園だより」カテゴリーアーカイブ

あと数日で平成29年2017年が終り、平成30年2018年を迎えます。よい歳となることを祈ります。|2018年1月

 2017年は米国第一主義を強調するトランプ氏が大統領に就任してからは、世界はなんとも落ち着かなくなり緊張感が高まってきたことはよろしくありません。新年でどんな風な展開になるのでしょうか。

 また現在の天皇の退位が4月に決まり、平成もあと数か月ということになりました。

 新年の2018年1月6日(土)には石井式漢字かるた第18回新潟県大会が実施されます。ということで県大会第1回の2001年平成13年をふりかえってみると、1月:米国ブッシュ大統領就任、 4月には小泉内閣誕生、 6月:大阪池田市大阪教育大付属小学校で暴漢により小学生8人 殺害事件発生。 9月11日:ニューヨーク世界貿易センタービルに同時多発テロによる航空機が激突、航空機の搭乗者とビル内の人々が 3000人以上の犠牲者発生と大変な事件がありました。

 2018年がよい年になることを祈ります。

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 12月8日(金)、お正月気分先取りの「餅つき大会」。うす(臼)ときね(杵)でぺったんこと餅をつく、保育園のお話ですね‥。

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 カレンダー通りの12月25日(月)「クリスマスお楽しみ会」 クリスマスとサンタクロースとプレゼントの組み合わせ、年長児には理解できても、「ひよこ・こあら組」さんには何のことやら。サンタさんの姿におおびえてずっと泣き続ける子も‥。  今年も保護者SA様ピアノ演奏、「英語あそび」の講師AJ先生チェロ演奏のご協力をいただき雰囲気モリモリでした、ありがとうございました。(下、写真)

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焚くほどは 風が持てくる 落ち葉かな 良寛|2017年12月

 信濃川に架かる萬代橋や昭和大橋から上流方向を眺めると上の写真のような山の連なりがみえます。その山並みの左端が国上山(くがみやま)。今からおよそ250年前、その国上山に住まいした子ども好きなお坊さん、良寛さんのことは新潟人なら一度は耳にしているかと思いますが、、その良寛さんが詠んだ句が上記の「焚くほどは‥」です。

 今園内遊戯室での園児たちは遊び動きの焦点は専ら11月末の「縄跳び大会」のための練習と上記の12月1月に開催の「かるた大会」に備えての練習に集中している。良寛や芭蕉、蕪村や正岡子規等の詠んだ俳句や日本古来の諺(例:飛んで火に入る夏の虫)や成句(たとえば「読書百遍意おのずから通ず」等を読み込んだカルタのカルタ取りの練習が盛んに行われているのです。

 その「かるた」についてもう少し踏み込んで説明すると:
「俳句かるた」で使用されている句は特に子ども向けの句ではなく通常の古来からの名句そのままです。例えば;

 柿くへば 鐘がなるなり 法隆寺          正岡子規

 目には青葉 山ほととぎす 初鰹         松尾芭蕉

 痩せ蛙  負けるな一茶  これにあり      小林一茶

 春の海 ひねもす のたりのたりかな       与謝蕪村

 雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡        田 捨女

 「諺(ことわざ)かるた」は日本古来から伝承されている教訓的な語句や成句で編集されている。

 例えば; 「時は金なり」 「猿も木から落ちる」 「目は口ほどにものを言う」 「転ばぬ先の杖」 「火のないところに煙は立たず」 「縁の下の力持ち」 「三人寄れば 文殊の知恵」 「聞くは一時の恥 聞かぬは 一生の恥」 などなどです。

 通常の俳句や古来の格言成句はそのままでは大人の感覚では難しいのではとの心配をよそに、子ども達は「俳句」や「諺」の札をすいすいと取り記憶して行くのです。

 練習を重ねるにしたがって子どもたちの脳裏にはそれら名句や格言成句がしっかりと焼きついていくのです。

 先人の知恵や教訓がぎっしりつまった格言や言い伝え、言ってみれば生活の知恵そのものが「諺・ことわざ」です。この機会に諺かるたに収録されている語句を拾ってみました。

 ① 急がば回れ
 ② 言うは易く行うは難し
 ③ 井の中の蛙 大海を知らず
 ④ 石の上にも三年
 ⑤ 蛇ににらまれた蛙
 ⑥ 飛んで火に入る夏の虫
 ⑦ わが身をつねって人の痛さを知れ
 ⑧ 糠に釘
 ⑨ 笑う門には福来たる
 ⑩ 蛙の子は蛙
 ⑪ 楽は苦の種 苦は楽の種
 ⑫ 立つ鳥後を濁さず
 ⑬ 二兎追うものは一兎をも得ず 
 ⑭ 残り物に福あり
 ⑮ 口は禍の門
 ⑯ 虎穴に入らずんば虎児を得ず
 ⑰ 出る杭は打たれる
 ⑱ 礼も過ぎれば無礼になる
 ⑲ 親しきなかにも礼儀あり
 ⑳ 失敗は成功の基

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  作品展は子どもたちの作品展でもあるが各担当職員たちのデスプレイはそれぞれの努力と工夫の作品展でもある。せっかくの努力の軌跡の断片を写真で残したいと考えました。

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縄跳び大会:11月30日

 10月ころはまるで跳べなくて一回ごとにまたいでいた子も、上手に跳べるようになりました。やれば出来るようになるんだ、そして頑張れば記録があがるんだと一人一人がわかる良い機会。順位はこれまでの練習記録も参考にしました。

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「新潟県良い歯の運動」優良園表彰受賞|2017年11月

 新潟県では毎年「よい歯の運動」として県内の高校生・小中学生~保育園児の歯の健康状態を調査し、この運動に参加する施設の生徒・園児の歯の健康状況を優秀・優良・努力・それ以外と4分類。そのうち優秀・優良・努力に該当する施設について表彰している。今年平成29年度でこの運動が59回を数えます。そして今回、赤沢保育園は優良園に選ばれこの10月24日に市内の新潟県歯科医師会館で上記のような立派な表彰状を頂戴しましたのでご報告すると同時に、 この機会にこの「よい歯の学校~園の運動」について及び赤沢保育園での「歯の健康運動」への取り組み状況について簡単に説明します。

 この「よい歯の健康運動」ですが、まず今回のこの運動の県内参加施設は高校が70校(県全体の64%)・中学242校100%・小学校472校100%・特別支援学校35校100%・幼稚園33園(25%)・こども園28園(82%)・保育園224園(35%)。今回の参加施設総数は1104校・園でした。

 以上の参加施設の生徒・園児のうちむし歯が少ない施設を選定して毎年表彰しております。今回参加224保育園中、優秀園は7園、優良園14、努力園3でした。

 賞状は玄関入口の壁面に掲示してありますのでご覧ください。

 因みに新潟県の歯の健康状態は極めて優秀で、全国都道府県別の12歳のむし歯保有数は全国平均1.00本に対して新潟県は日本一、全国最少で0.5本、最多は沖縄県の2.2本(26年度)。

 当保育園での歯の健康指導は、4歳児(ぱんだ組)・5歳児(ぞう組)の園児にたいして、県・市の指導によるフッ化物洗口溶液でのうがいを週2回(月・木)実施しております。フッ化物洗口溶液は歯のエナメル質を強化する作用があると言われている。

 フッ素化合物溶液で洗口(組担任の指導の下に口に含んで一分間ほどぶくぶくうがい)については当園では平成8年から実施しております。

 なおフッ素はもともと毒性が強い物質のためその使用については疑念する人もあり、そのためその実施にあたっては市では保護者の同意をいただいております。うがいに使用する濃度では安全については全く問題ないのですが。

 実は去る14年度・15年度・16年度は連続して優秀賞を17年度は優良賞を受賞しました。同賞状及び縮尺コピーを掲示しておりましたがお気付きでしたでしょうか。

 遊戯室にライオンのぬいぐるみが3個ありますが、優秀園表彰の際の副賞品(ライオン歯磨社提供)なのです。

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 今、ぞう組・ぱんだ組の園児たちは日一日と縄跳び練習に熱くなってきています。

 11月の予定表では30日(木)に『園内縄跳び大会』を予定している。

 各人の縄跳びの練習や取り組み方ややり方をみていると、一人一人の性格や乗り具合のちがいがよく分かる。練習効果や結果が分かりやすい体力スポーツだけに練習を重ねただけの成果が本人自身にも分かり易い。

 10月初め頃はパタンパタンと一歩一歩と踏み出すようにまたぐよう跳んでいたのが、やがてぴょんぴょんと調子よく跳ぶようになり、それから間もなく縄がビュンビュンと風をきるようになり、それもつかの間すいすいと静かに軽く足下に縄が風のようにすり抜けるようになっていく。子どもたちの上達を目にするのは実に楽しいものです。

 さあー、みんながんばりましょう。

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 今月の給食メニュー「開港150年記念ご当地麺」は17日(金)に長崎ちゃんぽんの予定です。

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開港150周年記念献立給食|2017年10月

 江戸幕府終期の安政5年(1868)、それまで外国との交流を閉ざしていた幕府は長崎、神戸、横浜、函館、新潟の五港を開港しました。それから今年は150周年にあたります。神戸・横浜をはじめ各関係港市ではいろいろな行事を計画しております。

 新潟市でもいろいろな行事を計画しておりますが、その中の一つに保育園給食のメニューにそれら5港市に因んだご当地麺料理を取り入れるそうです。

 新潟市の給食メニューの計画によりますと、それぞれの港市ご当地の庶民的で安価で親しみやすくて美味しいB級グルメ・メニューから選んだそうです。

 まず長﨑はちゃんぽん、神戸のそばめし、横浜はサンマー麺、函館の塩ラーメン、新潟は(ミカヅキ)イタリアンということになったそうです。それを毎月の給食(おやつの場合もあり)の献立に入れる予定だそうです。

 聞いているだけでも楽しくなりますね。とは言っても限られた調理時間、設備、手数、予算等々の中ですから、担当の職員の皆さんにとってはご苦労さんです、よろしく頑張って下さい。

 ということでまず最初の10月の一番バッターは、19日(木)に「横浜のサンマー麺」です。

 サンマー麺と言っても魚のサンマは全然関係ありません。もともとは調理人達のまかない料理だったそうで、とろみを付けた肉そばが原形だったと言われています。横浜市の中華料理店から大戦後まもなく発祥したそうですからおよそ70年の歴史があります。醤油味がベースのスープに具は肉・もやし・白菜、その季節の具にあんをかけた簡単なものでした。しかし当時はラーメンよりボリュームがあり美味しく、あんがかかっているので寒い季節は温まり元気がでるいうことで徐々に人気メニューとなったようです。 サンマーの意味は中国語からで「生碼」と書き、生きのよい具材(碼)の意味だそうです。当保育園の神奈川県出身の職員に横浜メニューが「サンマー麺」と伝えたらナットク顔でした。

 この機会に他港市のメニューについても調べてみましたのでそれをご紹介します。

 まず「神戸のそばめし」ですが:神戸市のあるお好み焼き屋でそば焼きをみていたお客の一人が手持ちの冷やご飯を一緒に焼いてほしいと依頼したのがはじまりとか。それが予想以上に人気メニューとなり、それに目を付けた大手食品メーカーが「そばめしセット」を売り出したらそれがヒット、さらに阪神淡路大震災がきっかけで全国的に有名になったそうです。

 函館の人気グルメのひとつが「塩ラーメン」。もともとラーメン人気が高い北海道。その北海道では、札幌の味噌、旭川の醤油と並んで函館の塩は三大ラーメンのひとつとしての大きな人気だそうです。

 函館の塩ラーメンの美味しさの特徴は、ネットの評判によるとすっきりと透明なスープで、さっぱりとしている中に深い旨みが潜んでいて、スープだけ一口、一口味わっていくうちに、気が付かないうちに最後まで飲み干してしまうんだそうです。

 次にあまりにも有名な「長崎ちゃんぽん」、太い麺と具材の多いのが特徴です。

 最後は新潟ご当地メニューの皆様よく御存じの「みかづきのイタリアン」。これについての説明は略します。

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芋ほり遠足

 9月29日(金) 天気晴、場所: 江南区酒屋町、無事に終わりました。

 遠足の善し悪しは何と言ってもお天気次第。今回も好天にめぐまれ無事に終わりました。

 雨天の場合は「道の駅ふるさと村」へと行程表に記載しましたが、じつのところ前日まではその「ふるさと村」雨天避難時の利用申込み多数のため場所の確保ができるとかできないとかと一揉めし、それでも何とか確保の了解をとりつけたのでしたが、結局そんな交渉も無駄に終わったことを心からほっとし喜んでおります。

 とは言ってもまた来年の作付をお願いしましたので来年の好天を今からお祈りします。今回も前日は雨、遠足終了後の4時頃にはひと雨降りました。

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山歩きのすすめ|2017年9月

 今年は8月11日が国の休日「山の日」でしたが、8月は暑さの真っ盛り、3000メートル級のアルプス連峰ならともかく手近の山に行くには暑すぎます。暑さも一段落のお彼岸過ぎ頃から紅葉までが気候も比較的安定し山歩きに快適です。

 子どもたちも3歳前後になると大人の予想以上に歩行力があります。またそのころから体力・脚力の基礎が決まります。5歳くらいになると大人顔負けに歩けるようになります。

 ふもとから登り始めて頂上に達して下山帰着する。始めと終わりがわかりやすいので子どもでも達成・完了感ががよくわかる山行きはおすすめしたい。

 子ども連れ初心の方へのおすすめコースとして田上町の「ごま堂山」を提案します。

 高さが低い(268m)ため頂上の展望は樹木のため今一ですが、入山口に駐車場もあり、歩道の状態・駐車場・道中・頂上脇にもトイレもありで家族連れには便利。頂上近くに軽食処もありで一服利用も楽しそう。登りに要する時間は4~50分くらいでしょうか。

 ごま堂山、とにかく緑たっぷりで空気がおいしい。足元も歩きやすいズックでOK、5・6月の新緑や梅雨前後の頂上のアジサイが素晴らしい。帰路、田上の温泉で一風呂は大いに結構ですが、車の運転がかったるくなるのでその点考慮。

 ごま堂山はすぐに物足りなくなるでしょう。とその次となると、角田山・弥彦山・とっさか山(胎内市)あたりになるでしょうか。ごま堂山と比べると一段と山らしくなります。コースや持ち物、履物等それなりに事前にお調べになってトライしてください。

(*ごま堂山の写真は田上町パンフレットより)

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第37回園内相撲大会

 恒例年中行事の一つ園内相撲大会が8月2日に開かれました。対戦は男女の区別なく各クラス内の勝ち抜き戦。さらに上位者同士の総当たりで決めたりでした。土俵も足元も不安定ですので結果はまちまちで順位はやるたび変わるかもしれません。

 大相撲9月場所がまもなくはじまります。再入幕の豊山の活躍が楽しみです。

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お買いものごっこ

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僥倖 望外 茫洋|2017年8月

 いきなり漢字熟語の羅列で恐縮ですが読みはそれぞれ ギョウコウ・ボウガイ・ボウヨウとなります。先月の園だよりで取り上げたプロ将棋界に中学生デビューした藤井聡太四段の活躍が全国的な話題となりました。

 実は彼がマスコミ取材とのやり取りに上記の言葉が彼の口から使用されていたのでした。

 取材に対するかれの応答の中で、連勝も僥倖(思いがけない幸せ)であり、望外(予想以上の幸運)な結果であり、いずれの一局もその初めは茫洋(海のように広々と果てしないこと)としているものだと、とにかく謙虚な話しぶりに驚きました。しかも中学3年生で上記のような単語が自然に口をついて出るのにはさらに驚きました。日頃よほどの読書を重ねていることが察しられ、彼の教養の厚みに一段と奥深いものを感じます。

 藤井四段が五歳の時に祖父母がたまたま将棋の入門セットを与えたらそれをすぐに理解し、たちまち祖父母も打ち負かすようになった。これでバッチリと彼の体内にスイッチがはいったのですね。将棋という一定の条件ルールのもとでは年齢や体格の違いに一切関係なく勝ち負けが決まる、五歳の子どもでも相手が祖父母であれ両親であれ他人であれ教養・社会経験と関係なく同列に勝負が決まる。一定のルールのもとで技を競って勝敗決めること、言ってみればそこはそれなりの一つの世界です。将棋することでそれまでの幼児の世界から一段と異なる成長段階(世界)に突入したのですね。

 今後の活躍には目が離せなくなり楽しみです。

 さて、それはそれとしてこの藤井四段の話題をキッカケに将棋を始めてみませんか!

 お父さんと娘さん、お母さんと息子さん,お祖父さんとお孫さん、お姉さんと弟さん、などなどのそんな組み合わせで将棋盤を囲んで一家でトーナメント戦など、思ってみるだけでも和やかなものを楽しいものを感じませんか!

 半世紀以上前の昭和の初め頃の園長の思い出話で恐縮ですが、将棋となると実は父と将棋をとおしてのひとときが懐かしく思い出されます。

 父からは最初からの手ほどきを受けました。それが何歳の時だったか正確に思い出せません、小学校2~3年生の頃だったでしょうか。一つ一つの駒の動きや機能や将棋のルール等を教わりました。夕方になるとご近所の将棋好きな方が週に2~3人は遊びに来られました。父はこの近所では結構強かったようです。小学校高学年頃には何とか勝負になった記憶があります。

 今思い出してみると当時将棋は現在よりも明らかに盛んでした。夏の蒸し暑い夕方になると通りに面した家々の前は、当時はテレビや空調冷房はもちろんスマホもなかったので蚊取り線香の香りの立ち込める家の軒先は、ウチワ片手の夕涼みの人々がぞろぞろ目につきました。そして町内のあちこちに腰掛をを持ち出して将棋を楽しむ人の風景は普通に見られました。天の川の美しい星が空いっぱいに輝いていました。牽牛も織女もはっきりと見えました。今の新潟ではそんな光景は別世界の話になりました。

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 毎年7月の最終金曜日の夕方、年長児の皆さんの園生活での楽しい想い出のために普段とは一味違った趣向を体験してもらったりする「夕涼み会を」催しております。これまでは礎消防署さんをたずねたりして夜の街探検などがメインでしたが、今回7月28日は消防署が移転した関係もあって、園内だけでの行事jになりました。

 今回は、まず年長児の皆さんには帰宅してもらい、その後5時半までに再登園していただきました(都合つかない方はそのまま在園)。

 夕食はセルフで自分の食事を盛り付け、焼きそばその他を楽しんでいただきました。その後暗くなった2階の保育室を”お化け屋敷”に見立てて肝試し体験。職員のお化け仮装(右写真)の怖さでホントに泣き出す子も出ました。

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将棋の藤井聡太4段の活躍|2017年7月

 とにかく将棋界に大変な天才少年が現れたものです。14歳2月の中学3年生の藤井聡太くんがその実力が認定され4段のプロとして公式戦に参加し、先輩プロと同格に試合対局を続け、デビュー以来負けなしの29連勝を記録している。その記録が将棋界にとって新記録だけにその快進撃ぶりについては最近のNHK・TVをはじめ民放各局や新聞等のマスコミで大きな話題になっていることにお気付きかと思います。最近の勝利に関しては東京では新聞号外が発行される程の過熱ぶり。

 であっても皆さん方特にお母さん方にとってはそれが何でそんなに話題になるのかピンと来ない人が多いかと思います。将棋にはそこそこの関心がある筆者ですが、そこそこだけの関心知識でこの件に言及するので不正確な個所もあるかもしれませんが大まかに説明します。というのも子育て問題・子どもの成長・発達その可能性について考える興味深い話題と考えるからです。

 将棋の公式戦で連勝を続けている意味を考える前に、まず藤井聡太くんが将棋に興味を持ったきっかけをたどってみると、5歳のとき祖父母から将棋の手ほどきを受け入門セットを買ってもらったことがはじまりとのこと。祖父母にしても父母にしても格別に将棋に強い関心があったわけでもなくたまたま将棋のセットを与えただけのことだったようです。

 ところがそれがきっかけとなり聡太くんはすっかり将棋にはまりこんでしまった。将棋が彼の気質に見事に合致したようで、字もろくに読めないまま指導書を理解し、小学1年の頃は周囲の大人達は完全に彼に勝てなくなった。そんな彼が近所の将棋教室に入り、以来めきめきと上達、その図抜けた実力が認められて昨年10月にプロ4段となった。

 そのプロとしての藤井4段が最初に対戦し勝利した棋士が将棋界最長老の77歳の加藤一二三(ひふみ)9段だった。加藤氏はこの対局を最後に棋界を引退した。その加藤氏は60年以上前の昭和30年代に14歳7か月の中学生でプロ入りし、当時は神武以来の天才と大変な話題となっての鮮烈デビューだった。その後数々のタイトルを獲得保持した実力派の棋士でした。

 昨年12月の加藤9段との対戦勝利を皮切りに藤井4段のプロとしての連勝は実に29勝を重ねている。これは将棋界にとってはこれまで28連勝が最高記録だっただけに歴史的な新記録となっている。30連勝がかかった次の対局は7月2日の予定だ。(全くの話ですがアルビレックスにそんな連勝のかけらでもあればとつい‥、)

 連勝のかかった藤井4段の試合の当日のテレビマスコミの雰囲気は古い話になりますが大相撲力士の双葉山が昭和11年~14年にわたって記録した69連勝の快進撃を続けていたころの空気と通ずるものが当時小学生だった記憶と重なるのです。当時の大相撲は一場所11日で年2場所か3場所だったので69連勝達成は3年がかりだった。この69連勝は今も破られていないのはご承知のとおり。常勝双葉山のレジェンドが当時の日本中の人々の脳裏にしっかりと焼き付けられたのでした。

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「運動会」楽しく無事に了りました

 6月17日(土)、好天に恵まれ年中恒例行事の「運動会」、無事に楽しく終了することが出来ました。会場は、日和山小学校体育館、名称は昨年同様ですが地理的位置が旧栄小学校と海岸寄りに1キロ程の方向違い。それだけに何かと戸惑いが多いのではと懸念も先立ちましたが、案ずるより産むがやすしで、参加者皆様のご理解・ご協力と職員の手配準備が実を結び、予想以上にスムーズに進行実施できましたことを心からよろこんでおります。また会場の使い勝手も良好で来年以降は一層スムーズに進行運営できるかと思われます。

 紅白リレーや綱引きにご参加の皆様、後日に筋肉痛などは大丈夫でしたでしょうか?

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祝 赤沢保育園 創立第百二十七回記念日|2017年6月

 明治23年(1890)6月1日、現在の新潟市内中央区礎町4丁目に赤沢保育園の経営母体だった「静修学校」が発足致しました。その静修学校の付帯業務としての保育だったので「静修学校」の創立をもって保育園の創立記念日としている。今年は2017年ですので創立から数えて127年になります。創立者は現園長の祖父の赤澤鍾美(あつとみ)と申しました。

 創立者赤澤鍾美は元治元年(1864年)10月16日新潟町に生まれた。鍾美生年の元治は、明治の前が慶応でその前の年号が元治だが、その元治の期間は短く、元年2月から翌2年4月までのわずか1年2カ月の期間だが、元年6月には近藤勇が率いる新選組が京都三条の旅館池田屋に踏み込み尊王攘夷派の志士を粛清する事件が、8月には「蛤御門の変」が発生している。明治維新前のそんなあわただしい年でした。

 鍾美の名前は始め庄吉といった。庄吉の幼少時の詳しいことは伝わってはないが経済的にも家庭的には祖母に育てられており、決して恵まれた環境ではなかったようだ。そんななかで、なかなかの勉強家だったようでその後13歳新潟町の臨時教員採用試験に合格し、最初に明治11年4月に四番堀小学校に就職している。

 臨時教員に採用された赤沢庄吉は、記録によるとまず当時新潟町に五校あった小学校(鏡淵、四番堀、西堀、洲崎、豊照)の四番堀校に就職している。そして五校を順次転勤している。

 明治政府は教育制度発足と同時に正式教員養成のため師範学校を設立しその卒業生を正式教員として配置し順次臨時教員と置き換えていった。

 明治新政府発足当時の教育制度について説明すると、まず明治6年、義務教育制度制定、全国に小学校を設置開校を決めた。しかしその実施には教場と教員の確保がまず問題となり、教場の多くは寺院等を利用した。教員は資格認定採用試験による臨時教員制度を設け、その試験合格者を教員に充てた。その受験可能年齢が旧年齢の15歳で、当時は生れると1歳と数えた旧年齢の数え方で、十月生まれの鍾美は現在の13歳で合格したことになる。当時の漢文づくめの試験問題をよくぞ合格したものだ。

 明治23年当時、赤沢庄吉は豊照小学校に勤務しており住まいは東厩島町でした。

 正式教員と臨時教員との置き換えの波が、明治23年に庄吉の足元に押し寄せてきた。新潟市教員の在籍記録によると、時の臨時教員は毎年一年契約でその都度身分と給料額が決められ記録されていた。庄吉の場合大略給料は月額6円~10円程だった。因みに当時の校長は20円前後で師範学校出の正式教員は臨時教員の大略倍額だった。

 明治23年に庄吉に示された条件は鏡淵校転勤と給料が月額27銭の大幅ダウンだった。100銭が1円ですからおおよそ25分の1の減額になる。おそらく非常勤待機職員の処遇となったのでは‥?。そしてその状態は明治26年3月で終わった。

 かねてリストラの波を予想していた庄吉は自宅で小学校課程指導のアルバイトに力を入れていたようだ。政府が義務教育制度とその普及、国民皆学を叫んでも、当時の一般民衆の暮らしぶりの大半は貧しく、通学どころかその日の暮らしに必死だった。義務教育年齢に達しても入通学できるのはわずか5人に1人の2割程度だった。入学出来ない子どもは任意に読み書きそろばんを教える個人教師や塾に通って学力を得た。庄吉は勤務時間が終わると自宅でせっせと多くの若者を生徒にしていたことが推測できる。

 明治26年臨時教員から解放された庄吉は名を鍾美(あつとみ)と改めた。

 鍾美は私塾を「静修学校」と命名した。その私塾に通う生徒たちが幼い弟妹や奉公先(勤務先)の赤ん坊を背負ったまま受講するものが多かった。鍾美の家族がその幼児たちを一室にまとめて保育の面倒をみたことが、保育事業の先駆けとなりました。

 少し読み難いかもしれませんが、静修学校ついて昭和9年(1934)12月に刊行された新潟市編集発行の 「新潟市史」 上下巻の下巻  第一章 教育  第二十節各種学校の項目に次のように記述されている。

 第二十節 各種学校
 その他私立中等学校類似の学校設立せらるるもの多かりしも明治大正を経て今日に及べるもの次の三校に過ぎず。

 一  新潟静修学校
 礎町通赤澤鍾美初め修身学舎なる一私塾を設け、毎夜青年を集めて教授せしが、明治二十三年七月新潟静修学校と改称し、二十六年私立簿記学校を合併し教師を増聘して本科は昼間、専科は夜間に簿記・英語・漢学及び数学を教授し、四年を以て修業年限となす。二十七年本町通り七番町に移り、三十六年東湊町通一ノ丁に移転す。大正八年七月全焼したるも門弟子等の尽力により直ちに同所に二階建ての校舎を建築したり。
(補註:上記記述の三校のうち他の二校は二 蛍雪校、三 新潟産婆学校共に今はない。)

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「いかがでした、トン汁の味は」春の遠足

 おかげさまで好天にめぐまれた5月19日、遠足は無事に終わりました、付添いの皆様子どもさんともども楽しい想い出になったかとおもいます。

 今回の「とん汁」の味はいかがでしたでしょうか? いつも同じ要領で準備し作るのですが、当日の天候や火加減、具を入れる順序やタイミングや煮詰まり具合などのためか出来上がりの味はどうしても変化します。また気温が高いときはお代わりが鈍りがちになりそんな時は残ることもありでしたが、今回はむしろ不足気味だったのでその点、まあまあの味だったでしょうか。

 園児の皆さんにとっていつもの給食とはまるで違った雰囲気でのおひるの食事、楽しい思い出になってくれれば本望です。

 ところで保護者付添いの皆様にひとつお尋ねしますが保育園や幼稚園の思い出は皆様それぞれどの程度まで思いだすことができるでしょうか。案外まとまった思い出はないのではないでしょうか。30歳以上ともなると5~6歳ころまでの記憶は予想以上にまとまった具体的な思い出は少ないようです。園当時の担任の先生の顔は思い出せても名前となるとあやふやではないでしょうか。

 当保育園の場合、担任保育士はひよこ組から卒園まで同一人で持ち上がりますので0~1歳から入園の方は4~5年以上同一保育士とともに成長していきます。園児にとっても担任にとっても本当にじっくりと成長の歩みとともに接触を重ねます。年ごとに担任が異なる場合と違います。

 一般的には保育園の在園時の思い出を質問しても担任の名前すら思い出すのがやっとの人が案外多いようです。

 毎年の遠足、春は亀田公園、秋は旧酒屋町のいも掘りと,定型的に繰り返すので記憶に楽しくはっきりとプリントされることを願います。

 6月、今月は『運動会』です。

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花海棠と石井式漢字教育|2017年5月

 狭い園庭ですが花好きの前園長が残した幾つかの花木がこの時期になると次々に開花し、園庭を明るく華やいだ空間にしてくれます。

 現在、園庭の花海棠・かいどうの開花が真っ盛り、花海棠は桜の開花から一足遅れるだけに春本番を教えてくれます。

 入園式も終わり新しく加わった園児達も園庭の花を一緒に愛でることになりました。その園庭を無心に遊ぶ子どもたちを眺めていると、それぞれの将来に思いがいたります。万葉の歌人山上憶良が「いかなる金銀財宝も子供にまさる宝はない」と歌に残している。本当に子どもたちは何よりの宝です。

 子どもたちの未来が何れの分野に進むとしてもまず、共通して基本的に有用なことは「読み書きそろばん(算数)」であることは疑いはない。

 ヒトの智脳の発達は視覚・音声・コトバを介して周囲環境を理解することから始まり、まず同一単語の繰り返しや身振り手振りを加えることで物事を理解し習得していく。それに文字が加わると理解が飛躍的に正確になりより高度複雑な意味の理解に進んでいく。

 石井式漢字教育を当園ではひよこ組から採り入れている。石井式教育の基本は普通の漢字交じりの日本文を日本語学習に最初から採りいれている。これまでの日本語の学習法の初期段階はまずひらがなばかりかあるいはカタカナだけの文章から始めていることと異なっている。カタカナあるいはひらがな文字だけで記した文章は、漢字交じりの通常の日本語の文章に比して読み辛くかつ判りづらい。それがなぜか漢字交じりの通常の日本文よりもかな文字あるいはカタカナばかりで記述した文章が初心者にとって理解しやすいと考えられてきた。

 当園ではひよこ組から漢字交じり文に親しませている。幼児たちにとって漢字がかな文字よりも難しいという感覚はない。気が付いたら本が図鑑が読めるよう

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忖度(そんたく)|2017年4月

 春のお彼岸もすぎ、太陽の日差しもめっきり高く温かくなり、 桜の開花情報もにぎやかに耳にするこの頃となりました。

 新潟市の桜の開花は中旬後半か下旬が予想されほぼ例年並みでしょうか。

 カレンダーの日取りから今年は4月1日(土)にいきなり入園式を迎えることになりました。28年度途中入園の方とこの4月1日に初めて入園される方々とを合計して、18名の園児の皆さんを迎えての入園式でした。

 ところでいきなり国語の時間のような書き出しの表題の忖度(そんたく)ですが、まず語句の説明をいたしますと、忖(そん)も度(たく)も寸法的に物を測ることの意です、忖度と熟語になると言葉の意図・根拠を推測・推察する意味になります。普段、この言葉は会話としてはあまり口にする言葉ではありませんが、この「忖度」が最近にわかに頻繁に耳にするようになりました。というのも今マスコミ話題の、安倍総理夫人を巻き込んでの大阪の学校法人森友学園問題が国会でも大きな論議となりました。その議論の中でこの「忖度」が頻繁に使用されましたので気づかれた方もあるかと思います。

 この「忖度」はわたくしども保育者にしても 子育て真っ最中の保護者にとっても 実に味わい深い言葉なのです。

 言葉・会話が全くできない生後間もない乳児時代、多少 会話ができるようになっても不完全な1・2歳児時期、かなり喋るように時にはうるさいくらい饒舌に語っていても、または大人となってもこの人の会話の本当の意図・根拠・ネライはどこにあるのかと推し量ることはしばしばあります。

 私ども保育者にとっては、大人同士の場合はともかくとして、現在目前の子どもたちの気持ちや希望真意を絶えず「忖度」することが仕事と考えております。特に乳幼児の場合、この子の不機嫌は体調が悪いのか、空腹なのか、睡眠不足なのか、前日の旅行の影響による疲労のためなのか、単にその場限りの意地にこだわっているのか、等々を常に忖度の連続と心得ております。

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