を襲ったのがその三八豪雪でした。

 37年暮れに新潟方面に向かった数々の夜行列車(当時は勿論上越新幹線などはなく東京ー新潟間は急行で8時間を要した)が新潟県内で降雪のため何日も立ち往生した。正月を故郷で迎えようと乗車した人々は暖房も途切れ真っ暗な寒冷な列車の中に何日も閉じ込められた。お土産に持参した食品お菓子などを食べて空腹をしのぎ、除雪が功を奏し列車がようやく動き始めたころは、また東京にトンボ返りしたとの切ない話を数多く耳にしました。また新潟市内でも雪の捨て場がなくて2階から出はいりした家も数多くあったそうです。

 今年も残すところあとひと月となりました。熊本地震、トランプ次期大統領、フィリッピンのドテルテ大統領、リオオリンピック、東京都の舛添知事が小池知事と変り、お隣の韓国大統領問題、ここにきて鳥インフルエンザ問題が大きくならなければよいが‥。今年は気になる話題の多い年のようですね。

 三八豪雪の再来のないことを祈ります

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新潟弁あれこれ④

 11月末の大相撲九州場所は横綱鶴竜の優勝で終了した。新発田市出身の小柳(おやなぎ)が新十両に昇進して十両優勝に絡む大活躍。来場所の活躍が楽しみだ。

 力士名は力士の郷土に因んだ山や川等の地名やキラキラ名や威勢の良い名称が多いが最近は名字そのままを力士名にしている例が多くなった。幕内では高安、遠藤、石浦、正代や十両では里山、佐藤、山口そして小柳が本名そのままを力士名としている。その小柳の読み方だが新潟では「オヤナギ」が普通だと思っているが新潟県以外の場合は「コヤナギ」と読む例が多いようだ。お古い話ですが一世を風靡した「瀬戸の花嫁」を歌った小柳ルミ子は「コヤナギ」だ。

 同じような例が五十嵐姓の場合にもある。新潟では「イカラシ」と濁らないが他府県の場合「イガラシ」と濁って読む場合が多い。

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縄跳び大会

 園では毎年11月末に縄跳び大会を開催している。子どもたちは10月の半ばころから練習をはじている。始めは子どもたちの関心の度合いもまちまちだが、次第に熱意が高まっていくのがよくわかる。最初はまるで跳べなかった子どもたちが日を重ねるにつれて上達していく。なかなか要領がつかめなくていつまでも跳べない子どももいる。いったん要領がわかってくるとそれからは見違えるように練習に打ち込むようになる。その結果は、跳ぶスタイルや回数に比例してあらわれる。そんな練習努力の結果が子どもたち自身にもよく理解しそれがその後の大きな励みになる。努力練習の成果が子どもたちなりによくわかるよい機会だ。下表は11月30日の大会結果。

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蚤虱 馬の尿する 枕もと 松尾芭蕉|2016年11月

 「ノミ・シラミ うまのシトする まくらもと」 。 この句は 江戸時代の俳人松尾芭蕉の旅日記「奥のほそみち」に記されている。芭蕉が327年前の元禄2年(1689年)5月に江戸を発ち、東北、越後、北陸を経て現在の岐阜県大垣へとおよそ2,400㎞を徒歩で約5ヶ月をかけて旅をした。その道中旅日記が「奥のほそみち」で、上掲の句は宮城県の鳴子温泉の近くの尿前(しとまえ)という地名の所に宿した際に詠んだもの。芭蕉はその後越後出雲崎では「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」の句を詠んでいる。

 前置きが長くなりましたが実はこれからのお話は「虱(シラミ)」のお話しです。

 近年日本を訪れる外国人が年々増加している。特に 電化製品や日用品を大量購入する中国人の爆買いが話題になりましたが、一時より鎮静化して少なくなったようです。観光や商目的の訪日外国人は年々増加しております。日本に対する関心が高まり多くの外国人が来訪することは大いに結構なことです。 しかし、いいことばかりではありません。

 昨年神宮外苑の森がデング熱の発生源ではないかと大がかりな媒体の蚊の駆除作業が実施されたことはご記憶のとおり。この場合は訪日外国人ではなく外国帰りの日本人が持ち帰ったものだったようでしたが、何れにしろ外国からはいろいろなものが入ってくるようになりました。

 持ち込まれて都合の悪いものの中には病原菌の他に害虫があります。中でも日常生活にとってノミ やシラミ があります。いま日本国内では言葉としてのノミ・シラミを知っていても実際に直接に現物を見たことのある人は極めて少ない。300年前の徳川時代どころか第2次世界大戦後の数年は日本人の生活の中ではノミ・シラミが大繁殖した。当時日本を占領中だった米国軍は、殺虫剤DDTを学校や人の多く集まる駅前などで生徒や通行人に対して衣服や頭髪に白い粉末DDTを徹底的に散布したものでした。しかし、その人権無視も甚だしかった徹底的な散布のお蔭で日本国内のノミ・シラミはほぼ絶滅状態となり、その姿を見ることなく半世紀以上の年月が経過した。その後、DDTの使用は発がん性があるとの理由から、1970年代から世界的に使用禁止となった。

 DDTの使用がなくなったことに加えて外国からの持ち込みもあって、日本国内ではいろいろな害虫、特にシラミの発生が散見されるようになったようです。

 シラミと言っても何種類かありますが、衣服に寄生する「ころもシラミ」や頭髪に寄生する「あたまシラミ」や陰毛に寄生する「けジラミ」があるが、特にここで問題にするのは「あたま・シラミ」です。

 頭の毛髪の中に寄生する「あたま・シラミ」の発生が全国的みられるようになり、最近、新潟市内の小学校や保育園などでの発生も耳にします。

 シラミにいったん寄生されると「あたまシラミ」の場合、まず頭が猛烈にかゆくなります。子どもがやたらに頭をかゆがったりしている場合、その寄生があるかどうかをうたぐってみてください。寄生している場合下図のような虫がいるかどうかを注意深く確認してください。また成虫が見えなくとも毛髪に1ミリほどの白い卵の付着があれば寄生はかくじつです。卵はさわったくらいでは絶対に落ちません。普通のシャンプーで洗っても絶対に駆除はできません。駆除専用シャンプーを薬局で購入してその使用説明書に従って駆除して下さい。(下図実物の寸法は縦2ミリ、幅1ミリ位でしょうか)

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新潟弁について その3

「ばんば」
赤ん坊や小さい子どもをおんぶするとき新潟では「ばんば」するという。最近その「ばんば」するという言い方をほとんど耳にしなくなった。大体この頃の母親は前抱きがほとんどで背中に子どもをおんぶすること自体見かけなくなった。子どもでも、大きくなった場合や大人をおんぶするときは普通におんぶすると言ったように記憶しているがどうでしょうか。小さい赤ん坊の場合たまに「ばんば」するという表現を耳にすると、何とも言えないほのぼのとした温かい響きを感じますが単なる思い込みでしょうか。 

「しょうたれこき」
だらしなく周囲を不潔乱雑の状態にする人のことを「しょうたれこき」あるいは「しょったれこき」ともいう。
常習的に一定の行動をくりかえす人のことを新潟弁では「こき」ということは前回でも触れました。短気ですぐに興奮して怒る人の場合は「怒りこき」となる。またお喋りすきな人は「しゃべっちょこき」となる。 

「もうぞう」、「モーゾ」:
寝言のことを「もうぞう」といいます。妄想が語源でしょうか。何を言っているのかさっぱり意味不明の場合「何もうぞうを言ってるんだ」とこんな風に言いましたがいまはどうでしょうか?語源的に同じ表現からでしょうか、老人性痴呆いわゆるボケ・認知症になってしまった場合、新潟では「もうぐれる」と言いますが、これも今はどうでしょうか‥?
「年のせいかあのバアーさんもすっかりもうぐれてしもて、どうしょうもないてば」 と。 

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秋です:爽やかな季節を満喫しましょう|2016年10月

 10月、厳しい冬の季節到来前のいっときの爽やかな時期です。人里の低地の紅葉はまだですが、山の高地ではすでに始まる頃です。富士山初冠雪の報道もそろそろです。リオ・オリンピックの興奮も終わり、プロ野球やサッカーリーグ戦も最終局面に入り、新潟人にとっては地元のアルビレックスのJ1残留が気になります。

 厳しい夏の暑さも去りました。子どもさんと一緒に手近な里山ハイキングを楽しまれてはいかがですか‥。子どもと思っていても3歳頃になると急速に体力がついてきます。そんな時に体力試しにもなる山歩きは、頂上に達したときの達成感、一つのことをやり遂げた時の満足感は子どもにとってもわかりやすい。

 手じかな里山と言っても山は山、街中を遊歩するのと異なり途中で中断してタクシーで帰る事も出来ません。コンビニもありません。そんな普段の便利な生活世界ばかりではなく、別種な環境があることを知ることも貴重な体験です。子どもに限らず大人にとっても山歩きは常に自然の大地から隔離された人工の便利さにどっぷり浸かった生活から離れて、自然に気付くことの素晴らしいきっかけや体験にもなるはずです。

 そうは言ってもいくら里山でもすでに山歩きを体験されている人はともかくそうでない人にとっては勝手の違った手数なことかもしれません。行く先の決定、計画のための調査等々があります。それはしっかり立ててください。そんなバリアーを一度乗り越えて子どもさんのためにもトライしてみませんか。子どもにとっても親にとっても貴重な体験になるはずです。

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先月の園だよりに引き続いて新潟弁について

 8月のある日 ひとりの卒園児が保育園に顔を見せた。小学校4年生のその子は卒園と同時に両親の仕事の都合で長野県上田市に引っ越して行った。その子は女子ながらも元気印のかたまりのような外向的行動派のたくましいタイプでした。在園中も縄跳びやカルタ取りなどは常に最上位の成績だった。行動派だっただけによく一人で遠方まで飛び歩くので誘拐事件や交通事故にならなければとそんな気がかりな子でもあった。長野県への転居、もともと新潟下町育ちだっただけに言葉の違いからのいじめ問題にあわなければと気がかりだった。それとなく学校生活に触れてみたがやはり懸念のとおり学校生活は楽しくないようだ。その要因の一つとして言葉の違いがあるのではと尋ねたらそのとおりとの答え。あまりそればかりを話題にする事も出来ないまま、5分ほどおしゃべりをして彼女は名残惜しそうに去って行った。これからうまく問題を乗り越えて彼女なりに環境に適合することを願うばかりだ。

 「おはよーございます、今日のあんべぇなじらね?」
 老人同志や普通の新潟人同志が一日の始めに取り交わすごくごく普通のおなじみの会話で、新潟人にとってはぴったりくる和やかな出合いのあいさつ言葉だ。

 昭和初期生れの昭和人にとっては、今の新潟弁はたしかに標準語と大差がなくなり他府県人にとって分かりやすくなった半面、なにかぴったりくるもの(インパクト)が薄れて隔靴掻痒(かっかそうよう:靴の上からかゆいところをかく)ような物足りなさを感じるのは否めない。

 「こっちゃり」
 まったく耳にすることがなくなったが、「こっちゃり」とは嬉しいとか思わぬ儲けものしたときに使う表現で、何かがうまくいって思わぬトクをしたときは「おおこっちゃりした」といった言い方をした。サッカー相手方がオウンゴールしてくれたときはまさに「おおこっちゃり」だ。

 「ちょろけ」
 ふざけたり面白い仕草や動きで人を笑わせたりすることを「ちょろける」と言った。いわゆる3枚目的愛嬌動作ギャグで他人を楽しませてくれる楽しいキャラクターの人を「ちょろけこき」といったりする。「○○こき」という表現は「うそつき」という言い方を新潟弁では「嘘こき」のように言ったりする。また動詞的に「ちょろける」といった言い方もした。

 「のめしこき」
 朝起きの苦手は「寝坊こき」、物事の手順を忠実に守らないで手抜きや怠けることを「のめし」と言い、その常習犯や怠け者を「のめしこき」という言い方は今でも新潟では通用しているでは。

 また試験対策の参考書や虎の巻のことを「のめし」と呼んだ。考えてみるとその言い方は新潟独特のもので他府県や今の学生には全く通じないのでは。

 「あちさん」
 新潟以外の人にとって分かりにくい言い方の一つに「あちさん」がある。よその人のことを意味する「あちらさん」を省略して「あちさん」になったかと推定される丁寧な言い方である。

 他人の邪魔や迷惑にならないようにとの配慮から「これはあちさんの物だからさわっちゃだめだよ」とか「あちさんが居るから静かにしましょうね」と云った言い方をする。この言い方が他所の人にとって分かりにくい。「阿智・阿知さん」という名字を想像し、それにしてもなんとまあー「阿智さん」という方が多いのかと不思議に思ってしまいます。

 「ゲッポになったらショーウシらて」
 10月は「体育の日」もあり運動会も多い。かけっこなどの順位でビリになることを新潟弁では「ゲッポになる」と言う。ゲッポとは下方が語源か? ショーウシは笑止とも書き平安期の文書にもあり、恥ずかしいとか気の毒を意味する。

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